環境省によると、すでに今年5月の時点でクマによる全国の人身被害件数は13件に上っている。秋田県でも3名の死傷者が出たばかりで、事件の目撃者・遺族の証言は凄惨を極める。一方で現場周辺では、「ハイブリッド熊」のうわさも飛び交っていて――。

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 2016年に秋田県鹿角(かづの)市・熊取平(くまとりたい)付近で発生し、死者4名を記録した「十和利山熊襲撃事件」は国内史上3番目の被害を出した獣害事件だといわれている。

 事件後、熊取平を含む十和田高原地区では国有林への入林禁止措置が取られたものの、タケノコ採りに訪れる地域住民は後を絶たなかった。青森県三戸町在住の佐藤宏さん(64)もその一人だった。

“(爆竹を)忘れた”

「お父さん(佐藤さん)はタケノコ採りで、多い時には週5万円以上の稼ぎがありました」

 と語るのは、佐藤さんの妻である。先月15日の朝も、佐藤さんは妻とともに車で熊取平付近に向かった。

「私は車の中で毎日、待機しているだけでした。お父さんは普段必ず(熊除けの)爆竹を携行しますが、その日に限っては“忘れた”と言っていた。(爆竹を)“買った方がいい”とは勧めたのですが……」

 だが、佐藤さんは「なにかあったら、早めに帰るから」と言い残して、山中に分け入ってしまう。それが、妻に発した最後の言葉になったのである。

 午後になっても佐藤さんは戻らず、知り合いを通じて、妻が警察に通報。だが結局、佐藤さんが発見されたのは消息を絶ってから3日目のことだった。

「頭にハエがたかっていたから…」

 佐藤さんの知人男性・A氏が証言する。

「自分も15日は山でウドを採っていたのですが、朝9時ごろに佐藤さんのリュックが山道の脇に置かれているのに気が付いた。藪の中に向かって“おーい”と叫んだら、佐藤さんから“今、行くすけ”と返事があった。それで佐藤さんが藪から出てくるのを待っていると、“あちゃあ”という声が聞こえてきたんです」

 直後には「おーい」という声も立て続けに3回、耳にしたというが、

「か細い声だったので、佐藤さんの奥さんの声だと思い込んでしまった」

 結果、A氏は佐藤夫妻のタケノコ採りの邪魔をするのもやぼだと考えて、その場を離れてしまったという。しかし、以上の経緯があったため、A氏は佐藤さんがクマに襲われたであろう場所に「目星をつけていた」。

 A氏は18日、佐藤さんの妻から捜索依頼を受けて、友人とともに入山。そこに佐藤さんの変わり果てた姿を発見したのである。

「佐藤さんは竹藪に、仰向けで倒れていました。頭にハエがたかっていたから、亡くなっていると一目で分かりました」

 四肢は硬直しており、

「腕が宙に突き出ていた。まるで、クマともみ合いをしている最中のポーズのように見えました」

“助けて”という警官の声

 特筆すべきは遺体が置かれた状態だった。

「周囲の竹藪はなぎ払われていた。クマの巣になっていたんです。実際、新しい糞もあった。また、ご遺体には落ち葉がかけられていました」

 クマは餌に土をかぶせて“土饅頭(どまんじゅう)”として保存する。状況から、周囲にクマが潜んでいる可能性は十分考えられたのだが、

「佐藤さんを運ぶために、一度、下山して警察と消防を呼んだのです」

 A氏は友人と警官2名、消防隊員4名のあわせて8名で現場に戻った。直後、第二の事件が発生する。

「“佐藤さんを担架で運ぶので後ろからついて来て”と言われたのですが、後ろが一番襲われやすいじゃないかと思ったのを覚えています。担架に近寄った途端、“クマが来た”という叫び声が、ウォーッといううなり声と一緒に聞こえて、慌てて駆けだしました。後方から“助けて”という警官の声もしましたが、消防士も“無理です”と言いながら、逃げだしていました」

鼻もちぎれそう

 命からがら麓の車まで戻り、息を整えていると、

「若い警官が、血だらけの姿でやってきた。顔は右上の、耳あたりから顎付近まで、斜めに深い傷があって、裂けていた。鼻もちぎれそうで、ひん曲がっていました。約15分後には中年の警官も自力で逃げてきたのですが、彼は“腕が動かない”としきりに呻いていた」

 二人は救急搬送されて一命を取り留めた。だがしかし、帰らぬ人となった佐藤さんのご遺体の損傷具合は、さらに筆舌に尽くしがたいものだった。

「佐藤さんの死因は失血死。頭蓋骨骨折のほか、左右上肢、左右下肢にも損傷が見られました」(警察関係者)

 妻が打ち明ける。

「葬儀屋さんにも止められたので、(遺体には)対面していません」

 その後、現場付近でクマが捕獲されているが、

「わなにかかったのは50キロのメス。事件とは関係なさそうです」(猟友会関係者)

「ハイブリッド熊」説の真偽は…

 今回の現場周辺では以前から、「赤毛のクマ」の存在がうわさになっていたと言うのは先のA氏で、

「ある人はツキノワの2倍近いサイズの赤毛を見たって。以前、岩手の八幡平にあった熊牧場からヒグマが逃げ出したという話があって、そのヒグマとツキノワが交雑して、ハイブリッドが生まれているんじゃないかともいわれていました」

 しかし、北海道大学の坪田敏男教授(獣医学)は以下のように解説する。

「ツキノワグマとヒグマは、種が明らかに違います。種が違うと“生殖隔離”といって、一般的には生殖ができない。過去に動物園などでは例外はありましたが、野生下でその両種の交雑種が繁殖した可能性は、非常に低いと思います」

 人々の恐怖心の増幅が、幻のクマを生み出したのか。

「週刊新潮」2024年6月27日号 掲載