取材拒否事件の“真相”

「何と言ったらええか。なんか一週間くらい前がウソみたいですけどね」

 開幕から2カード続けて負け越し。その後、2連敗。しかし、そこから這い上がって、5連勝(4月21日時点)。岡田彰布監督(66)も「ウソみたい」と思わず漏らすような急上昇である。

「岡田監督なりの苦悩はあったと思います。14日の中日戦では大幅に打順を入れ替えてきました。『動かないタイプ』の指揮官が、前日と同じ打順の選手がいなくなるまで打順を変えていましたからね」(在阪メディア関係者)

 3番・近本光司(29)、4番・佐藤輝明(25)、5番・大山悠輔(29)。大山が4番から外れたアナウンスがされた際、敵地・バンテリンドームのレフトスタンドに詰め掛けたトラ党たちもちょっとざわついた。だが、大山のバットからは快音が聞かれず、打率は1割6分7厘まで下がってしまった。チームは2対1と勝利したものの、ベンチの重苦しい雰囲気は変わらなかった。

「岡田監督は昨季、大山、佐藤を主軸打者と捉え、『調子の悪いときは打順を下げるのではなく、スタメンから外す』と語っていました。ファンが驚いたのはその監督談話が記憶にあったからでしょう」(前出・同)

 試合後の監督談話といえば、岡田監督が試合後のインタビュー取材を拒否した件がある。開幕カードの巨人3連戦、第2節のDeNA3連戦、共に1勝2敗と負け越した後の4月4日だった。

 オープン戦は最下位で終えた。開幕してもチームの調子は上がらない。しかも、開幕から2カード続けての負け越しは、岡田監督にとってオリックス時代も含めた10年目の監督生活で、初めての屈辱だった。そうしたチーム状況に関する質問の回答で、翌日のスポーツ新聞各紙は、岡田監督の発言として、連続負け越しは「想定外」と伝えた。しかし、岡田監督は「ウソを書かれた」と、ダンマリを決め込んでしまったのだ。

「監督は『想定内』と答えたつもりでいたようです。もっとも、『ウソを書かれた』という取材拒否理由も球団職員からの伝聞で、ハッキリした理由は取材が解禁された今も明確にはされていません」(ベテラン担当記者)

 最終的に担当記者たちとは「想定内」と「想定外」の聞き間違いということで“決着”したそうだが、こんな意見も聞かれた。

「岡田監督は『動かない指揮官』であると同時に、最悪の状況を想定して策を講じていくタイプでもあります。その岡田監督が『想定外』と言ったように聞こえたので、ビックリしてしまったんです。監督も想定できなかったほど酷いチーム状況なのか、と。ただ、どの記者も監督の個性を熟知しているから、『想定外』というコメントはおかしいと思った記者もいたようですが…」(前出・同)

打てないチームをどうするか

 取材が解禁されたのは、4月17日。先発・伊藤将司(27)が好投し、継投策で勝利したが、この一勝で岡田監督は球団史上歴代2位となる485勝目を手中にした。

「試合が終わって並んでるときに平田(勝男・ヘッドコーチ)とかと話をしたけど、3連発の日に3連打だけで終わったでしょ」

 39年前のこの日はバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発本塁打が飛び出した日でもある。その勢いのまま、優勝、日本一まで上り詰めたわけだが、今回は1番・近本、2番・中野拓夢(27)、3番・森下翔太(23)の3連打で挙げた2点を守りきっての完封勝利だった。

「これだけ打てないで、今のこの成績というのはピッチャー陣の頑張りだし、僅差のゲームでなんとかしのいでというのが続いてるんだけど、そこを乗りきればもうちょっと楽なゲームに出来ると思いますね」

 と、岡田監督は39年前を懐かしみながらも、試合内容には辛口だった。

 同時点での打線のデータだが、この日を含めて9試合連続で2得点以下。単独首位に立った21日時点でも、チーム打率2割2分4厘、総三振数155はリーグワースト。チーム防御率2.06(同2位)の投手力に頼ったロースコアの逃げ切りゲームが続いている状態だ。

「打線が爆発しないと、チームは勢いづきません。岡田監督も暫くは我慢の采配が続くと見ています」(前出・在阪メディア関係者)

 それでも首位に浮上したのは、采配の妙だろう。同時にこんな指摘も聞かれた。

「現有戦力が爆発しなければ、シーズンの中盤戦以降も厳しい展開になりそう」(前出・同)

 今季の阪神二軍は「弱い」のひと言に尽きる。今季からファーム戦だけの参入となった「くふうハヤテベンチャーズ静岡」と、最下位争いを繰り広げているのである。参入初勝利をプレゼントしたのも阪神二軍で、4月19日からの直接対決で3連敗を喫し、ついに「5位はやて、6位阪神」(22日現在)となってしまった。これでは一軍への選手補強も期待できない状況だ。

阪神2軍は育成ではなく調整の場に

「21年はファーム日本一、22年もウエスタン・リーグは優勝でした。当時の二軍メンバーは、一軍のレギュラー争いに敗れた20代後半の選手も多かったからそれなりに強かった」(前出・同)

 岡田監督になって、二軍の運営も少し変わったようだ。二軍は本来、育成の場だが、「調整」の様相が色濃くなっている。

 一例を挙げるとすれば、高卒2年目の左腕・門別啓人(19)の起用法だ。門別はキャンプ、オープン戦でも結果を残し、開幕一軍を勝ち取った。岡田監督の当初のプランは「先発ローテーションの待機要員」。しかし、チーム事情もあって、リリーフでマウンドに上がっていたが、開幕2カード連続で負け越した4日、先発投手として二軍で再調整することが決まった。

「7日の広島二軍との試合で先発しました。4イニングを投げ、被安打2、失点ゼロ。合格点を挙げても良いと思います。19日に再昇格しましたが、やはり左のリリーフ投手が手薄ということで、ブルペン待機しています」(チーム関係者)

 二軍の役割が変わったのはチーム事情だから、仕方がない。だが、門別が先発再調整でファーム行きとなったため、7日に本来ファームで登板を予定していた他投手のスケジュールを変更しなければならなくなった。

 また、野口恭佑(23)など期待の若手を多く打席に立たせている一方で、まだ覚醒していない若手も多く、彼らにも出場機会を与えてやらなければならない。門別のように優先順位の高い若手が降格してくることもあり、和田豊二軍監督(61)は難しい選手のやりくりを強いられている。その結果が、「ウエスタン・リーグ最下位」なのだ。

「ファームで急成長して一軍に上がってくる新戦力は望めないかもしれません。となると、一軍のレギュラー陣が早く本来の調子を取り戻さなければ、首位争いは厳しいものとなります」(前出・在阪メディア関係者)

 前々回、日本一となった翌86年、投打の主力選手の調子が上がらず、スロースタートとなった。3位のAクラスは死守したが、その後、「好機であと一本が出ない」の状況が当たり前となり、最下位争いの暗黒時代が始まった。そんな黒歴史を繰り返さないためにも、まずはクリーンアップ3人が復調するしかあるまい。

デイリー新潮編集部