パンデミック条約は不透明な情勢

 新型コロナのパンデミック発生から4年が経過し、通常通りの日常生活が戻りつつあるものの、改めてその「爪痕」の大きさが明らかになっている。

 英医学誌「ランセット」の研究によれば、2019年から2021年の間に世界の平均寿命が1.6年短くなり、新型コロナは死因の第2位だった。平均寿命の縮小は1990年以来初、死因の順位が大きく入れ替わったのは数十年ぶりのことだ。この研究では「新型コロナが出現しなければ1590万人の命が失われることはなかった」とも言及している。

 国際社会は新型コロナの悲劇を二度と繰り返してはならないと誓い、新たな感染症のパンデミック(世界的大流行)に備える体制づくりに乗り出している。

 その中心的な役割を果たしているのが世界保健機関(WHO)だ。

 WHOは2021年12月からパンデミック条約に関する協議を開始し、5月27日から開催される世界保健総会までの交渉妥結を目指している。条約の柱は「緊急事態宣言の手続きなどを定めた国際保健規則の改正」と「感染症の公平な予防・対策実現のために不可欠な医薬品の技術移転などに関する枠組みづくり」だ。

 だが、医薬品の技術移転を巡って、ワクチン特許使用料の減免などを求める発展途上国と大手製薬企業を擁する先進国が激しく対立しており、4月29日からの協議でも交渉がまとまるかどうかは不透明な情勢だ。

日本は「笛吹けど踊らず」となる可能性

 日本も感染症対策を強化し始めている。ワクチン開発で諸外国に後れをとり、緊急時に医療体制が脆弱性を露呈したことなどへの反省を踏まえた対応だ。

 来年4月1日に設立される新しい専門家組織「国立健康危機管理研究機構」もその1つである。「国立感染症研究所」と「国立国際医療研究センター」が統合して発足する。感染症の調査・分析から臨床までを一貫して対応するとともに、ワクチンや治療薬の開発支援といった役目も担うことから、米疾病対策センター(CDC)にならって「日本版CDC」と呼ばれている。

 政府はさらに感染対策を「柔軟かつ機動的に」に実施できるよう、新型インフルエンザ等対策政府行動計画の改定案を6月中に閣議決定するとしている。だが、政府の掛け声に現場が呼応しない「笛吹けど踊らず」となる可能性は排除できないと思う。

デング熱、百日咳…まだまだある感染症

 日本を始め国際社会の対応が必ずしも十分ではない状況下で、次のパンデミックは時間の問題との声が高まっている。

 ブラジルを中心に急増しているのは、蚊を媒介とするデング熱だ。感染するとインフルエンザのような症状が出て、死に至る場合もある。

 汎米保健機構によれば、4月17日までに報告されたデング熱の症例数は520万を超え、昨年の年間症例数(約457万件)を上回った。今年に入って死亡した患者はすでに合計1858人と、昨年の年間合計(2481人)を上回る勢いだ。

 中国や欧州の一部では、咳やくしゃみなどの飛沫で感染する呼吸器疾患の百日咳が大流行している。

 中国政府によれば、1月から2月にかけての感染者数は昨年の20倍以上(3万2380人)と急増し、少なくとも13人が死亡した。欧州ではオランダが深刻だ。4月第2週までに5303人が感染し、4人が死亡している(4月19日付Forbes)。

牛乳に鳥インフルウイルスの残骸

 世界各地で感染症が蔓延している中、筆者は「最も危険なのはH5N1型の鳥インフルエンザなのではないか」と危惧している。

 WHOによれば、鳥インフルエンザのヒトへの感染は2003年1月から今年3月28日までに合計888例、うち死亡は463例。ヒトからヒトへの感染は現時点では起きていないとされているが、油断は禁物だ。

 鳥インフルエンザの世界的流行は2020年に欧州から始まり、米国にも飛び火した。その後に流行は沈静化したが、米国で再び感染が拡大している。

 気になるのは乳牛にも感染が広がっていることだ。鶏は感染すると死に至る場合が多いが、乳牛は回復すると言われている。

 米食品医薬品局(FDA)は4月25日「米国内で市販されている牛乳5本のサンプルのうち1本から鳥インフルエンザウイルスの残骸が検出された」と発表した。

ヒト用のワクチン開発を

 乳牛からヒトへの感染も起きている。南部テキサス州では4月1日、陽性が疑われる乳牛から男性が鳥インフルエンザに感染し、結膜炎とみられる症状が出た(その後、回復)。

 鳥インフルエンザウイルスは変異を続けており、ヒトからヒトに感染する新種が出現する確率が高まっていると言わざるを得ない。

「鳥インフルエンザのパンデミックが起きる」と断言するつもりはないが、備えあれば憂いなし。FDAは既にヒト用のワクチンを承認している(4月19日付Forbes)。

 日本もヒト用のワクチン開発を直ちに開始するとともに、WHOを介して公平に世界へ配分できるメカニズムの構築に尽力すべきではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。

デイリー新潮編集部