NMB48を経て、2019年に本格的にシンガー・ソングライターとしての活動をスタートした山本彩(やまもと・さやか)さん。昨年7月に30歳を迎えた。意外なことに、かつては30代になっても音楽活動を続けられているとは「思っていなかった」のだという。
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■音楽以外にできることがない
「音楽で生活をしていくことの大変さや難しさは漠然とわかっていたので、自分がその一握りの存在になれるとは全く思っていなかった。きっとどこかで挫折して終わるんじゃないかと思っていました。
いま、30代になっても音楽の仕事を続けられていることが、まずすごくありがたいことだと思っています。過去、バンドを組んでいた時期もありましたが解散したし、アイドルグループとしての活動も終わりを迎え、区切りになるタイミングがいくつもありました。そこで活動が終わらず、続けられていることに希望を感じるんです。
結局、私には音楽以外にできることがない。だから、戻ってくる。
歌うことが楽しいし、曲を作ることも楽しいし、それを聴いてもらえた時の達成感や幸福感は音楽でしか得られないものだということは何度も体験してきました。それが一番大きいと思います」
■目標がない時期があってもいい
ただし、30代になったタイミングで、先のビジョンが大きく変わった。
「『ずっと音楽をやっていきたい』という気持ちはありますが、『死ぬまでやるぞ!』と決めるというよりは、一瞬一瞬が積み重なって、気づけば10年、20年続いているのが理想です。
20代は『生涯現役が目標です!』と公言していました。それによって、『やらなきゃいけないんだ』と感じることも多く、自分で自分の首を絞めていたところもあったと思います。
明言することも時には必要だと思いますが、それでしんどさを感じるのであれば、具体的な目標がない時期があってもいいんじゃないかなと思うようになりました」
楽曲制作に対する姿勢も変わった。心にどこか、ゆとりが生まれた。
■「中島みゆき」の味わい深さ
「これまで曲を作るときは『よっしゃ、作るぞ!』と、気合を入れないと進められなかったんですが、『やってみるか』という軽い感じで始められるようになりました。肩の力を抜いたら、一層楽しめるようになった。
これまでは自分のために歌っているような曲が多かったですが、100%誰かのために歌う曲を書いてみたいと思うようにもなりました。
それに、思いを包み隠さない、生々しい曲は年齢を重ねることで説得力が増してくるように思っています。綺麗な言葉ではなかったとしても、リアルな像が浮かぶような曲が書けたらいい。
以前、中島みゆきさんの楽曲をカバーさせていただいたんですが、シンプルな言葉なのにすごく味わい深さを感じました。そこに、人生経験が影響していると思ったんです」
■やっていないことやり尽くそう
プライベートの過ごし方も変わったという。
「プライベートでは行動力がすごく上がりました。今までやっていないことを意識するようになり、やっていないことはやり尽くそうぐらいの勢いです(笑)。まずは、やれることから始めていて、ゴルフを始めたり、ペーパードライバー講習を受けに行ったり。年内に車を買おうと思っています。
プライベートと仕事のバランスが50:50なのが、今の自分にとってはきっとベストなんだと思います。
20代は仕事にエネルギーを費やして、そんな自分を労わる気持ちが足りなかった。仕事をとことん追求したら、その分プライベートも充実させたい。インプットとアウトプット、どちらかが欠けるとバランスが取れないと思いますし、心身に余裕がないと閃きも生まれないと思っています」
人生の大切な局面には、いつも音楽があったという。音楽活動をやっていて一番楽しい瞬間は?
「ライブをやっているときと、新しい何かを見つけたとき。例えば、初めてご一緒した方と制作をしたり、ステージに立ったりして、刺激を受けたときは、すごく楽しいと感じます」
自身の初の試みとして、今年2月から3カ月連続での配信リリースを始めた。
「これまで、リリースのスパンが長めになっていたことと、ライブで新しい曲を育てていきたいと思ったことが理由です。
■痣も瘡蓋も私の一部
私は時間があると先延ばしにしてしまうタイプなので、3カ月連続でリリースすると決めてみました。第2弾の『ブルースター』では、初めてアニメ(『魔王の俺が奴隷エルフを嫁にしたんだが、どう愛でればいい?』)のエンディング主題歌を担当させてもらいました。曲を作るうえで、まず作品に寄り添うことを大切にしました。物語を自分自身に置き換えて考えて、自分に価値がないと思っていたところから、誰かとの出会いによって、自己肯定力が上がっていくことが伝わればいいなと思いました」
特に「自分の本音が出ている」という歌詞が、2番の「痣も瘡蓋も私の一部だって 今はそう言える気がするの」というフレーズだ。
「弱った分だけ、傷ついた分だけ、強くなったり視点が増えたりする。折れなかったら見えなかったものや生まれなかった感情がきっとたくさんあると思っています。そういう痣も瘡蓋も、自分にとっては大切な一部。私はソロになる前から、自分の精神的な弱さと向き合いながら、歩んできました。それによって、大抵の壁ではへこたれずに冷静でいられるようになったと思っています。
活動休止したことでも、ちょっとした悩みをポジティブに捉えられるようになった。元気な状態で『書きたい』とか『歌いたい』という意欲さえあればなんでもできる。『あとは自分次第だな』とシンプルに考えるようになったんです」
そう話す表情は、しなやかだった。
(構成/ライター・小松香里)