真菜さんは花が好きで、莉子ちゃんが生まれる前から、毎年一緒に花見に行ったという。松永さんは2014年の花見デートの写真を見返しながら、「俺調子乗ってるなー、真菜がかわいいからデレデレしてる」と頬をゆるめた(写真は2017年4月撮影/松永さん提供)

 2019年4月19日に起きた池袋乗用車暴走事故で、松永拓也さん(37)は妻の真菜さん(当時31)と娘の莉子ちゃん(同3)を亡くした。事故から5年がたとうとする中、松永さんは昨年12月から運用が始まった「被害者等心情聴取・伝達制度」を使い、車を暴走させた飯塚幸三受刑者(92)に、事故の再発防止に向けた協力を呼びかけた。後日届いた飯塚受刑者からの回答に松永さんは何を思ったのか。現在の心境を聞いた。

*  *  *

――今年3月22日、松永さんは「被害者等心情聴取・伝達制度」を使い、飯塚受刑者への思いを口頭で刑務所職員に伝えました。今回、制度を利用した理由は何ですか?

 僕の中の「真菜と莉子の命を無駄にしない」という決意は、事故から5日後くらいには固まっていて、再発防止に向けて飯塚氏とも同じ視点を持ちたいという願いは、ずっと昔からありました。

 もちろん、今でも彼を許せない思いはあります。でも、後世の人に同じ思いをさせないという最終目標をかなえるためには、被害者、加害者という明確な立場の違いを乗り越える必要がある。そこに僕の個人的な感情は不要です。

 人間は失敗する生き物なので、過失犯である飯塚氏に罪を償わせるだけでは、第2、第3の池袋暴走事故は必ず起きます。僕は、奪われた妻と娘の命、遺族になった自分の経験、加害者になった飯塚氏やそのご家族の苦しみ、すべてを無駄にしたくないし、それが僕自身や飯塚さんにとっても唯一の救いになるのではないかと思っています。

「被害者等心情聴取・伝達制度」を利用するにあたり、松永さんが飯塚受刑者に伝えたい内容をまとめたメモ(松永さん提供)

■免許返納を進めるためには

――松永さんは飯塚受刑者に、高齢ドライバー問題についての意見や経験を問う8つの質問を投げかけ、4月6日、本人からの回答を報告する書面が届きました。各質問に込めた意図をお聞かせ下さい。(以下、〈〉内は質問と回答の要約)

〈質問1:あなたはどうすればこの事故を起こさずに済みましたか。 回答:「運転しないことが大事です。」〉

〈質問2:高齢者として、どのような社会であれば事故を起こさずに済みましたか。 回答:「運転しないことです。」〉

〈質問3:病院までの無料又は500円程度の送迎サービスなどがあれば利用しましたか。 回答:「はい。」〉

 まず、すべての質問は92歳という飯塚氏の年齢を踏まえ、できるだけYES/NOで端的に答えやすいよう配慮しました。

 質問1〜3は、免許返納をしやすい社会を目指すための質問です。自治体によっては、免許返納した高齢者に対して、身分証として使える「運転経歴証明書」を発行したり、シルバーカーの購入費用を補助したりしていますが、まだまだ地域差は大きいし、積極的に広報されているとは言いがたいのが現状です。

 飯塚氏は裁判の中で、電車は使い勝手が悪いから車を運転していたと主張しました。あの時はムカッときましたけど、たしかに地下鉄は階段やエスカレーターが多いし、高齢者が利用するには大変な面もあります。免許返納を進めるには、車がなくても安心して生活できる社会になる必要がある。高齢者自身の決断とご家族の説得に委ねきっている現状はおかしいと思います。

家族3人で暮らしたアパートで取材に応じる、松永拓也さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)

■運転を止めたら人権侵害?

〈質問4:医師から、明確に運転を止められていたとしたら、あなたは運転をやめていましたか。 回答:「やめていました。」〉

〈質問5:事故当時、自分自身はパーキンソン病又はパーキンソン症候群の可能性があったと思っていますか。 回答:「はい。」〉

〈質問6:パーキンソン症候群が運転をしてはいけないという分類に属されているとしたら、運転をやめていましたか。 回答:「やめていました。」〉

 飯塚氏は事故当時パーキンソン症候群の疑いがあると診断されていて、右足を動かしづらい症状がありました。担当医師は、体調が悪い時には運転を控えるよう伝えていたけれど、高齢者の方にも移動の自由がある以上、無理やり止めることはできません。でも、運転は人の命を奪いかねないものである以上、医学的な見地からある程度制限をかける権限や、人権侵害で訴えられないよう医師を守る制度は必要ではないかと思います。

〈質問7:家族からどんな声掛けがあれば、運転をやめようと思いましたか。 回答:「やめるように強く言われていたらやめていた。」〉

〈質問8:高齢で刑務所に入る苦しみはどのようなものですか。 回答:「(いろいろな規則や指示に)従うことが苦しい。」〉

 特に高齢者の場合、自分の運転が危ないかどうか客観的に判断するのは難しいので、どうしてもご家族の介入が重要になります。どういう声がけがあれば運転をやめていたのか、当事者の声を聞きたくて、質問をしました。

 8は、刑務所に入ることになった彼の苦しみを、多くの高齢者の方に知ってもらい、同じ思いをするのは嫌だなと思ってもらえたらという意図がありました。彼の言葉には、やはり重みがあると思うので。

居間の一角が、莉子ちゃんのお絵描き場だった。紙の下半分には、家族3人で手をつないでいる絵が描かれていたが、インクの経年劣化により消えてしまったという。「物ってどんどん壊れていく。それを見るのが悲しくて、おもちゃのキッチンセットなんかも泣きながら解体したんですけど、やっぱりしんどくて」(松永さん)(撮影/写真映像部・佐藤創紀)

■初めて聞けた、飯塚氏の「本心」

――飯塚受刑者の一連の回答を、どう受け止めていますか?

 正直、回答なしという結果も想定はしていたんですよ。裁判で繰り広げられた彼の無罪主張には、法治国家における当然の権利とはいえ、苦しめられたこともあったし、あまり期待してまたがっかりするのは嫌だなと。

 でも回答を読んで、思いのほか真摯に答えてくれたという印象を受けました。もちろん文章は短いですが、92歳という彼の年齢を考えると、しょうがないかなと思います。報告書には、飯塚氏が、私の言葉について「妥当だと思う」、刑務所での面会や出所後の対談は「受け入れる」と言っていた旨が書いてありました。裁判での利害関係がなくなった今、初めて彼の本心が聞けて、同じ視点に立てたんじゃないかなと思います。

――今後の飯塚受刑者との対話で、どのようなことを聞きたいですか?

 再発防止に向けた僕の思いは分かってもらえたと思うので、今回の『はい』『やめていました』といった回答の先に、話を深めたいです。失敗した人の後悔にこそ、次の失敗の芽を摘むヒントがあるはず。社会制度、医療、交通環境、どんな視点でもいいので、『こうだったら事故を起こさなかった』という反省や悔しさを聞きたいです。世間の人は『言い訳するな』とたたくかもしれないけど、彼の言葉を封殺してしまうと未来の糧にできなくなるので、それはどうかやめてほしい。

 飯塚さんの年齢を考えると、一日一日を無駄にせずに、早く面会に行かなければと思います。ただ、真菜と莉子の命日の19日までは精神的にいっぱいいっぱいなので、今は考えるのをやめています。

大きな小麦粉の袋を買ってきて、よくパンを焼いてくれたという真菜さん。「すごく上手で、ちっちゃいパンなんですけど、食パンとかおいしいんですよ」と、松永さん。事故に遭った日、真菜さんと莉子ちゃんは買い物の帰りで、現場には小麦粉が舞っていたという(写真は2018年3月撮影/松永さん提供)

■「桜を見ると切なくなります」

――命日はどのように過ごすのでしょうか?

 事故が起きた12時23分に現場に行って、手を合わせます。そしてお墓に行って、沖縄から来てくれる真菜のお父さんとお茶をしながら話をして、という感じですね。

 でも僕は、命日を迎えるまでのほうがしんどいです。当日は「来ちゃったものはしょうがない」とある程度割り切れるんですけど、命日の半月前くらいから、「嫌だな」「二人に会いたいな」ってどんどん気持ちが落ち込んでいきます。

 桜が咲きはじめると、三人で花見をした時の思い出がよみがえってきます。真菜が焼いてくれたパンでサンドイッチを作って、それを持って公園に行って、食べ終わったら莉子は楽しそうに公園を走り回って。そして桜が散ると、そろそろ命日がやってくるなって考えます。だから桜を見ると切なくなりますね。毎年、これは逃げられない。

 でも、無理に前向きにはならないようにしています。最初の1年は、「自分は大丈夫」「二人の命を無駄にしないためにもまだまだやれる」って言い聞かせていたんですよ。そしたら初めての命日、現場で手を合わせたら、事故の瞬間は見ていないのに、真菜と莉子がはねられる様子がフラッシュバックのようにすごくリアルに頭に浮かんでしまって、心が破壊されそうになって、2週間ほど起き上がれなくなったんです。

 それで、自分の感情にはウソをついちゃいけないんだと学びました。悲しいときは悲しんで、怒るときはちゃんと怒る。そして命日を迎えたら、受け入れた悲しみや苦しみを力に変えて、自分と同じような人を生み出さないための活動に生かしていこうと思います。

(AERA dot.編集部・大谷百合絵)