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 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は「共同親権」可決を受けて、考えたことにについて。

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 外国で結婚し子どもを1人つくった女友だちがいる。カノジョが特定されないように曖昧にしか書けないのだが、結論を言えば、カノジョはまだ幼かった子を連れ日本に帰国した。理由は夫にある。

 夫はとにかくお金を惜しむ人だった。仕事と育児に追われるカノジョが「ベビーシッターを頼みたい」と言ったときも、「ベビーシッターを雇って楽になるのは君なのだから君のお金で雇うなら、どうぞ」と言い放った。夫は家のことはほぼしないが、皿の洗い方、Tシャツのたたみ方、ベッドメイキングの手順全て、夫の思うままに行わなければ家の空気は冷たくなった。夫は社交的な人として知られていたが、カノジョの交友関係には制限をかけた。夫の気に入らない女友だちと会って帰った日など、数日間無視された。

 夫は社会的地位も名誉も信頼も富もある年上の男性だった。誰もがカノジョに「良い男性と巡り合えたね」と羨ましがったというし、実際、カノジョもその結婚を誇りに思っていた。だからこそ、どんなに酷い目にあってもすがりつき、外国で生きていくためには夫が必要だと信じていた。「DV」という言葉もその意味も知ってはいたが、自分がその被害者だとは思わず、誰にも相談せずにいた。それでもある日、文字通り「心の糸がプツンと切れる音がした」のだという。

 そこからは、どう逃げるか、いつ逃げるかだけを考える日々だった。夫は肉体的暴力こそ振るわなかったが、カノジョが夫と違う意見を言おうものなら「私の目を見ろ」と「説教」が始まり、それは何時間にも及ぶのが常だった。とてもじゃないが離婚や別居を切り出せる関係ではなかった。カノジョにできるのは、ただ子を連れて逃げることだけだったのだ。

「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」、いわゆる「ハーグ条約」は民主党政権時代に加盟が打ち出され、2014年に発効した。関係が破綻した夫婦の子の扱いを定めた国際ルールであり、加盟国は「連れ出された子」を元の居住国に戻す協力義務を負う。カノジョがしたことは、“法律の正解”からいえば、「誘拐」とされる。夫がカノジョを訴えたら、子どもを元の居住国に戻さねばならない。幸いカノジョの場合は、夫が「諦めた」。そういう意味で運が良かったとは言えるが、「ハーグ条約」締結後、逃げた後に違う景色の地獄を生きなければいけない女たちは無数にいることだろう。

 4月16日、親権を巡る民法改正案が衆院で可決され、成立すれば77年ぶりの見直しとなる。2026年からは離婚後の共同親権が「認められる」ようになる見通しだ。「ハーグ条約」締結から10年後の「共同親権」は、あまりにも10年前の闘いと似ている。この国は、とことん、被害者の声、女の声を聞かないのだ。

「ハーグ条約」を日本政府が締結したときもそうだったが、激しい反対の声をあげたのはDV被害を受けてきた女性たちだった。そしてあのときとまったく同じように、今回も逃げるしかない女性たちの必死な声は届かない。被害をいくら訴えても「子どもの利益を最優先に考えるべきだ」「ハーグ条約を締結していないのはG8で日本だけだ/共同親権ではないのは日本くらいだ」「母親による子どもの連れ去りで父親が子供と関わる権利が奪われている問題は見過ごせない」「DVがあった場合は別の措置を考えればいい」などという“正論”によって、DV被害者の声は封じられた。

 ハーグ条約に反対していた女性たちが恐れていたのは、まさにハーグ条約が共同親権の道を開くことでもあった。当時の新聞でも、ハーグ条約に賛成する人々たちが「これからは共同親権だ」と意欲的に語る様子が報じられている。「親ならば子供の利益を最優先に考えるべきだ」という「正しさ」は、「DV被害」を一部の特殊な例と矮小化し、「DVはDV、親権は親権、ごっちゃにするな」とDV加害者への恐怖を語る女性たちの「感情」をなだめてきた。

 あのときと、今回、「反対の声」をあげている女性たちの顔ぶれは違う。女たちの運動は連続しているようで、いつの時代も断絶され、分断され、強い抵抗のうねりを持つのがなぜか難しい。それでもカノジョたちの切実さはいつの時代も、同じだ。そして声を無視し嘲笑する側の「冷静」も、いつの時代も同じ顔をしている。今回の改正案はDVがあった場合は単独親権が認められるたてつけにはなっているが、「DVがあった」と立証することの難しさは、被害者が一番知るところだろう。DV加害者の顔は見抜けない。「社会的に立派で冷静で信頼のおける男性」であることは決して珍しくない

 2019年4月11日に、私は性犯罪無罪判決に抗議するフラワーデモを友人たちと呼びかけた。「娘をレイプしてきた父親が無罪になるのはおかしい」と声をあげた女性たちに、「感情的になるな」「裁判所が無罪にするには理由があるのだ」となだめる声に怒りを感じたことがフラワーデモのきっかけだった。あれから毎月11日、一度も休むことなくデモを続けてきたが、先日6回目の4月11日を迎えて改めて思うのは、いまだに「被害を受けた声」をなだめようとする社会に私たちが生きているということだ。

 今期の朝ドラは、女に法曹界の道が開かれていなかった時代に学び、日本の女性で初めての弁護士の一人になった三淵嘉子氏がモデルだ。「法律的な正解」が必ずしも人を救うとは限らない。というか、けっこう、間違える。法を定め運用する全ての過程に女がいない世界であれば、その法律は女にとって地獄となる可能性もある。朝ドラ「虎に翼」は、女にとっての「地獄」を女たちの連帯で生き抜く姿を描いている。地獄を地獄と名付けることから女の闘いが始まるのだという、フェミニズムの基本の基の意味を改めて教えてくれる朝ドラに励まされながら、今回の「共同親権」可決で味わった悔しさを私たちは忘れない。