阪神ファンで埋まる甲子園のスタンド

 スポーツ観戦も仲良く横並びの「ゆとり的発想」が求められるようになったのだろうか。少しのヤジやイジリさえもNGとなったスタンドは楽しい観戦環境といえるのか?と疑問の声もある。

「くたばれ! その言葉、あなたが言われたら、どんな気持ちですか?」と阪神球団がX(旧ツイッター)公式アカウントに投稿した。今までも阪神ファンの行き過ぎたヤジには批判も多かったが、今回は球団OB能見篤史氏を起用した動画を作成。以前から問題視されてきた「くたばれ読売(=巨人)」のコールを注意喚起するものだった。

「終生のライバルへの気持ちは理解できる。昭和世代の我々からすると、そういう激しい環境で気持ちも高まった。しかし時代も変化してコンプライアンスも厳しい。言葉使い1つで問題になる現代では、行き過ぎ行為と言われても仕方がない」(阪神OB )

 巨人に対するアンチの気持ちは他球団ファンも同様に抱いている。以前はヤクルトファンも東京音頭の前奏に合わせ「くたばれ読売」と連呼していた。巨人の球団歌「闘魂こめて」の替え歌「商魂こめて」はワイドショー番組でも特集されたほどだった。

「最近は対戦相手を馬鹿にするコールなどへの規制が強まり始めている。ファンの中にも他球団に対し必要以上の対抗心を持つ人が少なくなったのもある。アンチ対象だった巨人も昭和時代のような絶対的強さがなくなり、12球団の中の1つという位置付けになっている」(巨人担当記者)

 侍ジャパンやオールスターなどで他球団選手の応援歌を歌うのが楽しみという人も増えている。以前のように各球団ファンが敵対視し合う光景はなくなりつつある。

「時代に即した応援になるのは賛成。しかし『どこまでがOKで何がNGか』を誰が決めるのか。例えば『〇〇倒せ』コールは多くの球団がやっているが、それもダメと言う人は必ず出てくる」(元在京球団応援団)

 相手選手、ファンが不快に思えば自粛するのは当然ではある。しかし感じ方は人それぞれであり規制するのは非常に難しい作業だ。

「エンタメと理解して楽しめるなら規制する必要はない。米国ではどの競技でも相手球団や選手へのヤジは存在する。行き過ぎや誹謗中傷はNGだが、多くは一種の『お約束』と認識され誰もが楽しんでいる」(在米スポーツライター)

 西海岸ならドジャースに対しジャイアンツやパドレスのファンから『Beat LA(LA倒せ)』のコールが起こる。ヤンキースタジアムでは外野席から内野席に向かって『Box Seats Suck(ボックス席に座っている奴は最悪だ)』の声がかかる。その他の地域や他競技でも同様の掛け合いが当たり前に繰り返されている。

「子供に見せられない光景と言う人がいる。しかし今の子供はもっと現実的で世間を知っている。ゆとり世代の問題同様、緩くすればよいということではない。そして『日本人はエンタメの楽しみ方がわからない』と自ら認めているようにも感じてしまう」(元在京球団応援団)

 同様の動きが野球だけでなくサッカーや他競技にも広がっている。国際試合が多い競技については「選手の(メンタル部分での)成長を阻害する危険性がある」という懸念も生まれつつある。

「海外でのアウエー試合では誹謗中傷のようなヤジは当たり前。国内の守られた環境しか知らない選手がそういう中で普段のパフォーマンスを発揮するのは難しい。サッカー日本代表や侍ジャパンで海外組が逞しく感じるのも理解できる」(在米スポーツライター)

 競走社会のスポーツ界では時に“厳しい環境”が必要なのは間違いない。サッカーJ1ヴェルディのブラジル人選手マテウスも日本のサポーターの“緩さ”が気になったよう。数的優位に立ちながら終盤に追いつかれた4月13日の試合(FC東京との東京ダービー)後に「ブラジルではダービーで、こういう追いつかれ方をしたら警察沙汰になっている。それはノーマルなこと。もっと選手に厳しくしてもいい」と試合後にファンへ向けて語った。

「サッカーの一部サポーターのように、結果に応じて誹謗中傷したりモノを投げるのは問題外。プロ野球も昭和の時代ならそういう心配もあっただろうが、今はそこまでのことは起こらないはず。監視カメラを含めセキュリティも発達している」(元在京球団応援団)

 もちろん誰もが楽しめる環境があることがスポーツ観戦の大前提であるのは間違いない。しかし、ヤジやコールの一つ一つに規制を作っていくのではなく、多少のグレーゾーンがあった方がスタンドにも活気が生まれるはず。もちろん他人が気を害すようなものは許されないが、度を越さなければ“寛容”の気持ちで受け入れることもスポーツがさらに盛り上がるためには重要なことかもしれない。