干上がったザーヤンデ川

 2020年4月から2023年1月まで朝日新聞テヘラン支局長を務めた飯島健太氏は著書『「悪の枢軸」イランの正体』のなかで、イランの深刻な水不足について言及している。年々悪化していく川の枯渇、人々の頼みの綱である地下水によって引き起こされる地盤沈下の影響とは? はたして水不足を解決する術は残されているのか『「悪の枢軸」イランの正体』から一部を抜粋して解説する。

 水不足の深刻さは、イランでの日常生活から肌身に感じることである。イランは北部の一部の地域を除き、国土の大半は1年を通して乾燥しており、冬場は、加湿器を稼働していても湿度は常に10%台を示している。

■ むき出しになった大河

 2021年11月、首都テヘラン中心部から南へ約350キロにある、国内の中でもとりわけ渇水に悩む中部イスファハン市街地に車で入った。最初に向かったザーヤンデ川の様子は衝撃だった。 

 水が一滴もないのである。

 川底と思われる所は薄茶色の土がむき出しになり、ひび割れたガラスのような模様が一帯に広がっていた。川に水があったことをかろうじてうかがわせるのは、白鳥の形をしたレジャー用のボートだ。まるで陸地に打ち上げられた魚のように、船は土の上に船底を乗せた無残な姿をさらしている。現地の報道によると、川が枯れるようになったのは2000年代の初め頃で、いまではほぼ全域で枯渇しているという。川に水が流れている時はあっても上流のダムが開放されるわずかな間で、1年のうち多くても10日間余りらしい。

出番のないボート

 イラン国内でもイスファハンは特に雨が降らない地域だ。年間降水量は2020年までの30年間の平均をもとにした平年値で148ミリといい、東京の1割にも満たない。私が訪問した時の雨量はその平年値をさらに下回り、歴史的な少なさだとも報じられていた。

 雨は降らない。雨が降っても気温が高くて瞬く間に蒸発する。このような悪循環に水の消費量の増加が追い打ちをかけてきた。街中心部や周辺の人口は増えていて、産業も発展してきたことが背景にあるのだ。こうして川が枯渇したとみられている。

 取材を続けていると、別の意味でびっくりする光景に出くわした。郊外の幹線道路を車で走っていると、小松菜のような青々とした菜っ葉が栽培されている農地を見かけた。また、世界遺産のイマーム広場や周辺の公園、街頭の樹木や芝生も、きれいな緑に覆われている。そこへホースで絶えず水を撒く作業員たちがいる。使える水はほとんどないはずなのに、どういうことか。

 答えは、地下水だった。枯渇した川に頼れなくなると、地元の人たちは他に水源を求め、井戸を次々に掘るようになったのだ。しかし、地下水を汲み上げることは、地盤沈下という新たな問題を招いていた。あと10年で住めなくなると言われるくらい、イスファハンは新たな危機に直面していた。

■地盤沈下の無人住宅街

 ザーヤンデ川から北へ7キロ、実際に地面が陥没した現場へ向かった。ハーネ・イスファハンという地区の一角に住宅街がある。不動産業を営む関係者に案内を頼み、住宅街のゲートの中に入った。一区画あたり平均500平方メートルの広さで、庭付きの2〜3階建ての戸建てが整然と並ぶ。

ハーネ・イスファハン

 だが、生活のにおいがしない。それもそのはずで、9割は空き家だという。家屋を囲む塀は傾き、ひびが入っているところが目立つ。住宅の前を通る濃い灰色をしたアスファルトの道路もひび割れていて、折れ線グラフのような亀裂が数10メートルにわたって何本も走っていた。波を打って盛り上がっている所も目につく。いずれも地盤沈下の影響とされている。

 ここの住宅を扱う不動産仲介業のシーナ・アリハニ(30)に話を聞いた。

 「家を売って違う場所に引っ越す人は増え続けているのですが、新たな買い手を見つけるのは難しくなるばかりです」

 この地区で地盤沈下が起きるようになったのは4〜5年前からで、それに伴って家の購入者が見つからなくなっているという。

 「地区全体で地盤が下がることになっていけば、本当に住めなくなります。仕事や住まいを変えないといけない日が来るのは、私にとっても目の前に迫る現実です」

 川は干上がったまま、足元の地面が沈み続けるのを見過ごすのだろうか。テヘランに戻った私は、水問題を担当する鉱工業省に取材を依頼した。指定された時間に庁舎の執務室で待っていたのは、副大臣のアリレザ・シャヒディだ。彼自身、地質学の専門家で博士号を取得していて、国内で地盤調査した結果をまとめた著作もある。現状の問題について尋ねた。

 「我が国で消費される水のうち9割は農業用ですが、そのうち半分は有効活用されていません」

 ダムや貯水池、用水路や送水管を造る。それらを修繕する。いずれも必要なことなのに予算が限られ、十分に手をつけられていないそうだ。イスファハンで地盤沈下が深刻になっている理由も尋ねた。

 「行政の許可を取らずに井戸を掘り、違法に地下水を汲み上げているからです。ただ、それはイスファハンに限った話ではなく、実は国内全域の問題なのです」

 国として把握できている分だけでも、国内には井戸が90万カ所あり、うち4割超は違法に掘削されたものだという。

 「イラン国内の全31州にある平野部609カ所のうち400カ所で地盤沈下が起きています。沈下が進む深さは平均すると年5〜6センチです」

 イスファハンでは平均の3倍、年18センチに達するといい、副大臣は「あの地域は本当に危機的な状況です」と述べた。イスファハン以外の地域でも地盤沈下に伴う道路の歪みや建物の傾きといった例は報じられている。政府は事態の悪化を防ごうと、ひとまず違法な井戸を塞いでいるそうだ。

 水不足の対策はないのか聞くと、副大臣は「海水を淡水化する技術の成否が、私たちの将来を左右します」と答えた。イランは南西部でペルシャ湾、南部でオマーン湾に面している。そこで採取した海水の塩分を取り除けば、飲み水など日常で使えるようになる。そうして処理した水を内陸部に送る計画があり、2019年頃から進めているそうだ。

 確かに、近隣のサウジアラビアやアラブ首長国連邦、カタールといったイランと同じように砂漠が広がり、雨の少ない国々では、海水を淡水化することが定着している。いずれの国も主に豊富な原油や天然ガスの輸出によって財源を生み出し、淡水化の事業を進めてきた経緯がある。ただ、淡水化には多くのエネルギーが必要で、環境に負荷がかかっていることはおさえておきたい。

 そうした湾岸諸国に比べて財源が乏しいイランでは、話が簡単に進みそうにない。それでも、現状では淡水化の計画を進める以外に、水不足と地盤沈下を止める道はなさそうだ。

「事業を進めるうえで日本の研究機関の協力も得たいと思っています。必ず成功させたいです」