離乳の季節がやってきました。2023年に入ってから生まれた当歳馬と母馬のお別れの時期ということです。生まれてから半年しか経っていないタイミングで、親離れ、子離れするのですから、少し残酷にも思えますが、これもサラブレッドの宿命なのですね。離乳したあとは、もう2度と親子が会うことはありません。ということは、一生のうちに親子が一緒に過ごせるのは、わずか半年のみ。生まれてから30年近くも親と一緒にいた僕からすると、サラブレッドは厳しい世界に生きているのだと思います。短くとも長くとも、親と子が一緒にいられる時間は貴重です。

碧雲牧場には今年7組の親子がいます。そのうち4組の母馬を、まずは別の放牧地に連れて行きます。少し離れたところにある放牧地ですから、声が聞こえることはありませんし、もちろん姿も見えません。いきなり全ての親と子を一斉に引き離すのではなく、段階を踏んでいくということです。母馬がいなくなった4頭の当歳馬はパニックになりますが、残された3組の親子は、これまでと同じようにのんびりと生活を送っています。そこで少しパニックが緩和されるというか、群れの中にいると集団心理も働いて、当歳馬たちもしばらくすると落ち着きを取り戻し始めます。

ダートムーアの娘は2月に生まれていることもあって、最初の4組に選ばれました。抜いていく順番としては、早く生まれた分、精神的に安定している馬であったり、その馬の性格なども考慮して、この馬なら最初に親離れしても大丈夫だという馬から選ばれます。さすがの大人しいダートムーアの娘も、昼夜放牧から帰ってきて、ひとりで馬房に入ったときは寂しくて2日間、鳴き続けたそうです。

その間、飼い葉を食べなくなってしまったそうですが、3日目には平らげてくれたので安心したとのこと。離乳の期間は、飼い葉を全く食べなくなってしまう馬もいて、それが長引くと身体はやつれ、ボディコンディションが一気に落ちてしまいます。離乳をどう乗り切るかも、競走馬としての第一歩を踏み出すために大切なことなのです。第一関門と言っても良いかもしれません。

次に残された3組のうちの、2組の母馬を抜きます。そうすると、1頭だけ母馬が残ります。母馬を抜かれてしまった3頭の当歳馬はパニックになるのですが、最初に離乳した4頭と残された1組の親子は落ち着いているため、次第に慣れていきます。そして、最後に1頭の母馬も抜いて、ようやく離乳が完了となります。当歳馬同士の放牧地と繁殖牝馬同士の放牧地に完全に分かれるということです。これから当歳馬たちは、自分たちのコミュニティの中で生きることを覚え、一緒に走り回ったり、遊んだり、喧嘩をしたりしながら、社会性を身に付けるのです。子どもたちだけになる分、怪我をしたりするリスクも当然上がりますが、それは大人になっていく過程で避けられないものです。

碧雲牧場は3段階を踏んで離乳をしていますが、大手の牧場はリードホースをつけて4段階を踏むこともあるそうです。最後に誰の母馬でもないリードホースと当歳馬だけが残って、当歳馬たちのことをしばらく見守る役割をリードホースが果たすということです。当歳馬だけで問題ないとなれば、リードホースも抜かれるという流れです。

今は段階を踏んで離乳するのが主流ですが、かつてはそうではありませんでした。ある日、突然、一緒にいる親子の馬房から当歳馬だけを連れ出します。そして別の馬房に閉じ込めてしまいます。別の馬房といっても、それほど遠くにあるわけではないので、仔馬が鳴き叫べば、母馬にもその声は聞こえます。それに応じて母馬がいななけば、仔馬にもその声は届きます。それでも母馬はもう側にいないので、仔馬は暴れ狂います。

碧雲牧場でも昔は仔馬が暴れて、馬房の窓ガラスを割ってしまったりしたこともあったそうです。鳴いて、暴れて、精魂尽き果てたらやっと離乳が終わりという苛酷なやり方でした。当歳馬にとっての負担も大きく、繁殖牝馬のコンディションも落ちますし、それを見守る人間も辛いですよね。それに比べると、今の段階的なアプローチは負担も最小限で、危険も少なく、理にかなっている方法だと慈さんは言います。

離乳が終わって、秋から冬を越し、春に向かっていく中で、サラブレッドはグッと大きく成長します。来年になると、セレクションセールの審査も控えていますので、ここからどれだけ馬体が成長するかが大切です。離乳でガリガリに馬体が痩せこけてしまうようでは、最初の一歩でつまずいてしまうことになりかねません。全てが順調に行く馬などはほとんどいないと思いますが、何ごともなく無事にと願ってしまうのは親心なのでしょうか。それとも僕のエゴや欲なのでしょうか。遠く離れたところから、僕はダートムーア親子とスパツィアーレ親子の幸せを願うのです。

(次回に続く→)

著者:治郎丸敬之