(写真はイメージ/GettyImages)

 元朝日新聞記者・神戸郁人氏は「人財」という言葉に対して持った違和感を、52年分の419冊の経済系書籍を分析し、考察している。それらを通じて見えてきたのは、生き残りを賭けた過酷な競争に打ち勝つため、企業が働き手にかける切実な願いだった。神戸氏の著書『うさんくさい「啓発」の言葉』から一部を抜粋して解説する。

■「人材」じゃなくて「人財」?

 当社は「人財」をお待ちしています—。求人広告などを読み、そんな文言が目に入った経験はないでしょうか。「『人材』の誤記?」と思いきや、さにあらず。アルバイトの採用基準から事業説明まで、企業が発する様々な情報に含まれているのです。地下鉄の広告で、偶然目にした筆者は、その使い方に疑問を持ちました。 

 「一体、誰にとっての、何のための『財』なんだろう?」

 「人財」という言葉について、企業活動と切り離して語ることはできません。もしかしたら、景気の変化と、言葉としての広がり方は関係しているのではないか。そう考えて、国会図書館で経済関連の専門誌や単行本を調べてみました。

 1968〜2020年の52年間に発行された計419冊[稲田 遼祐3] を読み込む中で、筆者は「会社は人なり」という言葉を、たびたび目にしました。企業活動を営む上で、働いてくれる人々は不可欠であり、大切にしなければならない。そんな意味合いで用いられ、「人財」とセットで登場することも珍しくありません。

 なるほど、とうなずきつつ、微かな違和感も覚えました。「働き手を緩やかに選別する意図はないのだろうか」と。企業が事業を続けるため、業務の効率化や、生産性向上を図るのは当然です。労働者に対して、職務に必要な力を高めるよう求めることも、何らおかしくはありません。一方で働き手は、仕事上の成長を絶えず要請されます。このメッセージを重く受け止め過ぎると、過重労働や生きづらさにつながりかねません。これは既に、多くの人々が実感するところでしょう。

 筆者はこれまで、いわゆる「自己啓発本」にまつわる取材も続けてきました。多くの書籍に共通するのは、現状維持の否定と、行動や習慣を変えることの意義を説く点です。

 自らの意見に同調し、従えば、より豊かに生きられる—。自己啓発本の著者たちは、読者にそう迫ります。これは見方を変えれば、著者らが理想とする「人財」像に、読み手自身を適合させる要求とも言えます。心のありようは、意志により操作可能である。同様の主張は、今回分析した経済誌にもみられました。ビジネス的・自己啓発本的な思考は各々、相似形をなしているのです。

■ 「人財」表記に企業が込めた願い

 こうした図式は、インターネット空間にも見いだすことができます。例えば、著名人などが組織するオンラインサロン。ビジネスプランの考案といった、様々な課題をこなし、起業を始めとした「独り立ち」を目指す。そんな趣旨で運営されることが少なくありません。

 一方、「主宰者に認められたい」との思いが、参加者を振り回すことも。終わりなき承認競争の中で疲れ果て、心をすり減らした末、退会した経験談をブログなどにつづる人も存在します。「認められたい」という欲求を煽るスパイラル。SNSのタイムライン上に流れてくる「結婚した」「有名企業に転職できた」といった友人・知人の近況報告が、それを一層増幅させていきます。

 「人財」を巡る考え方も、よく似た色彩を帯びているかもしれません。企業に対し、「成長できるか」「仕事ができるか」という観点から、働き手の人間性を評価するよう促すからです。その結果、労働者たちは、企業が求める「人財」の指標に縛られてしまいます。このような特徴を持つ点で、「人財」は一連の自己啓発的な営みと、地続きであると言えそうです。

 日本経済が漂流する時代に成長した、「人財」という概念。それは組織の生き残りを賭け、労働者の雇用と、「どれだけ業務に役立つか」という功利的視点とを両立させたい、企業側の「選民主義」を象徴しているように思えます。この言葉の呪力と向き合うことは、社会の閉塞感のありかを診断する、一つの手立てになるのではないでしょうか。