<前編のあらすじ>

コロナ禍に父が亡くなり、武蔵野市内の実家には75歳になる母がひとりで暮らしています。

南米駐在中にコロナ禍にぶち当たり帰国時期が大幅にずれ込んでしまった私は、時々電話で母の声を聞く程度で、高齢の母の状態が気になりながら、なかなか様子を見に行くことができませんでした。

そうした事情もあり、昨年夏に帰国した時に真っ先に母のところに駆け付けたのですが、その際、母の様子が以前とあまりに違うので驚きました。

変わってしまった母親の様子

母は身長153cmと小柄ですが、5kg以上はやせてやつれた感じで、染めていた髪も真っ白になり、10歳くらい老け込んだ印象でした。料理好きで私が立ち寄った時は「貴志は仕事が大変なんだから栄養をつけないと」とテーブル一杯に手料理を並べてくれたものなのに、その日一緒に食べた夕食は文字通り一汁一菜でした。

しかし、体調が良くないのかと尋ねても「そんなことはない」と言います。記憶はしっかりしているので、認知症でもなさそうです。気になって帰宅後の週末、母が親しくしている隣の山中さんに電話をしてそれとなく聞いてみたところ、暮らしぶりもすっかり変わったことが分かりました。コロナの影響もあって外出がしづらくなり、習い事も止めてしまった母は買い物や通院以外、ほとんど家に引き籠もっているようなのです。

母はどうしてしまったんだろう。戸惑う私に妻の由季がかけたのが「お義母さん、経済的に困っているんじゃないの?」という意外な言葉でした。ファイナンシャルプランナー(FP)の資格取得を目指す妻は、講義で夫に先立たれた高齢の妻の生活が困窮しがちだという社会問題が取り上げられていたと言い、講師のFP、砂沢さんに相談してみてはどうか、と提案してくれたのです。

それはいいアイデアだと思いました。実の息子の私には話せないことでも、経験豊富な砂沢さんならうまく聞き出してくれるかもしれません。妻が早速砂沢さんに声をかけると、「任せておいて」と快諾し、翌週には武蔵野市の実家まで足を運んでくれることになりました。

FP砂沢さんのヒアリングで分かった母親の経済状況

ヒアリングを終えた日の夜、砂沢さんから私に電話がありました。砂沢さんは開口一番、「大切なことだから、メールではなくお電話でお伝えしたいと思って」とおっしゃいました。

砂沢さんが訪問した際、母とは初対面とは思えないほど話が弾んだ一方で、母は自分の話になると一転して口をつぐんだそうです。その母の感情が溢れたのが、実家の話になった時でした。

「立派なお家におひとりで住んでいらして寂しくないですか?」

砂沢さんがそう言うと、母は一瞬絶句し、その後、堰(せき)を切ったように語り出したようです。

地価の高騰で年々アップする固定資産税や庭や家屋の手入れの費用、「ガスは危ないから」と私がアドバイスしてオール電化にしたことによる電気代の負担など、この家での生活を維持していくことの大変さを砂沢さんに切々と訴えたのです。

母は親の介護で婚期を逃し、父と結婚するまで年金に未加入でした。その結果、自分の年金額は月4万円ほどで、父の死後は遺族厚生年金と合わせても11万円程度。世帯の年金は父の存命中に比べて半分近くに減ってしまい、家の維持費が大きな負担になっていたようです。

娯楽や食事の費用を抑え、入浴の回数や火を使う料理を減らしてなるべくエアコンもつけない生活を送っていたと聞き、言葉を失いました。

実家の維持と私を米国留学させたことで貯蓄はほとんどないけれど、いざという時に備えて父の死亡保険金は手を着けずにとってあると話したそうです。跡取り息子の私のために、家や父の残したお金を守り抜くことが自分の務めと考えていたのでしょう。先日のやつれた姿が目に浮かび、涙をこらえるのに必死でした。

「国本さんが今後ご実家に戻りたいという希望をお持ちなら話は別ですが、私は、お母様にご自宅の売却をお勧めしたいと思っています」という砂沢さんに、「私も是非そうしてほしいです」と伝えました。

今の部署だと定年までにあと1〜2回は海外赴任の可能性があります。その間、母をあの家に縛りつけておくわけにはいかないと思ったのです。

状況を改善するため実家を売却

幸い、母には長い年月を過ごした実家への執着はそれほどなさそうでした。砂沢さんも交えて今後について相談した結果、当面は私の家に同居し、自宅の売却資金を元手に武蔵野市の高齢者マンションを探すことになりました。

母は転勤族の私を頼るより、知人や行きつけの病院、商店街などがある地元での安定した暮らしを望んだのです。実家は現時点で2億円以上の資産価値があるとのことでした。

実際に引っ越しが決まると、引っ越し業者や片付け業者、不動産屋に至るまで、一切合切を砂沢さんが手配してくれました。引っ越しの当日には仕事の合間を縫って駆けつけてもくれました。

私の家で母の荷物を待つ間、砂沢さんは日本の年金制度について、「ネットでボロくそに言われるほどひどい制度ではないけれど、お母様のようなご高齢の寡婦への配慮が足りないといった穴はたくさんある。私たちが声を上げて制度自体を変えていかないといけないんです」と熱く語ってくれました。

聞けば、砂沢さんは会社員時代に社会保険労務士の資格を取って独立し、その後、資産運用の知識の重要性を痛感してFP資格も取得したのだそうです。利用者目線で制度を分析し分かりやすい言葉で教えてくれる砂沢さんに、機会があれば話題の新NISA(少額投資非課税制度)のことも聞いてみたいなと思いました。

ようやく母親に笑顔が戻る

それから半年。武蔵野市の高齢者マンションに移った母は少しふっくらして髪も染め、以前より若返って見えました。最近では好きな映画を見に行ったり、習い事を復活したりして楽しんでいるようです。

驚いたのは喜寿直前にしてパソコンを使い始め、由季と一緒に証券会社に口座を開設しNISAデビューを果たしたことです。どうやら砂沢さんから助言を受けているらしく、私は完全に先を越された格好です。

オンライン通話でも笑顔が絶えない最近の母を見ると、砂沢さんや、砂沢さんとの出会いのきっかけをつくってくれた由季には感謝しかありません。

※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。