世界で認めてもらえるモモを作る―。米国ワシントン州出身で福島県桑折町在住のアンソニー・ギランさん(38)は、町内で栽培に乗り出す。住民との触れ合いを通じて愛着が湧き、後継者不足にあえぐ産地のために決心した。今月から福島市飯坂町の県農業総合センター果樹研究所で学び始め、ゆくゆくは町内で独り立ちするつもりだ。町に住み続け、英語を生かして世界に町産モモの魅力を発信する取り組みも考えている。


 ギランさんは、柔らかな陽光を浴びて咲き誇るモモの花を真剣な顔でのぞき込み、色づきを確かめた。研究所内の農場。桑折町の英会話教室で働きながら週5日、来年3月まで栽培方法を学ぶ。「新しいことをどんどん吸収できる」と、流ちょうな日本語で話し、目を輝かせた。

 日本のバラエティー番組やアニメのファンだった。地元の大学を卒業後、2008(平成20)年8月から桑折町の外国語指導助手(ALT)として憧れの国で生活を始めた。着任日、旬を迎えたモモ「あかつき」の極上の味わいでもてなされた。米国にはない甘さとみずみずしさに感動したのを鮮明に覚えている。

 そんな果実を育める豊かな自然の桑折町に、たちまち引き付けられた。毎週末、学校の保護者から食事に誘われ、異国の地で寂しさを感じることもなかった。地元の人々の温かさに心が満たされた。

 こよなく愛している地域が抱える問題に直面したのは5年ほど前。当時、務めていた伊達市国際交流員の仕事で農家を取材した際、モモ農家が高齢化し、減少している現状を目の当たりにした。

 「このままでは、モモ作りが先細りしてしまうのではないか」。人生の節目に味わい、新たなスタートの活力を与えてくれたフルーツを守りたい一心で農家への道を歩むことを決めた。

 果樹研究所での研修を終えた後は、町内の農家のもとで働きながら、独立を模索する予定だ。

 高齢化した生産者が引退し、良質なモモの果樹が放置されたままになっている桑折町の問題も知った。「行き場のない畑を引き継ぐことで、町の農業を後世につなぎたい」と話す。

 インターネットや交流サイト(SNS)を通して桑折のモモのおいしさを英語で海外に伝える活動にも力を入れようとしている。「自分を受け入れてくれた恩を桑折の人々に返したい」。照りつける日差しを浴びて成長する果実を思い描き、笑みを浮かべた。