1950年代初め、作家の内田百[ひゃっ]閒[けん]が上野駅から東北本線に乗り込んだ。福島駅に降り立ち、近くの旅館に泊まる。支払いの段になり、心付けの茶代を渡そうとすると、接客の女性が言った。〈こんな物はいらない。およしなさい〉▼随筆「第一阿房列車」(新潮文庫)にある。出したお金を引っ込めるわけにもいかず何度も促したが、決して受け取らない。後にも先にも、これほど拒否されたことはなかった。結局は諦めて〈心事の高潔なるを崇拝しつつ〉と最高級の賛辞をしたためた▼特に目的はないし、誰もが知る有名観光地は訪ねない。ただ汽車に乗り、酒を飲む。旅のためなら借金もいとわない。出会った人をくさすことはあっても、めったに褒めることはない。そんな頑固者が褒めたたえた人物が地元にいたと思うと、ちょっぴり誇らしい▼宿は駅前にあった辰巳屋旅館らしい。後に辰巳屋ビルに建て替えられ、それもすっかり取り壊された。跡地に建設される再開発ビルへのホテルの誘致は見送られるという。それでも、偏屈な人柄で知られた大作家を感嘆させた記念の地だ。彼女のようなおもてなしの心は残しておいてと、泉下で願っているに違いない。<2024・5・2>