●FW:鈴木優磨(すずき・ゆうま)
 J1リーグ8回、天皇杯5回、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)1回などの優勝を誇る鹿島アントラーズ。そんな「常勝軍団」が歴史を築き上げていく中で、下部組織出身選手たちの輝きは欠かせなかった。今回は厳選した鹿島アカデミーの「最高傑作」たちを紹介する。(ホームグロウン選手が選出対象。在籍期間、通算成績は5月23日時点のデータサイト『transfermarkt』を参考)
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生年月日:1996年4月26日
在籍期間:2015年2月〜2019年7月、2022年1月〜
クラブ通算成績:250試合77ゴール42アシスト

 いまや鹿島アントラーズの象徴的な存在となった鈴木優磨は、同クラブのアカデミーが育てた傑物である。

 千葉県で生まれた鈴木は、小学生の時に鹿島アントラーズジュニアに加入。そこからジュニアユース、ユースと順調に昇格していき、2015年9月に行われたガンバ大阪戦でJリーグデビューを果たした。この試合では後半アディショナルタイムにプロ初ゴールを挙げており、その才能の片鱗を見せている。

 翌2016シーズンは飛躍のシーズンとなった。鈴木はリーグ戦31試合に出場し、8ゴールを奪ってJ1優勝に貢献。FIFAクラブワールドカップ準決勝、アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)戦では、ゴール時にクリスティアーノ・ロナウドのゴールパフォーマンスを披露したことで大きな話題を呼んだ。

 そんなエースストライカーは、クラブ史上初のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝(2018年)を置き土産にして、2019年にシント=トロイデン(ベルギー)へ移籍。約2年半をベルギーで過ごしたのち、2022年に愛する古巣へ復帰している。

 復帰後の活躍は言うまでもない。得点だけでなく、ポストプレーなどチームの攻撃の核として献身的なプレーを見せている。いまやJリーグで彼以上の万能型FWを探すことは至難の業だろう。昨季はキャリアハイとなるリーグ戦14ゴールをマークし、シーズン終了後には「Jリーグ優秀選手賞」を受賞した。

 言動やファールの多さから気難しい選手と思われがちだが、彼が誰よりも鹿島の勝利を願っていることはプレーを見れば良く分かる。ゴール前での抜群の決定力、どこまでもストイックな姿勢は、「常勝軍団」に求められる勝者のメンタリティーの表れだ。

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●MF:野沢拓也(のざわ・たくや)
生年月日:1981年8月12日
在籍期間:2000年2月〜2012年2月、2013年1月〜2014年8月
通算成績:410試合86得点51アシスト

 「ミスター・クライマックス」という異名をもつ野沢拓也は、長く鹿島アントラーズで活躍したMFだ。

 ジュニアユースから鹿島に在籍していた野沢は、1999年に2種登録選手としてJリーグデビューを果たす。17歳7ヶ月30日での大抜擢は今なお破られていないクラブ史上最年少記録だ。その後、ブラジルへの短期留学を経て、2000年にトップチームへ正式昇格している。

 プロ入りからしばらくは小笠原満男や本山雅志といった強烈な存在もあってなかなか出番を掴めなかった。しかし、大きな転換点となったのが2005シーズンだ。右ウィングとして起用されるようになるとプレータイムが大幅に増加し、一気にレギュラーの座を掴み取った。翌2006シーズンには日本代表にも招集されている。

 その後、野沢は2007シーズンより小笠原が付けていた背番号8を継承。それまでどのクラブも成し遂げられなかったJリーグ3連覇に貢献するなど、重みのある番号に恥じない素晴らしいパフォーマンスを発揮した。「ミスター・クライマックス」という異名が付けられたのは、同選手がタイトル争いの激しさが増すシーズン終盤戦、すなわちクライマックスに滅法強いことからである。

 最終的に、鹿島では公式戦410試合に出場した。2020年に現役引退を発表したレジェンドは、2022年6月にクラブの発展に貢献した人物に贈られる「アントラーズ功労賞」を受賞している。

●MF:土居聖真(どい・しょうま)
生年月日:1992年5月21日
在籍期間:2011年2月〜
通算成績:461試合75得点50アシスト

 山形県で生まれた土居聖真は、小学校卒業後に鹿島アントラーズのジュニアユースに加入した。同選手はその後ユースチームでのプレーを経て、2011年にトップチームへ昇格。そこから今季まで、14シーズンに渡って鹿島でプレーを続けるワンクラブマンだ。

 そんな長く鹿島で活躍する土居だが、トップチームデビュー後すぐに定位置を掴めたわけではない。同期の柴崎岳とは異なり、在籍3年目となる2013シーズン後半戦からようやくレギュラーに定着した。2015年には小笠原満男や野沢拓也が付けた背番号8を継承している。

 2016シーズンにはJ1制覇に大きく貢献し、翌2017年には清武弘嗣の離脱に伴う追加招集という形ではあったものの、日本代表初選出を果たした。主にトップ下やサイドで起用されているが、センターフォワードやサイドバックとしてもプレーできる。高いサッカーIQとスキルを武器に、様々なポジションで輝きを放ってきた。

 先日32歳の誕生日を迎えた土居は、クラブの歴代出場試合数ランキングで5位にランクインしている。これは現役選手の中ではトップの記録だ。

 今季はここまでリーグ戦9試合に出場。そのうち先発出場は3試合と出場時間は限られているが、このバンディエラがチームに欠かせない存在であることは間違いない。土居は愛する鹿島での出場記録をどこまで伸ばしていけるだろうか。

●FW:上田綺世(うえだ・あやせ)
生年月日:1998年8月28日
在籍期間:2019年7月〜2022年6月
通算成績:103試合47ゴール5アシスト

 日本のエースFWへの道を着実に歩んでいる上田綺世もまた、鹿島アントラーズのアカデミーが育てた才能である。

 現在25歳の上田は、茨城県北地域を活動拠点とする鹿島のノルテジュニアユースで中学時代を過ごした。ノルテからユースへ昇格できなかった上田は鹿島学園高校、そして法政大学へ進学している。法政大学体育会サッカー部に入部した同選手は、大学2年生の時に全日本大学サッカー選手権大会優勝を経験。その活躍が認められて、2021シーズンからの鹿島加入内定を掴み取ると、2019年に法政大サッカー部を退部し、前倒しという形でトップチームの仲間入りを果たした。

 ルーキーイヤーとなった2019シーズンは、リーグ戦13試合に出場し4ゴールを記録した。及第点以上の活躍を残すと、翌2020シーズンはリーグ戦26試合で10ゴール。その得点頻度は115分であり(データサイト『Sofa Score』参照)、上田の高い得点力が光るシーズンとなった。最終的に2022シーズンまでの4シーズンを鹿島で過ごし、103試合で47ゴールを奪っている。

 その後、同選手はベルギーのセルクル・ブルッヘに完全移籍。リーグ戦40試合で22ゴールと、Jリーグ時代に引けを取らない決定力・シュートの巧さを披露し、わずか1シーズンでフェイエノールト(オランダ)へステップアップしている。

 そのオランダの強豪クラブでは今季、同じポジションを争うライバルのサンティアゴ・ヒメネスの後塵を拝してきた。終盤からピッチに立つ試合が続いていたが、直近に出場したリーグ戦4試合では、3ゴール2アシストと素晴らしい数字を残している。

 フェイエノールトは今季限りでアルネ・スロット監督が退任することになったが、新たな監督の下で上田の扱いに変化はあるのか注目だ。

●DF:町田浩樹(まちだ・こうき)
生年月日:1997年8月25日
在籍期間:2016年2月〜2023年6月
通算成績:116試合8得点3アシスト

 日本のゴールを守る門番へと成長した町田浩樹は、鹿島アントラーズユース時代からその才能に注目が集まっていた。

 茨城県で生まれた町田は、2015年に鹿島ユースのプレミアリーグEASTと高円宮杯U-18サッカーリーグチャンピオンシップ制覇に大きく貢献。守備の要としてクラブに初の栄冠をもたらした。同選手はその翌年、トップチームへの正式昇格を果たしている。

 将来有望な若手CBとして大きな期待を受けていた町田だったが、プロ入り当初は試練続きだった。2016シーズンは公式戦の出場がわずか2試合に留まると、翌2017シーズンは大きな悲劇が。5月に行われた第12節の川崎フロンターレ戦で「右膝前十字靭帯損傷」の怪我を負い、ほぼ1年間戦列を離れることになってしまった。失った前シーズンを挽回したい2018シーズンも満足いくプレータイムを確保できず。苦しい3シーズンとなった。

 しかしながら、昌子源が退団したことも影響して2019シーズンからは出場機会が大幅に増加。2021シーズンにはリーグ戦34試合に出場と主力に完全定着し、DFながら5得点もマークした。

 大きな自信を掴んだ町田は、2022年のウィンタートランスファーでユニオン・サン=ジロワーズ(ベルギー)へのレンタル移籍を決断。昨年3月に同クラブへ完全移籍することが発表され、今季は不動のレギュラーとしてリーグ戦30試合に出場している。

 身長190cmの恵まれたフィジカルを活かした力強い守備、そして左利きという特徴は、数多のタレントが揃う日本代表の中でも唯一無二の魅力を放っている。さらなるステップアップが楽しみな、鹿島アカデミーの最高傑作だ。

●GK:曽ヶ端準(そがはた・ひとし)
生年月日:1979年8月2日
在籍期間:1998年2月〜2021年12月
通算成績:739試合824失点

 鹿島アントラーズの守護神と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは曽ヶ端準だろう。言わずと知れた、鹿島アカデミーの最高傑作の1人だ。

 ユースから鹿島でプレーする曽ヶ端は、1998年にトップチームの一員に。同期加入の選手には小笠原満男、中田浩二、本山雅志ら錚々たる顔触れがそろっている。すぐに定位置を確保とはならなかったが、2001シーズンに高桑大二朗からポジションを奪うと、以降レギュラーに定着。守護神として「常勝軍団」のゴールを守り続けた。

 プロキャリアの全てをささげた鹿島では7度のJ1優勝、4度の天皇杯優勝、5度のリーグカップ制覇、そしてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝と数多くのタイトルを勝ち取った。また、リーグ戦では244試合連続フル出場(2007年10月から2014年12月まで)という驚異的な数字を残し、これは未だ塗り替えられていないJ1記録の1つとなっている。

 2020シーズン終了をもって現役引退を発表した曽ヶ端は、最終的に鹿島で739試合に出場した。後にも先にも、鹿島でこの成績を上回る選手が現れることはないかもしれない。