●『どこで契約のサインをすればいい?』

「東欧最強クラブ」と呼ばれるウクライナのサッカークラブシャフタール・ドネツク。チーム関係者の膨大な証言を通して、知られざる流浪の英雄たちの戦いに光を当て、ウクライナ最強クラブに熱源に迫った『流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない』より「ブラジル人」を一部抜粋して公開する。(文:アンディ・ブラッセル、訳:高野鉄平 )

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 そこには明らかに持続的なサイクルがあった。まず何人かのブラジル人がやって来れば、別の選手たちがその後に続くのは容易になっていく。

 だが当初は、ウクライナ・プレミアリーグは無名であり、シャフタールも国際的にさほど知られてはいなかったため、その状況を克服するため何らかの工夫が必要となった。

 そこで、ルチェスクの古くからの盟友、フランク・ヘヌダの出番である。ヘヌダはシャフタールのために選手を集め、ブラジルとの間でパイプラインを構築することで大きな利益を上げていた。

 彼は2020年に『So Foot』に次のように語っている。

「素晴らしい練習場を撮影した。ドンバス・パレス(ホテル)や、その隣の広場も撮影しにいった。最高のレストランもいくつか。素晴らしい場所で練習できること、家族もしっかりケアを受けて満足できるような小さな街で過ごせることを選手たちに見せるためだ」。

 もちろん、金銭面のインセンティブもあった。ウクライナの最高税率が、例えばフランスやスペインと比べて著しく低いことも好都合だった。

「ルチェスクと、それから会長と一緒に資金計画を練った。一定の金額と大きなボーナスだ」とヘヌダは語る。 

 適切な紹介を行うことが必須だった。「外国人選手がやって来ると、彼らはウクライナやドネツクについてあまり知らないことが多かった」とセルゲイ・パルキンは言う。

「だから彼らにとって、どのような街で過ごすことになるのか理解できるのは大事なことだった。練習場やスタジアムに連れて行くと、彼らは『どこで契約のサインをすればいい?』(と訊ねてきた)。

 我々がプロ意識を持って深くサッカーに関わっていることがわかるからだ。これは大きなプロジェクトなのだということを理解してもらえた」。

 例えばウィリアンも、そういった部分に惹きつけられたと話している。

 当時のフランス王者(そしてチャンピオンズリーグ常連チーム)であるリヨンから好条件のオファーを受けていたにもかかわらずだ。

「実際のところ、他のクラブからのオファーはそんなに多かったわけではない。フランスからひとつだけだ。シャフタールに行くことを決めたのはプロジェクトが理由だった。当時は(すでに)何人かブラジル人もいたから」

 ウィリアンもまた、シャフタールの魅力を存分に見せつけられた。念入りに施設を見て回り、周辺環境を知ることができた。

「契約のサインをする前に、向こうに行って3日間を過ごした。施設を見学したり、街中も含めていろいろなものを見たり、クラブについてもっとよく知ることができた。それからサインをすることに決めた。自分にとって良い選択肢になると思えたから」。

 パルキンはずっと自信を持ち続けていた。

「ドネツクでは、彼らにとって本当に良い環境を整えることができた。選手たちは素晴らしい家に住んで、素晴らしいスタジアムでプレーできた。時折滞在するホテルも良いところだった。

 とても良い練習場もあった。ドネツクで我々は、サッカーの街といえるほどのものを作り上げた。すべてが、良い選手たち、良いクラブ、良い結果を得ることを中心に据えて仕立て上げられたものだった」

(文:アンディ・ブラッセル、訳:高野鉄平 )