今は憲法改正もあり、何でも男女平等という風潮ですが、昔は少し違いました。特に昭和の一桁時代は「亭主関白な夫と家庭を支える妻」というふうに、役割分担されている家庭が多かったのです。
少しずつ男女平等になっていく中、筆者の家庭は少し古風なままだったのですが、ある変化が……。何があったのか筆者の体験談をご紹介します。

超亭主関白!! 子どもから見ると異様な父

私の家庭では、父が超亭主関白な人でした。

「俺は外で稼いでるのだから、家事育児はお前の仕事。」
「誰が飯を食わせてやってるんだ!」

3人兄弟の私達をしっかり育ててくれた母は、度々父と喧嘩をしていました。
夫婦で役割分担していたようですが、父は少々時代遅れな夫だったのです。

どのレベルかと言うと、冗談ではなく自分の靴下の場所すら分からない人でした。
着替えから何からの用意を全て母にさせて、心なしか偉そうに仕事へ向かうのです。

私は子どもながらに、父のそういった態度が不思議でなりませんでした。

「何でも自分で出来るようになりなさい」

そう育てられたので、父に対して「何で自分でやらんのやろ」としか思わず、何も自分でしようとしない父親に嫌悪感すらあったのです。

淡々とした2人の関係。そういう夫婦もあるのかも?

「離婚してやる!」という喧嘩を何度も見た事はありましたが、結局離婚することなく子ども達は全員巣立ちました。
育児という負担がなくなり、やっと母も一息つける状態になったのです。

元々家事育児をしっかりこなしていれば、母が何をしても文句は言わない人だったようです。
自由を手に入れた母は、ジムにエステに友人と旅行など、思う存分に楽しんでいました。

父の態度は相変わらずでしたが、何十年も付き添っている母は慣れたもの。
父の用意を全てしてから遊びに行く。
そんな風にして、上手く暮らしていたのです。

しかし、ある事がキッカケで2人の関係は変わっていくことに……。

今更ながらに亭主関白を自覚した!? 変わっていく父にホッコリ

ある日、母の親戚の急逝で、母だけが急遽田舎へ帰ることになったのです。
突然だったため、もちろん父の事は放置して母は田舎へ。

今まで何もかもをしてくれた母が突然居なくなったことで、父は自分の事が何も出来ない事に気付いたのです。
今まで子ども達には「自分の事は自分でしろ」と厳しく教えてきたのに、自分は靴下の場所すら分からない。
今更ながらに「母に頼り過ぎていたのかも」と、ハッキリ思ったのだそう。

現在父は定年退職して数年経ちますが、なんと身の回りの事を全て自分でやっています。
そんなこと当たり前だろ! そう思われるかもしれませんが、父にとっては物凄い変化なのです。
さらに掃除機と風呂掃除は父の担当だと聞いて、私達兄弟はかなり驚きました。

母は家事の負担が減って楽そうだし、私達が小さい頃より夫婦仲が格段に良くなっているようでした。
このまま2人で協力して、幸せに暮らしてほしいと思っています。

まとめ

本当に何もしない人だったので、心を入れ替えたんだろうなと思いました。
母が家事を全部やってくれていたから、父は何の不自由もなく生活できていたということを、身をもって感じたのでしょう。
年老いていくにつれ丸くなった父を見て、切なくもあり嬉しくも思う出来事でした。

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Yuki.K