写真家、糸川燿史(いとかわ・ようし)さんのことを書きたい。

僕は大阪で生まれ育ち、流行り物=メインストリームよりも、今で言う〝サブカル〟寄り(要は、友だちとはちょっと違うものが好きな自分が好き)だった。10代の日々を支えてくれたのが「プレイガイドジャーナル」というB6判の情報誌。この通称「ぷがじゃ」を最初に買い出した頃は1冊100円。そこには、テレビの賑やかさとは全く違う〝渋くてカッコいい〟世界があった。

「ぷがじゃ」で知ったのは「ヒット曲や人気タレント」とは別の場所に、我が道を行くアーティストたちがいるんだ、ということで、その雑誌そのものがアートだった。

雑誌ひとつ創るのにはデザイナーがいて、イラストを描く人がいて、編集する人がいて、写真を撮る人もいるんだ、ということを知った10代の初め。憧れの人たちの中の一人が、写真家の糸川燿史さんだった。

そして僕が20歳の時。語り口が大好きになり、追っかけをしたのが桂べかこさん(現・桂南光師匠)で、とある落語会のポスターに魅せられた。当時は若手落語家の一人だったべかこさんがローラースケートで御堂筋を走っている。颯爽と、「やるでぇ〜」という意気込みの瞬間が捕えられている。

僕はこのポスターを、手売りしていたべかこさんご当人から買った。たぶん、200円で、昭和55年のことだ。

その写真を撮ったのが糸川さんだった。そこから、こんどは糸川さんを追いかけることになる。大好きなフォークデュオ「ディランⅡ」の写真本や、ご本人の著書『パラダイス街道』に飛びついて刺激を受けた。

関西のそういうシーンは狭かったから、いつの間にかつながっていて、初めてお会いした時に「あんた、いろいろやってるなぁ」と声をかけてもらった、その声を今も覚えている。

当時、僕は吉本つながりもあったので、65組の芸人たちのモノクロ写真が展示された「糸川燿史写真展―大阪芸人ストリート」という素晴らしい展覧会の場で再会した時、例のポスターを持参して、サインをいただいた。桂べかこ・糸川燿史のサインが並ぶポスターは宝物だ。

14日から大阪大学中之島芸術センターで写真展「回顧録」

今年2月、惜しくも他界された糸川燿史さんの写真展「回顧録」がきょう14日から、大阪大学中之島芸術センター4階展示室で開催される。糸川さんと話した(最後の会話になってしまった)言葉が今もはっきりと記憶に残ってる。「写真はね、トリミングなんかしたらあかんねん」。はい、わかりました。 (火曜日掲載)

■東野ひろあき(ひがしの・ひろあき) 1959年大阪生まれ、東京在住。テレビ・ラジオの企画・構成(山寺宏一&野沢雅子のFM大阪「ニュー・ノーマル・ライフ」など)、舞台脚本(「12人のおかしな大阪人」など)や演出(松平健とコロッケ「エンタメ魂」など)、ライブ企画&プロデュース(キムラ緑子と大谷亮介の「ドリー&タニーライブ」など)、コメディ研究(著書『モンティ・パイソン関西風味』など)、他幅広く活動。猫とボブ・ディランをこよなく愛するノマド。