京橋區木挽町、京橋區小田原町、銀座西

<京橋區木挽町>

なぎら健壱さんの写真集で見た木挽(こびき)町。昭和26年消滅のレアさ。見つけたら何か起きそうな気がすると思ったら、発見後本当に何か起きました。


木挽とは造材のこと。昭和24年に三十間堀が埋め立てられ銀座と地続きになったことが町名消滅の原因(写真提供:二見書房)

なぎら健壱さんを見かけたのです。それも2度。手に缶チューハイというレアさ。これは何か起きそうな気がすると思ったら、本当に何か起きました。木挽町2つありました。

<京橋區小田原町>

戦前の東京に出会える大変貴重なエリアです。空襲被害を逃れたお陰で当時からの木造建築や銅板建築が点在して存在しつづけているため、結果的に戦前の京橋區時代の旧町名も残されている傾向にあります。


令和2年11月ごろ解体の建物に発見。京橋區時代なのに文字の向きが區橋京でないのは珍しい(写真提供:二見書房)

それでも10年ほど前はそれらの建物がもっと群として残っていた気がします。この街はいつまで残るか。

<銀座西>

これは、私が実際に体験した話です。

その日私は、銀座で友人らと食事をする予定がありました。普段銀座へは銀座駅を使っていましたが、その日は何故か有楽町駅で下車したのです。

この駅は住所こそ千代田区ですが、中央区銀座の西側に接するため銀座の少し離れた最寄駅でもあります。ただ、普段使わない駅で土地勘がないため、住所を手がかりに銀座へ向かいました。

銀座インズという施設の入口で「中央区銀座西」の住所を見つけ銀座に着いたことがわかり、その後無事友人らと合流できました。食事の席では馬鹿話で盛り上がりましたが、私が銀座に着くまでの苦労を話した瞬間、友人らが怪訝な顔をしたのです。

「え? 銀座西なんて住所ないよ」

どうやら銀座西という住所は昭和43年に消滅したようなのです。でもあの施設のネパール料理店のポスターにはたしかに銀座西という文字がありました。

あの時見たあれは一体なんだったのでしょうか。

そして、そもそも私に友人はいません。彼らは一体誰だったのでしょうか。

※本稿は、『旧町名さがしてみました in東京』(二見書房)の一部を再編集したものです。