福島県飯舘村で、村の食の魅力を発信し続ける渡邊とみ子さん。原発事故による風評被害で何度も心が折れかけたが、今があるのは大切な人との約束が支えになっているからだという。

<村自慢のカボチャ>
福島県飯舘村で食品加工場「までい工房美彩恋人」を営む渡邊とみ子さん(70)。この日は、カボチャの種まきを福島県の内外からやってきたボランティアに教えていた。
「飯舘の思い入れのある品種なので、私は娘のような感じでずっと育ててきてました」と渡邊さんがいうのは、飯舘村の独自品種のカボチャ「いいたて雪っ娘」。

<必死に種をつなぐ>
震災直後に品種登録された「いいたて雪っ娘」は、しっとりしていて優しく濃厚な甘みが大きな特徴。当時、開発に関わっていた渡邉さんも、村の特産品として期待を寄せていたが、原発事故で村内での栽培ができなくなった。
渡邊さんは「そういう意味では本当に必死で。畑をできるのか出来ないのか必死でした。答えがないまま避難先で畑を借りて、開墾をして種をつないだ」と話す。

<風評…もうやめようか>
種を絶やさないために、手探りで始めた避難先の福島市松川町での栽培。放射線量の問題や風評被害がつきまとい、何度も心が折れかけたという。
「もうやめようかな、勝手にどうぞと何回思ったかわからない」と渡邊さんは振り返る。

<夫の言葉に励まされ>
そんな渡邉さんを支え続けたのは、2018年に亡くなった夫の福男さんだった。
「お前はこの何年間よく頑張ってきたって。誰も見てないかも知れないけど、俺が側で見てきて俺がそう言うのだから、それでいいだろうって言われて。励まされてここまでこれたのかなって」と渡邊さんはいう。

<夫にとっても自慢のカボチャ>
避難指示が解除された2017年に村に戻った渡邉さん夫婦。2人で村の特産品を活かした商品づくりをするという夢を叶えるため、大工だった福男さんは自宅の隣に食品加工場を建設した。
一番のヒット商品は「いいたて雪っ娘」を使ったマドレーヌ。夫婦二人三脚でつないできた味だ。
「うちの夫は60歳で大工を辞めて、カボチャを作るんだと。でも、ガンになってしまった。入院先で病院の先生とか看護師さんたちに、いいたて雪っ娘の自慢話をしてたそうです」と渡邊さんは話してくれた。

<飯舘村の”食の魅力”を伝える>
帰還後、飯舘村でお弁当の注文も受けるようになった渡邉さん。ジャガイモ、カボチャの葉、フキなど、使う食材のほとんどが飯舘産だ。村内の「食の魅力を再び広げていくこと」・・・その思いが原動力になっている。
「ここにしかないものって、あるじゃないですか。おいしい時においしいものを食べてもらいたいっていうのはあって」と渡邊さんはいう。

<渡邊さんのもう一つの夢>
そんな渡邉さんにとって、もう一つの夢がまもなく形になろうとしている。
自宅を改装しての民泊は、飯舘村での暮らしの豊かさを直接感じてほしいと、生前に福男さんが口にしていた。いまは開業準備をほとんど終え、早ければ2024年6月中にオープンを予定している。
渡邊さんは「ようやく、念願の夫との夢が叶えられたって感じです。多分ここにいて、お前頑張ったなって喜んでくれていると思います」と話した。

夫婦2人でひとつひとつ形にしてきた夢。これからも、たくさんの人に飯舘村の魅力を伝える大きな力になっていく。