バドミントンの男子シングルスで元世界ランキング1位の桃田賢斗(NTT東日本)が18日、国・地域別対抗戦、トマス杯(27日開幕、中国)を最後に日本代表を引退すると発表した。所属先を通じて「今後は日本代表からは引退したものの、競技活動は続けてまいります。国内の大会に参戦しつつバドミントン教室やイベント等へも参加し、バドミントンの発展のために尽力してまいりますので引き続きよろしくお願いいたします」とコメントした。

 香川・三野町(現・三豊市)生まれ。中学から福島に移り、富岡一中、富岡高で腕を磨いた。13年にNTT東日本入りし、14年に国・地域別対抗戦、トマス杯で日本の初優勝に貢献。日本代表として世界の舞台で戦ってきた。15年にシンガポール・オープン男子シングルスでは、スーパーシリーズ日本勢初の頂点に立ち、日本の「エース」として歩み始めた。

 リオデジャネイロ五輪で金メダルが期待されていた16年4月には、違法賭博問題で出場停止処分を受けた。競技の道を断たれかけた中で「いろんな人に支えられた。今、バドミントンをできていることに感謝しています」。17年5月に復帰後は、バドミントンは感謝を示す手段になった。

 18年の世界選手権、ジャパン・オープンでともに日本男子初優勝。その後の同9月には日本男子初の世界ランキング1位に君臨した。19年には全英オープンで初優勝。世界選手権では連覇を達成した。この年は国際大会で当時新記録となる年間11勝を挙げ、賞金は50万ドルを超えた。

 世界ランキング1位を維持し、東京五輪を目指した中、20年1月に国際大会で滞在中したマレーシアで交通事故に遭った。右目の眼窩底(がんかてい)骨折で手術。「シャトルが二重に見える」などと、競技にも影響が出た。初出場した21年の東京五輪では、1次リーグ敗退。同年11月には3年2か月維持した世界ランキング1位から陥落した。負けるたびに、強かった頃の自分の姿と比べて「変なプライドが邪魔していた」と苦しい時間は続いた。

 22年8月に東京で開催された世界選手権は2回戦、その翌週のジャパン・オープンでは初戦で姿を消した。同大会後には「もういいかな」と気持ちが折れそうになり、一時は現役引退も考えた。実家の香川に戻り原点に立ち返り、「このままじゃ終われない」と立ち上がった。

 昨年5月のパリ五輪選考レースが始まる前に覚悟を決めた。東京五輪を思い返し「いざ出てみて、緊張感だったり、試合が終わるたびに感極まりそうになるし、自分の高まりも違うものを感じた。もう一回、あのコートに立ってプレーしたい」。だが、同9月の杭州アジア大会では腰痛で欠場。思うようにレースを運べず、厳しい状況に立たされた。それでも最後まで諦めなかった。

 昨年11月の韓国マスターズで世界ツアーで2年ぶりの優勝。同12月の全日本総合選手権では2年連続6度目の日本一で、状態は上向いた。だが、今年3月の全英オープン終了時のランキングで日本勢6番手となり、最大2枠の五輪出場権の可能性が消滅した。奈良岡功大(NTT東日本)と西本拳太(ジェイテクト)が権利を確実にした。

 波瀾(らん)万丈の道のりを歩んできたエースは、新たなスタートを切る。

 

 ◆桃田 賢斗(ももた・けんと)1994年9月1日、香川・三野町(現・三豊市)生まれ。29歳。小学1年で競技を始め、福島・富岡一中、富岡高へ進み、3年時の2012年世界ジュニア選手権で優勝。13年にNTT東日本入社。15年世界選手権で銅メダル。18、19年世界選手権で2連覇。初出場した21年東京五輪は1次リーグ敗退。全日本総合選手権は6度制覇。座右の銘は「感謝」175センチ。左利き。