創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第21回は篠塚利夫。

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 80年代の安打製造機といえば篠塚利夫(和典)だ。

 1957年7月16日、東京都生まれ。銚子商2年時、春、夏の甲子園に4番・三塁で出場し、夏に全国制覇を果たす。優勝後、胸膜炎になり3か月の入院生活を強いられたが、センスを高く評価した長嶋茂雄監督の強い意向で、75年ドラフト1位で入団。

 2年目に1軍昇格し、4年目の79年、1軍定着。同年オフの伊東キャンプで鍛えられ、80年は2番・二塁のレギュラーを獲得する。81年は1厘差でタイトルを逃すもキャリアハイとなる打率・357をマーク。リーグ優勝、日本一に貢献した。

 84年、打率・334で初の首位打者を獲得し、87年には広島・正田と同率ながらも2度目のタイトル。

 90年ごろから持病の腰痛に悩まされ、92年6月、「和典」に改名。93年6月9日、ヤクルト戦(石川県立野球場)の9回2死、そこまでセ・タイ記録の16三振を奪っていた伊藤智仁からサヨナラ本塁打を放ったのは有名なエピソードだ。

 94年に持病が悪化し引退。通算打率・304という巧みなバットコントロールや、華麗な守備を誇った1軍生活18年間の経験を生かし、引退後14年間にわたって打撃、内野守備、走塁、総合コーチなどを歴任した。