米アップルが電気自動車(EV)の開発を中止するというニュースが流れ、自動車業界およびIT業界に大きな影響を及ぼすものとして注目を集めています。「次世代自動車開発」という、一大有望マーケットへの進出断念に至ったアップルの真意はどこにあるのでしょうか。その影響も含めて探ってみましょう。

 アップルがEV開発について自ら公表したことは一度もありませんが、名うての“アップルウォッチャー”であるブルームバーグの報道を中心として、2014年にアップルが自動運転を研究していることが報じられ、15年には「タイタン」のコードネームでEV開発がスタートしていると明かされました。

 その後、19年に同分野の米スタートアップ企業を買収すること、21年には韓国の現代自動車などへの生産委託に関する協議を開始したことなども報道で明らかになっていました。それが今年の1月に急展開。当初25年の予定とされていた「アップルカー」の発売が28年以降に延期されたと報じられ、さらに今般の開発中止報道に至ったのです。

 アップルのEV開発撤退に関しては、大きく3つの理由があると思われます。「全自動運転開発上の問題」「EVを巡る環境の変化」「アップルの主要事業戦略の変更」です。一つひとつ、順を追って説明していきます。

●アップルが目指した「自動車のスマホ化」

 まず、全自動運転開発上の問題についてです。アップルのEV開発は当初から、運転を完全自動化する「レベル4」技術の搭載を大前提として進めていたとされています。

 そもそもアップルは、自動車メーカーではなく、IT企業です。そのため、自社の特性を生かしたEV開発は「全自動運転下で、いかに快適なドライブ空間を作り出すか」といった視点のモノづくりになるのが必然なのです。

 アップルの「自動車のスマホ化」とも呼ぶべきEV開発は、自動車メーカー各社に、単に電気で走る自動車の開発にとどまらない流れを生んできました。すなわち、自動運転化を視野に入れた車内空間のエンタメ化やシアター化などの研究・開発です。

 ところが22年ごろから、自動運転を巡る開発環境に少しずつ変化が現れました。具体的には、自動運転への消極化です。

●相次ぐ事故で自動運転の危険性があらわに

 まず22年に、米フォードと独フォルクスワーゲンの共同出資による完全自動運転技術開発のスタートアップ・アルゴAIが清算を発表し、この分野の研究が怪しくなってきたことが感じられ始めました。翌23年初の米テクノロジー見本市「CES」では、前年まで多く見られた、ハンドルがない完全自動運転の試作車はなりを潜め、安全面を重視した現実路線への変更が目立つようになるのです。

 その理由の一つは、完全自動運転であるレベル4は開発にばく大なコストがかかるため、自家用車への搭載は現実的ではなく、コスト面で無人化のメリットが大きい商業交通サービス向けに限定すべきである――と各社の判断が移行したことが挙げられます。

 さらに問題なのが、安全性確保への懸念です。米国で22年11月24日、高速道路を完全自動運転で走行していたテスラ車が突如減速・停止し、後続の車が追突する事故が発生しました。テスラは16年に自動運転モードで死亡事故を起こしていた上、同社の完全自動運転ソフトのベータ版を配信した当日の出来事でもあり、EVソフト開発にとって非常に衝撃的な事故となりました。

 この事故に関連して、米運輸省の道路交通安全局が、テスラの運転支援基礎システムを使用した車が、過去1年間で273件の衝突事故に巻き込まれていたとのデータを公表。全自動運転のEV開発は一気に冷や水を浴びせられることになったのです。その後も自動運転を巡っては、23年10月にゼネラルモーターズ系の自動運転タクシーが人身事故を起こしたことで、さらなる危機感が増してしまいました。

 こうしてレベル4の実用化が難しいという空気が、次第に主流を占めるようになっていき、アップルの開発は遅れに遅れることとなります。最終的にはレベル4の実現を断念。当面、一部の高速道路走行を除くドライバー運転は、ドライバーが主体の運転である「レベル2」と、自動運転が主体となり始める「レベル3」の間である「レベル2+」を中心に採用する方針に切り替えたと、ブルームバーグが報道しました。

 そして、今般のアップルカー開発中止の報道です。全自動運転でないEV開発を、果たしてIT企業であるアップルが続ける必要があるのか。同社がそう考えるのは当然の帰結だったのでしょう。

●世界で進む「ハイブリッド回帰」

 アップルが自動車開発から撤退した2つ目の理由は、EVを巡る環境の変化です。年明けに、マークラインズ(東京都千代田)が調査結果を発表し、23年における世界主要14カ国のハイブリッド車(HV)の販売台数が、前年比でEVなどの伸びを上回ったことが分かりました。一時期はEV化一辺倒で動いていた自動車業界の「脱炭素化」の流れが、ここにきて大きく変わるかもしれない局面を迎えているのです。

 大きな要因の一つには、EV自体の価格の高止まりという問題があります。テスラを筆頭に、欧米のEV新車価格はまだまだHVに比べて高く、テスラの23年10〜12月の平均新車販売価格は約670万円です。ちなみに、トヨタのHV主力モデルのプリウスは、275万円から購入できます。この2倍超という価格水準の違いは、EVに対する一般消費者の購買マインドを確実に冷ましつつあるのです。

 価格面だけではなく、EVの基本的な使い勝手に関する問題も根強くあります。中でも大きいのは、1回の充電で走行可能な距離と、充電時間です。一般的なEVでは、1回の充電で走行できる距離は、以前よりは長くなったとはいえ300キロ前後とされています。東京〜名古屋間(約350キロ)を走破する場合でも、道中で1回の充電が必要になるのです。

 充電にかかる時間は、サービスエリアなどの急速充電機でも30分以上かかるため、ガソリン車のようにスタンド混雑時で5分も待てば順番が回ってくる、といったレベルの問題ではありません。米国では充電スタンドの大渋滞は日常茶飯事で、充電を諦めたEVの乗り捨ても見られるといいます。北米では、この冬の大寒波で、寒冷時に走行可能距離が極端に短くなる現象が話題になりました。寒さに弱いEV電池の特性がクローズアップされたことも、消費者にEVではなくHVを選択させる傾向に拍車をかけているようです。

●世界各国でEV開発に暗雲が立ち込める

 世界のEV化をけん引してきた中国は、国内景気の減速やEVメーカー乱立による品質低下などから、中国製EVの販売が鈍るなどして、一服感が出始めています。ドイツでは、23年12月にEV補助金が打ち切りとなり、メルセデスベンツが30年の「完全EV化」を見直すなど、EV化のスピードダウンは世界各地域で如実に表れ始めました。

 米国ではさらに減速感が顕著で、ゼネラルモーターズがEV集中戦略の見直しを公表し、フォードもEV投資の縮小を含め、資金配分の抜本的見直しを始めたといいます。来るべき大統領選で「EV嫌い」として知られるトランプ氏が再選すれば、EV支援策が一気に縮小するのではないかとの憶測も、減速感に拍車をかけている状況です。このような情勢もまた、アップルにEV開発中止を決断させる要因になったと思われるのです。

●生成AIへの対応に強い危機感

 筆者が冒頭で述べた、アップルがEV開発から撤退した最後の理由と思われる主要事業戦略の変更は、同社にとってEV開発よりも優先すべき新たな事業領域が現れたことを意味します。具体的には、生成AI分野への投資です。

 ChatGPTの登場によって、一気に生成AIが広がりました。しかし、アップルは生成AIの製品搭載で後れを取っており、23年夏以降は株価が伸び悩む状況に直面しています。この情勢に危機感を覚えたアップルは、課題山積のEV開発よりも、現状では生成AIの開発を急ぐべし、との結論に至ったと思われるのです。

 アップルは23年春から、全米の600を超える拠点で生成AI開発人員の募集を行っており、EV開発の中止による人員のレイオフとセットで、メンバーの入れ替えを狙っていると思われます。

 またティム・クックCEOは、2月の株主総会で、年内をめどに「生成AIを使い生産性や課題解決において、変革の機会を提供できるだろう」と、生成AIに関する製品・サービスをリリースする予告をしました。EV開発が無言のうちに進行していたように、アップルが開発中のプロジェクトについて公表するのは異例のことであり、生成AI開発がいかに重要性と緊急性を要するプロジェクトであるのかが、明らかになったといえるでしょう。

 アップルは、このように主に3つの理由によって、10年来の重要経営課題であったEV開発を中止するに至ったわけです。同社のEV開発からの撤退は、自動車業界各社の今後の戦略にも少なからず影響を及ぼすでしょう。アップルがEV撤退とのニュースが駆け巡った直後、日産とホンダがEV開発の協業を資本提携のない時点で急きょ発表したことも、環境の変化をにじませていますし、大きな話題を呼んだホンダ・ソニーのエンタメEV共同開発にも、何らかの方針変更が及ぶのではないかと見ています。

 さまざまな要因や関係企業の思惑が交錯して、次世代の自動車開発競争は状況が一気に混沌としてきたといえます。アップルのEV撤退が意味するところとして、EVが二酸化炭素削減に向けた次世代自動車の「絶対的な本命」ではなくなったことだけは、確かなように思われます。

(大関暁夫)