鳥山明氏の代表作『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』が人気を博していた1980年代の少年ジャンプにはもう一つ、国内外に多大な影響を与えた作品がある。それが『キャプテン翼』だ。

 『キャプテン翼』は2024年4月の雑誌掲載にて漫画連載を終了し、今後はネーム形式で公式Webサイトなどに掲載すると発表した。これを機に『キャプテン翼』の功績を振り返りつつ、コンテンツビジネスとしての成功や困難、40年間の環境変化などについて考察したい。

●「マイナースポーツ」だった日本のサッカー

 『キャプテン翼』は高橋陽一氏によって描かれたサッカー漫画であり、単行本はシリーズを通して100巻を超えるロングラン作品である。しかし、2000年代以降は前述した『ドラゴンボール』をはじめとした他のジャンプ作品と比べてメディア露出が減ったため、30代以下の層にはその功績を十分に認識されていないのではないか。

 そのため、まずは国内における当作品の功績について紹介する。『キャプテン翼』の連載が始まった1981年当時、日本におけるサッカーは静岡県や東京都町田市など一部地域で盛んだったものの、全国的にはマイナーなスポーツだった。当時の国際大会の成績を見ても、日本は“サッカー後進国”だったことが分かる。このような環境下で、高橋陽一氏がサッカーの面白さ、楽しさを伝えることをコンセプトに描いたのがこの作品である。

●「スポ根」からの脱却

 当時、スポーツ漫画と言えば努力や根性で苦しい練習に耐えることを前面に出した、いわゆる「スポ根」ものが主流であった。一方、『キャプテン翼』は練習も含めて純粋にサッカーを楽しむ様子を描き、当時の子どもたちにはサッカーという競技そのものが魅力的なものとして映った。複雑な背景や思想などは含めず、エンターテインメントに特化したことが成功要因と考えられる。

 これは前回のテーマである『ドラゴンボール』が人気になった要因とも共通する。集英社および少年ジャンプ編集部はDr.スランプ以降、それまで積極的ではなかったジャンルの漫画のアニメ化にも取り組み始めている。1983年に始まった『キャプテン翼』のアニメもその一つであり、結果として大ヒット作品となった。

 『キャプテン翼』は、単なるエンターテインメントとしての成功にとどまらず、日本のスポーツ文化に大きな影響を与えた。この作品は漫画とアニメを通じて、子どもたちにサッカーというスポーツの存在と、サッカーが楽しいことを認知・浸透させた。日本のサッカーが、マイナースポーツからメジャースポーツへと変わる土台を築いた存在の一つといえる。

 それを示す数字がJFA(日本サッカー協会)の第3種(中学年代)、第4種(12歳未満)の登録者数にある。1980年の約14万人から、1986年には約40万人へと急増しているのだ。

 JFAの登録者のみでこの数であり、学校や公園でサッカーで遊ぶ子どもはこの数倍に上っただろう。当然、サッカー人口が増えた要因には協会や日本サッカーリーグ所属企業、各地で行われたサッカー教室の努力も含まれるが、全国で放送された『キャプテン翼』がマーケティングにおける認知・興味・関心に多大な影響を与えたことは疑う余地がない。事実、1990年代後半から2000年代に活躍した多くのプロサッカー選手が、幼少期に『キャプテン翼』を見てサッカーを始めたことやプレイスタイルを真似たことを語っている。

●欧州トップ選手も影響を受けた

 加えて『キャプテン翼』は、日本国内だけでなく、サッカー強豪国を含むさまざまな国・地域で人気を博した。ここでも『ドラゴンボール』と同様、エンターテインメントに特化したことと、日本とは異なる形で普及していたサッカーに関する作品であったことが子どもたちの心をつかんだ。スポーツを題材にした健全なテーマは「親が安心して見せられるコンテンツ」のポジションを確立したとも考えられる。

 欧州のトップレベルの選手にも『キャプテン翼』ファンは少なくない。元スペイン代表のアンドレス・イニエスタ、フェルナンド・トーレス、元イタリア代表のアレサンドロ・デル・ピエロ、フランチェスコ・トッティ、ジェンナーロ・ガットゥーゾらが、幼少期にテレビアニメで『キャプテン翼』を鑑賞し、影響を受けたことを語っている。

 ここまで浸透した背景には、主人公の大空翼をはじめとしたキャラクターの名前が各国の文化に合わせて最低限のローカライズがなされたこともあるだろう。『キャプテン翼』の題名は、スペインでは「Oliver y Benji」、イタリアでは「Holly e Benji」など、各言語で呼びやすい名前へ変更して放送された。

●『キャプテン翼』の「機会損失」

 ローカライズについて特筆するべきはアラブ圏での放送である。放送された1988年当時は「Captain Majid」と名前を変え、舞台が日本からアラブ圏に変更された。以前の連載でも触れたが、多くの場合、アラブ圏での放送は文化・宗教の面から非常に難しいローカライズが求められる。しかし、こと『キャプテン翼』については現地でも自然に行われているサッカーがテーマであり、放送の大部分がサッカーの試合である。そのため文化・宗教面でのハレーションはほぼ生じず、アラブ圏で「安心して子供に見せられるコンテンツ」という、まれなポジションを獲得した。

 このように多くの国・地域で放送され、人気を博していた『キャプテン翼』だが、その収益を権利元である集英社をはじめとした日本企業が十分に獲得できていたわけではない。

 当然、海外の出版・放送関連企業は日本企業との契約の上で流通させていたはずだが、契約の履行管理や著作権の管理は困難を極めたと想定される。当時の環境では放送などの実態の把握が難しく、また契約順守意識の低さから、キャプテン翼に限らず多くの放送・出版コンテンツにおいて許可のない再販売や海賊版の流通が行われていた。もちろん、海外での著作権管理が難しかったことも原因の一つだろう。

 現在も世界中で『キャプテン翼』が人気を博し、多くの地域から視聴体験が寄せられていることから考えると、日本企業が十分な対価を得られたとは言いがたい。結果として、相当な機会損失が生じてしまったと考えられる。

 もちろん、これは過去の話であり現在は異なる。現在は、権利元もしくは権利を譲渡された日本企業が直接現地でビジネスを行う、あるいは国・地域での配信制御が可能な配信事業者と直接契約を行うなど、権利元に収益が入る環境が整っている。

 先に紹介したアラブ圏においても、紀伊國屋書店が企画し、アラビア語に翻訳された『キャプテン翼』の漫画単行本が正規ルートで流通しはじめている。

●アラブ圏の高い「文化の壁」乗り越える

 アニメでも、2023年にはサウジアラビアの企業が『キャプテン翼』のライツ事業を手掛けるTSUBASAおよび電通と提携し、中東・北アフリカにおけるアニメ最新シリーズの独占配信権を獲得するなど、アラブ圏での市場拡大が進められている。また、中東最大級のポップカルチャーイベントであるMEFCC(中東フィルム&コミコン)に高橋陽一氏が招待されており、今後は日本を上回る市場に成長することが期待される。

 なお先に述べたように、アラブ圏では『キャプテン翼』の題名はかつて「Captain Majid」とローカライズされていたが、アラビア語版単行本やMEFCCの紹介では「キャプテン翼」(Captain Tsubasa)と原作に準拠している。文化・宗教に厳しいアラブ圏において、日本語の原作表現を尊重するように変化してきたことは、当該地域において『キャプテン翼』と、日本のアニメ・漫画が深く受け入れられていることの証左といえる。

 本稿で述べたように、『キャプテン翼』は40年以上愛され続ける日本を代表するコンテンツであり、ポジティブ・ネガティブ両面におけるコンテンツビジネスの歴史がひもづいている。

 漫画連載は終了してしまうものの、まだ翼たちの戦いは続いている。最新シリーズで描かれているオリンピック、そして当初からの翼の目標であり、日本サッカーファンの悲願であるワールドカップ優勝に向け、新たな形態での連載をいちファンとして待ち続けたい。

●著者プロフィール:滑 健作(なめら けんさく) 

 株式会社野村総合研究所にて情報通信産業・サービス産業・コンテンツ産業を対象とした事業戦略・マーケティング戦略立案および実行支援に従事。

 またプロスポーツ・漫画・アニメ・ゲーム・映画など各種エンタテイメント産業に関する講演実績を持つ。