ゴールデンウィーク(GW)が始まって各地で混雑や渋滞が報じられている。特に鎌倉や京都など人気観光地は、増加傾向にある外国人観光客に加え、休みが取れた日本人観光客がオンする形で阿鼻叫喚の地獄のようになっている。

 こういう問題が大きな注目を集めるようになったのは、安倍・菅政権が「観光立国」を成長政略に掲げて推進してきたころからだ。それくらいの時期から筆者は、観光を基幹産業としていくために必要不可欠なある提言をさせていただいている。

 それは「GWの廃止」である。

 「国民の休日」を止める代わりに、働く人は1年間のうちどこか自分たちの都合で「連休」の取得を義務化する。子どもは親の都合に合わせて、学校を休んでいいように法整備をするのだ。

 「そんなトンデモ法を認められるわけがねーだろ」というお叱りが飛んできそうだが、これくらいドラスティックな改革をしないことには、GWが日本社会にもたらしてきた「弊害」は解消できない。

 例えば今から9年前、本連載の記事『「日本は世界で人気」なのに、外国人観光客数ランキングが「26位」の理由』の中で、このように指摘させていただいている。

 ゴールデンウィークほど「ユーザー目線」が欠如した制度はない。観光客は大渋滞を強いられるし、飛行機やホテルは「特別料金」をとられるなどデメリットは山ほどあるが、供給者側からするとよいことづくしだ。

まず、価格をつり上げられるのは言うまでもないが、なによりも限定した期間に客が集中するので、人員や食事の材料購入などの計画が立てやすいということがある。つまり、閑散期と繁忙期がハッキリと分かれているので、観光地の宿でも飲食店でも土産物屋も効率的に客をさばくことができるわけだ。

このように「供給者側の都合」が優先される国で、異なる文化や価値観をもつ「ユーザー」が居心地がよくないのは言うまもでない。

 つまり、観光地が大混雑で宿泊費なども高騰する「オーバーツーリズム」も、マナー違反やゴミ問題などの「観光公害」も、「迷惑だかららもうこれ以上日本に来るな」という外国人観光客への排斥ムードも、GWという「人にちっとも優しくない制度」を廃止すれば今よりずっとマシになるのだ。

●GW廃止は「観光業で働く人々」にとってもプラスに

 という話をすると、決まって寄せられるのが「GWで1年分の稼ぎをたたき出すような観光地で働く人々に死ねということか」というお叱りである。だが、長い目で見ると「観光業で働く人々」にとって、GW廃止は賃上げや安定した雇用という待遇の改善につながる。

 テレビでは「外国人観光客が爆買い!」とか「日本人気で宿泊費が高騰」なんて景気のいい話をピックアップしているが、実はその恩恵は経営者でストップして、現場で働く従業員にまで波及していない。

 厚生労働省の「令和4年賃金構造基本統計調査」によれば、「宿泊業、飲食サービス業」の賃金(257.4万円)は全産業の中で最も低い。世界中からやって来る外国人観光客を「おもてなし」しているのは、実は日本で最も低賃金で働いている人たちなのだ。

 では、なぜ「日本の素晴らしさを世界に発信する」人たちの給料が安いのか。理由はシンプルで、観光業というのは日本のあらゆる産業の中でも突出して「非正規雇用」が多いからだ。

 総務省の「労働力調査」によれば、2022年の宿泊業雇用者の中で非正規雇用者の割合は54%に跳ね上がる。さらに細かく見ていくと、2023年7月は非正規雇用の割合が約6割に達する時もある。

 日本の全産業で非正規雇用の割合は約37%なので、この産業が「異常」というほど非正規の低賃金労働者に依存をしていることが分かる。

●なぜ観光産業は非正規雇用が多いのか

 さて、次に疑問が浮かぶのは、なぜ観光産業は他のビジネスよりも多くの非正規労働者が必要になってしまったのかである。そのあたりを、日本銀行金融機構局金融高度化センター企画役の北村佳之氏が端的に指摘しているので引用させていただく。

「旅行需要の季節変動が激しいため、非正規雇用が多くなり、従業員の知識・スキルの継続的な蓄積による労働生産性向上が制約を受けている」(出典:日本銀行「観光産業の現状と課題」2023年9月21日)

 ここまで言えば、カンのいい方はもうお分かりだろう。この「旅行需要の季節変動が激しいこと」こそが、筆者が観光業で働く人々の待遇改善のため、GWを廃止すべきだと主張している理由だ。

 「旅行需要の季節変動が激しい」というのは、分かりやすく言えば、観光客が大挙として押し寄せるオーバーツーリズムのような時もあれば、閑古鳥が鳴いているようなヒマでヒマでしょうがない時との落差が激しいということである。

 これが当たり前となってしまっている観光地のホテルやレストランの経営者は当然、「忙しい時だけ人を雇う」方向に流れる。これが観光業だけが「異様」に、非正規の低賃金労働者への依存を深めてしまっている最大の原因だ。

 この負のスパイラルから抜け出すには、旅行需要を「平準化」していくしかない。そこで最も効果が期待できるのが、他でもない「GW廃止」である。

 なぜかというと、GWというのは、日本人の「みんなと同じタイミングで休みをとって、みんなと同じように旅行しなくてはいけない」という強迫観念のよりどころになっている制度だからだ。

●そもそもGWとは

 このあたりをご理解いただくには、そもそもGWというものが、日本人に同じ消費行動をさせることを目的とした「国策」だということを知っていただく必要がある。

 戦後復興真っ只中の1948年、「国民の祝日に関する法律」が公布・施行された。この法律によって「国民の祝日は、休日とする」と定められ、4月29日から5月5日までの「大型連休」ができた。

 では、なぜこんなものをつくったのかというと、法律にもちゃんとあるように「よりよき社会、より豊かな生活を築き上げるため」である。だから当然、「豊かな生活」を求める消費者をターゲットとした企業の経済活動が盛んになる。

 その最も分かりやすいケースが、映画産業だ。戦前は正月に映画館の入場者数が多かったが、春の連休ができたことでこちらもドカンと入場者数が増えた。そこで1951年ごろ、ウハウハだった映画関係者が春の連休を「黄金週間」と名付けたことで、GWと呼ばれるようになった――という説もあるほどだ。

 そして、この「連休経済効果」によって急成長を果たしたのが「観光業」である。

 終戦から1950年くらいまで多くの日本人は貧しく、「観光客」と言えば進駐軍の家族、つまりは米国人と相場が決まっていた。しかし、朝鮮戦争特需や高度経済成長期で徐々に日本人の生活も豊かになっていったことで、政府が「外国人観光客で外貨獲得」という方針からかじを切って「日本人観光客が全国を観光する」という戦略を進めていく。そこで大きな役割を果たしたのが、「GW」なのだ。

 4月下旬から5月初旬というのは過ごしやすくちょうど梅雨入り前で、旅行やレジャーに最適だ。そこで1950年代以降、政府は国民に対して、この大型連休を利用して旅行や観光地へ出かけるように促していく。それがよく分かるのが国による「観光インフラの整備」だ。

●「GoToトラベル」と同じようなもの

 1951年に公金を投入して「ユースホステル」を各地に建て始め、1955年には文部省が「青年の家」をスタート。1956年には全国の観光地に「国民宿舎」を続々と建設し始め、1961年には国立公園内でレクリエーションが楽しめる「国民休暇村」も設置された。

 つまり1948年に生まれたこの大型連休は、国民所得が上がっていく中で、日本政府が「みんな同じ日に休んで、みんな同じように旅行やレジャーにいきましょう」という啓発や消費喚起の側面もあったのである。本質的なところでは、コロナ禍で観光業を応援しようと政府が仕掛けた「Go To トラベルキャンペーン」とそれほど変わらないものなのだ。

 ただ、物事には良い面もあれば悪い面もある。GWの設定による「みんな同じ日に休んで、みんな同じように旅行やレジャーにいきましょう」という国民啓発の効果が絶大なゆえ、政府が想定していなかった「副作用」を観光地に引き起こしてしまう。

 それが他でもない「旅行需要の季節変動が激しい」という問題である。GW期間中は、全国から観光客が大挙として押し寄せて猫の手を借りたいほど忙しいのに、それ以外の季節は閑古鳥が鳴くほどヒマになってしまうのだ。

 これは日本人の「昭和の働き方」が大きく関係している。ご存じのように、高度経済成長期からバブル期にかけての時代、サラリーマンが「有給をとって旅行に行きます」なんて言おうものなら、上司から「このクソ忙しいのにナメてんのか? 帰ってきたらお前の席はないと思え」なんてキレられるのが常だった。

 昭和の日本人はサービス残業や休日出勤は当たり前で、罪悪感なく休めるのは年末年始と盆休み、そしてGWしかなかったのだ。

 「みんなが働いている時に休むのはサラリーマンの風上に置けない」――。そんな軍隊のような働き方をしていた日本人に、「みんな同じ日に休んで、みんな同じように旅行やレジャーにいきましょう」という思想教育は政府が期待していた以上に突きササり過ぎてしまったのだ。

●「昭和のビジネスモデル」から脱却するには

 ここまで言えば、筆者が「GW廃止」にこだわっている理由が分かってもらえたのではないか。

 オーバーツーリズムや観光公害、そして観光業で働く人々の非正規・低賃金というさまざまな問題の根源をたどっていくと、「みんなと同じタイミングで休みをとって、みんなと同じように旅行しなくてはいけない」という日本人の強迫観念のような思想がある。

 これをぶっ壊すためには、この思想を日本人に植え付けた制度からぶっ壊すしかない。そう、それが1948〜76年にわたって日本人観光客の消費行動に影響を与えてきたGWというワケだ。

 つまり、GWを廃止して、全ての国民は自分の働いている環境に合わせて、好きな時に自分の判断で「大型連休」を取るという新しい常識を広めていくしかないのだ。しかも、もっと言ってしまえば、これは観光業で働く人だけではなく、全ての日本人にも悪い話ではない。

 よく言われることだが、日本は「休日」が非常に多い。「日本人は働きすぎ」と思っている人も多いが、実は「仕事をしない日」は他の先進国とそれほど変わらない。しかし、休日が多いからといって、休めているわけではない。

●10年後も同じことを言っているか

 日本は「世界一成功した社会主義」なんて揶揄(やゆ)されるように「みんな平等に苦しい思いをして、みんな平等に同じ給料をもらって、みんな平等に同じ水準の生活を営む」というのが理想とされている。だから、休みの日も「平等に苦しむ」のが当たり前だ。

 乗車率120%の新幹線に乗ったり、渋滞20キロの高速で移動したり、回転寿司に2時間待ちで並んだりして休日なのにヘトヘトに疲れている。つまり、日本の「国民の休日」は、国民みんなが同じ行動をして、同じように苦しむのがデフォルトなので、ちっとも「休暇」になっていないのだ。

 それは今回のGWも同じだ。旅行や行楽地などどこへ行っても大混雑で、連休明けに仕事を再開する時には疲労困憊(こんぱい)という人も少なくないのではないか。

 「国民にみんな同じ行動をさせる」というのは、「人口が増えている途上国」にとってはプラスで大きな成長につながる。高度経済成長期からバブル期までの日本がまさしくそれで、「春節」が巨額な人とカネを動かす中国に当てはまる。ただ、人口が減少している低成長国がこれをやっても、労働者を疲弊させて観光公害を悪化させるなど「マイナス」のほうが大きくなってしまうのだ。

 ……ということを、筆者は10年前から主張しているが、なかなかそういう機運は盛り上がらないし、議論にさえもならない。われわれ日本人はなんやかんや言って「みんなで同じタイミングで休んで、みんなで同じところへ押しかけて、みんなで同じように苦しむ」という「平等」だと安心するのだ。

 おそらく10年後もこの季節になれば、「人手不足の観光地に、外国人観光客と日本人観光客が押しかけて大パニック!」なんてニュースが流れているのではないか。

(窪田順生)