JR山手線の「西側」エリアが混雑しているとよくいわれる。特に池袋〜新宿〜渋谷間は混雑が激しく、いつ乗っても人でいっぱいという状況だ。

 このエリアから品川にかけては利用者の多い駅や人が集まる街が多くあり、それゆえに利用者は多い。並行する埼京線・湘南新宿ラインは本数が少ないため使い勝手がいまいちで、山手線に利用者が殺到するという構造もある。

 そんな山手線も、いまでは平日昼間5分間隔、土休日昼間4分間隔で運行している。ラッシュ時の本数もコロナ禍前に比べると減っている。

 しかし多くの人が戻り始め、インバウンドの観光客も再び日本に押し寄せるようになってきた。

 新宿、渋谷、池袋あたりの東京西側主要駅は、いつも人でいっぱいだ。だが、このあたりのエリアは元から東京の中心だったわけではない。なぜ、混雑する駅になってしまったのか?

●そもそも東京の中心は?

 新宿駅近くには、東京都の行政機関である「東京都庁舎」(以下、都庁)がある。しかし新宿に都庁ができたのは、1990年12月。業務開始は1991年4月だ。その前は別の場所に都庁があった。

 都庁は以前、千代田区丸の内、現在の有楽町駅近くにあった。「東京国際フォーラム」がある場所だ。丸の内のオフィス街に近く、銀座や有楽町といった昔からの繁華街にも近い場所である。

 丸の内や大手町にはオフィス街、兜町には金融街、銀座や有楽町は繁華街というのがもともとの東京であり、それはいまも続いている。霞が関が官庁街というのも変わらない。

 そして江戸城の跡地に皇居ができ、皇居から東京駅までは直線道路で1本。こちらのほうが、歴史的には古くからある「東京」である。なお、東京駅は1914年12月に開業。日本中から路線が集まるターミナルを意識してつくられた。

●開業日には利用者ゼロだった渋谷駅

 江戸時代、江戸城周辺には武家屋敷が立ち並び、下町の範囲も決して広くはなかった。「朱引」(しゅびき:江戸の府内と府外を地図に朱を引いて分けたもの)によって江戸幕府は江戸の範囲を定め、現在の新宿、渋谷、池袋の各駅はその境界エリアにある。しかも外側だ。

 明治時代に新政府ができ、江戸から東京になってもこの状況は変わらなかった。都心には人が集まり、維新の元勲や華族は広い屋敷で暮らしていたものの、多くの一般市民は狭い家で暮らしている状況であった。

 東京府(当時は「都」ではなかった)の中心部では路面電車が充実してきたが、それでも都市規模の面的拡大は見られなかった。

 山手線は日本鉄道品川線として1885年3月に品川〜赤羽間で開業した。このときには現在の山手線に該当する区間では渋谷駅と新宿駅しかなかった。開業日、渋谷駅を利用した人はおらず、新宿駅も数えられるほどの利用者数だったという。池袋駅は1903年4月に開業した。

 都心のにぎわいとは異なり、このあたりは寂しい場所だった。そもそも日本鉄道(1881年に設立された日本初の民営鉄道会社)がここに路線を敷いた理由は、都心部からの貨物を輸送するためで、人が少ないから用地を買収しやすかったというものである。

 しかしなぜ、こんなに人が少なかったエリアが、大きく繁栄することになったのか?

●関東大震災が都市の構造を変えた

 東京圏の構造が大きく変わることになったのは、1923年9月1日に発生した関東大震災がきっかけである。このとき、下町にある住宅や中小工場が密集したエリアが大規模な火災により焼失した。大震災の前後に、山手線各駅を起点に郊外へと向かう私鉄が誕生。その沿線に多くの人が移住していった。

 こうして、東京圏は「職住近接」から「職住分離」へと都市のモデルが移行していった。都心はビジネスや官公庁、繁華街になり、そこで働く人はその近くに暮らすのではなく、郊外に住み電車で通うようになっていった。

 東急電鉄の事実上の創業者といわれる五島慶太氏は、東急電鉄の前身である目黒蒲田電鉄の経営を掌握(しょうあく)し、沿線開発と鉄道事業をリンクさせるビジネスモデルを採用した。そして渋谷からは東急、新宿からは京王と小田急、池袋からは西武と東武という現在の姿がつくられる。これらの街に私鉄のターミナルができ、都心に向かう乗り換え客が利用することになった。

 特に新宿駅は、私鉄各路線や山手線から中央線に乗り換える人が増えていった。池袋駅や渋谷駅は路面電車との接続駅になる。渋谷駅には1938年12月、現在の東京メトロ銀座線である東京高速鉄道が開業する。これにも五島氏が関与していた。

 こうして関東大震災後、東京の人の流れが西側を中心に回るようになったのだ。だが、東京圏は再び大きな被害を受ける。1945年3月10日の東京大空襲だ。このエリアは木造の建物が多く、人が密集している下町地域がターゲットになった。同年5月25日には山の手大空襲もあった。

 終戦後、東京は復興へと向かう。その中で住宅不足が問題になった。団地ができ、その後ニュータウンも建設された。東京都内では、主に東京の西側につくられた。それゆえに新宿、渋谷、池袋の各駅には、さらに人が集まるようになった。

●「東京西側」ターミナルの現状は?

 住宅地として「東京西側」が好まれたのは、地盤がしっかりしていたこと、広い土地を確保できること、公共交通がしっかりしていたこと、この3点が挙げられる。東京の西側をターミナルとする私鉄には山手線と接続する駅があるのに対し、東京の東側をターミナルとする私鉄には山手線と接続しない駅もある。

 「京成電鉄は日暮里駅で山手線と接続しているではないか」という意見もあるかもしれないが、京成電鉄の2022年度における駅別1日平均乗降人員を見ると、日暮里駅は8万3830人で3位、2位は京成高砂駅、1位は押上駅である。その押上駅も乗車人員は18万8833人で、うち連絡人員が16万3268人である。これは相互乗り入れ列車の利用者で、実際の駅利用者は2万5565人となる。

 一方、東武鉄道の「東京東側」ターミナルの浅草駅は繁華街ではあるものの、2022年度の1日平均乗降人員は3万4577人。ちなみに、北千住駅は38万2081人である。

 京成電鉄や東武鉄道は、地下鉄に乗り入れることで都心へのアクセス性を向上させているという側面がある。一方、「東京西側」の私鉄は戦前から山手線上の主要駅に大きなターミナルをつくっていた。

 各社の2022年度1日平均乗降人員を見てみよう。東急電鉄渋谷駅は東横線が38万4781人、田園都市線が55万2163人である。小田急電鉄新宿駅は41万970人、京王電鉄は新宿駅が61万3639人、渋谷駅が27万4505人である。

 西武鉄道池袋駅は39万7892人、高田馬場駅は25万377人だ。東武東上線池袋駅は38万8238人。参考までに、東京メトロで最も乗降人員が多いのは池袋駅で、46万1392人。

●山手線で乗車人員が最も多い駅は

 では山手線はどうか。JR東日本は「乗降人員」ではなく「乗車人員」で統計を取っている。新宿駅は60万2558人で1位、2位は池袋駅で45万8791人となっている。渋谷駅は5位で29万2631人である。東京駅が34万6658人で3位、品川駅が24万8650人で6位。ちなみに、4位は横浜駅で34万536人。

 新宿や池袋、渋谷を介する地下鉄と郊外電車の相互直通はあるものの、それでもこれだけの人数が「東京西側」駅の改札を利用するようになった。

 関東大震災後「東京西側」の発展が、これらの駅の利用者増につながり、現在の繁栄に至っていると考えられる。地域の発展と駅の発展の相乗効果が積み重なって巨大ターミナル化し、そして混雑するようになったといえる。

(小林拓矢)