「山根会長に会うたびに『お前はまちがってない。今の会長や協会の方こそはありえない。がんばれ!』『お前はやるべきことをよくやった!もっと胸をはれ』などと、いろんな話しをして、ずっと励ましてくれたんです。そんな会長のはげましてのおかげで『自分のやっていることはまちがいてはないんだ』と気持ちを立て直すことができました」

4月6日、京都市で開かれた山根明会長をしのぶ会で、こう思い出を振り返っていたのは元テコンドー選手の江畑秀範(31)。テコンドー協会とトラブルになり日本代表のメンバーから外れ、苦悩していた時期に日本ボクシング連盟の前会長であった山根明さん(84)からかけられた言葉を明かしていた。

`11年に山根さんは日本ボクシング連盟の会長に就任して、‘12年のロンドン五輪で日本勢初の1大会での複数メダル獲得にも貢献し、終身会長に。しかし`18年に元オリンピック代表選手や都道府県連盟関係者など333名から、助成金不正流用や審判不正などの告発を受け、会長を辞任。`19年には日本ボクシング連盟から除名処分を受けていた。

奈良県連盟会長を務めていた時期に奈良県の選手に有利な判定を強いた“奈良判定”が注目を集め、世間のバッシングを浴びたこともあったが、しのぶ会には生前交流のあった約200人が詰めかけた。

“男・山根”の素顔とは――。山根さんが設立したWYBCの現会長・高橋知哉(36)が2月22日に山根会長をしのぶ会の開催発表の記者会見で、「父親的な存在でした」といい、さらにこう続けた。

「(体調の関係で)JBCのプロライセンスが得られず、もうやめようかなと中途半ばな気持ちでいたときに山根会長が拾ってくれたんです。会長が熱心に声をかけてサポートしてくださったおかげでボクシングを辞めずに続けられた。そしたらWBFの世界チャンピオンにまでなれました。もう感謝しかないです。会長のおかげで、ちゃんとボクシングができるようになって、僕自身がボクシングで世にでることができた」

‘22年6月に記者会見で報道陣から今後の目標を聞かれ、「地方の日の当たらないところにいるボクシングの才能のある子を一人でも見つけだして、世にだしてあげたい。これを死ぬまでやり続けたい」と意気込んでいた山根さん。

その思いは引き継がれているようだ。現在はテコンドー協会の事務局長を務めている前出の江畑はしのぶ会でこのように語っていた。

「10年後は無理でも20年後ぐらいには全日本協会の会長になって、山根会長のように、心おれそうな選手はげましてあげれるような指導者、会長になるのが夢です」

しのぶ会の最後には、集まった約200人から追悼の10カウントゴングで見送られた“男・山根”。天国から活躍を見守り続けていくことだろう。