大阪の2大繁華街「キタ」と「ミナミ」にまつわる歴史を、実際に現地を歩いているようにたどる特別企画展「おおさか街あるき―キタ・ミナミ―」が大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開かれている。絵図や写真、文書、建築部材、道具類など、主に江戸時代から昭和にかけての貴重な史料を観賞しながら、時空を超えた小旅行気分を味わえる構成だ。

 まち歩きが好きな3人の学芸員が企画。5部仕立てで、会場のあちこちに地名や距離を記したルートの案内や現在の風景を写した写真パネルを配置。あたかもキタとミナミを歩いているかのような感覚にいざなう。

 第1部では「キタ」「ミナミ」の呼称の変遷を紹介。カタカナで示されるようになったのは、1953〜54年ごろから、それ以前はひらがな、さらに前は漢字で表していたという。

 明治時代、両地域はそれぞれ大火災が発生。1909(明治42)年、キタの大火で曾根崎川(蜆川)が埋め立てられ、1912(明治45)年のミナミの大火後、千日前通りが開通、「楽天地」という新名所が誕生した。李陽浩学芸員は「キタもミナミも当時は辺境の地だった。災害の苦難に耐え、克服して、街は大きく変わっていった」と説明する。

 第2部の「キタ」で目を引くのは、阪急百貨店旧大阪うめだ本店に関するコーナー。日本初のターミナルデパートとして1929(昭和4)年に創業した同店の外観は、竣工時はチョコレート色だったが、1932年(昭和7)年以降はクリーム色に変わった。2色の外装タイルのほか、大食堂の窓にはめられていたアール・デコ調のステンドグラス、階段手すり壁にあったH(阪急の頭文字)を表現した装飾など、現在の同店のイメージに重なるモダンな意匠を楽しめる。

 第4部「ミナミ」では、道頓堀開削にまつわる興味深い史料が並ぶ。「安井家由緒書」(1670年)は、大坂の陣の前後に道頓堀を開発、川沿いの町々を支配していた安井家が大坂町奉行に出した報告書。1970(昭和45)年大阪万博を前に、大阪市が道頓堀河川敷を改修した際、安井家の子孫が河川敷の所有権確認を求めて提訴した。由緒書を含む安井家文書はその時に証拠資料として使われたことで広く知られるようになったという。展示の由緒書は安井家に伝わる控えで、裁判の時に貼られた付箋がそのまま残る。島﨑未央学芸員は「街あるきや講座で裁判の話をすると驚かれるが、道頓堀界隈の豊かな歴史を示す貴重な資料が世に知られた機会でもあった」と語る。

「ミナミ」をさらに進むと、愛嬌がにじむ表情の中年男性…正確に言うと中年男性の「首」に出合う。つややかな肌とリアルなシワ。まるで生きている人間のような「生人形(いきにんぎょう) 池之坊」(1871[明治4]年)だ。幕末〜明治期、等身大の精巧な「生人形」を制作、見世物劇を上演して名をはせた松本喜三郎(1825〜1891年)の作品で、大作劇「西国三十三所観音霊験記」に使われたもの。同劇は1879(明治12)年、大阪・千日前で興行、人気を集めたという。「生人形―」は2000年、大阪府高槻市の民家で発見され、同館の所蔵となった。

 阿部文和学芸員は「企画展を見た後は、現在も変わりつつあるキタとミナミを歩いてみてほしい。歴史を思い出しながら、いつもと少し違う道を選んだり、遠回りしたりして、リアルなまち歩きも楽しんでもらえたら」と話した。

 会期は6月3日(月)まで。