少年時代を群馬県前橋市で過ごし太平洋戦争終戦時に首相を務めた鈴木貫太郎(1867〜1948年)=ズーム=の功績を後世に伝えるため、前橋鈴木貫太郎顕彰会(会長・腰高博コシダカホールディングス社長)の発会式が17日、同市の群馬会館で開かれた。「無私無欲の心を受け継ぎ、後世へ伝え続けていく」とする創立宣言を発表し、出身地の千葉県野田市と連携していく活動方針を確認。講演やパネル討論で功績を振り返った。

【ズーム】鈴木貫太郎 厩橋学校、群馬県中学などを経て海軍兵学校卒。海軍大将、軍令部長を務めた。侍従長時代の1936(昭和11)年、二・二六事件で襲撃されるが一命を取り留める。45(同20)年4月に首相に就き、ポツダム宣言受諾を決めて総辞職。枢密院議長も務めた。

 腰高会長はあいさつで、戦争末期に軍部や世論には徹底抗戦の論調が大勢だったことを念頭に「終戦がどれほど難しく、また当時の国民や現代の人にとってもありがたいことだったか。功績を伝えていくのが平和を享受するわれわれの使命だ」と述べた。

 講演は群馬地域学研究所代表理事の手島仁さんが講師を務め、鈴木の来歴を解説。鈴木の父親が教育水準の高さを見込んで群馬県に移り、子どもたちを厩橋(うまやばし)学校(前橋桃井小)や群馬県中学(前橋高)で学ばせたことなどを説明した。

 パネル討論は腰高会長と手島さんに加え、鈴木の孫の道子さん(92)=東京都=らが登壇。道子さんは鈴木が首相在任時に「若い人は安全な所へ行きなさい。次の時代をつくってもらわなくてはいけないから」と疎開するよう説得されたとし、「その時に戦争を終わらせる覚悟なのだと分かった」と振り返った。

古里・前橋を愛していた

 顕彰会は両校の卒業生ら有志が昨年から発足準備を進めてきた。資料収集のほか、シンポジウム開催や動画作成などで情報発信に努め、台風被害で休館している鈴木貫太郎記念館(野田市)の再建支援、NHK大河ドラマ化などを目指し活動していく。

 式典に先立ち、道子さんと腰高会長らは前橋桃井小を訪れ、鈴木が揮毫(きごう)して同校に設置されている教訓碑を視察した。山中茂樹校長は「正直に腹を立てずに 撓(たゆ)まず励め」の文言を歌詞にした教訓歌も歌い継がれていると説明した。

 17日は鈴木の命日。道子さんは「鈴木は古里である前橋を愛していた。鈴木のことを大切に語り継いでくれている桃井小、顕彰会の皆さんに感謝したい」と目を細めた。