2016年、42歳のクリスマスイブに突如乳がん宣告。(ステージⅡB)。晴天の霹靂だった「がん宣告」から約1年間、泣いたり笑ったり怒涛の日々を駆け抜けた、私のがん治療ドキュメンタリーを連載でお届けしています。
今回は、乳房摘出手術が終わり無事退院し、通院をしながらの抗がん剤治療を始めてからの体験記です。
※医師や看護師の発言は筆者の病状等を踏まえてのものであり、すべての患者さんに当てはまるものではありません。また、薬の副作用には個人差があります。
長い髪をバッサリ切って副作用に備えた
2017年4月中旬。いよいよ抗がん剤治療が始まりました。わたしが受けたのは「AC療法」と「パクリタキセル療法」という治療。初発乳がん治療ではよく使われる抗がん剤です。1つめの「AC療法」は、3週間ごとに1回で1サイクル、計4回の点滴治療。それに続く2つめの「パクリタキセル療法」は、週1回×12回の治療です。どちらもそれぞれ3か月ほどかかるので、抗がん剤治療全体でみると約半年間の治療となります。
そして抗がん剤の代表的な副作用は「吐き気」に続き「脱毛」。脱毛は一般的に投与後2週間くらいから脱毛の副作用が始まります。わたしは「AC療法」の1回目を受け、吐き気はなんとかクリアしたものの、来たる次の副作用に気持ちを整えなければなりませんでした。
私の場合、脱毛が起こりそうな時期は、ちょうどゴールデンウィークに重なるだろうと予想。長い髪だと抜け毛が絡まるとのことで、ロングヘアをばっさり切って脱毛に備えました。
予想通り脱毛が始まった。しかし…
3週に一度のサイクルで行われる抗がん剤治療では、2週目に一番白血球が減少し、風邪などの感染症にかかりやすくなるそうです。脱毛が始まるであろう2週目はあまり外に出ずに済むよう、一人暮らしの母の家でゆっくりすることにしました。そもそもなぜ抗がん剤で脱毛してしまうかというと、抗がん剤はがん細胞の細胞増殖過程に働いて、がん細胞の増殖を妨ぎ死滅を促す目的で作られた薬剤。なので、がん細胞を選ぶのではなく、「がんと同じくらい細胞増殖が速いもの」全般に効いてしまうのだとか。なかでも特に増殖スピードが速いのが「毛髪」だそうで、抗がん剤が間違えて攻撃してしまうそうなのです。
抗がん剤(化学療法)は分裂が活発な細胞に強く影響します。そのため、細胞分裂がとても盛んな毛母細胞(毛をつくるもとになる細胞)は、抗がん剤(化学療法)の影響を受けやすく、毛根がダメージを受けることから脱毛が引き起こされると考えられています。
母の家にきてすぐ、予想通り脱毛が始まりました。その脱毛はいままで経験したものとはまったく違いました。
ゴソッと髪が「取れる」感覚にゾッ…
いつものようにシャンプーをして、少し髪を引っ張ると、ゴソッと髪が取れました。「抜ける」ではなく「取れる」感覚です。なんとも気持ち悪く、ゾッとしました。その後また髪を軽く引っ張ってみると、同じようにゴソっと取れます。いつまでやれば終わるのか、同じように何度も引っ張って、気づいたら抜けた髪が山盛りになっていました。山盛りになった髪を見てまたゾッとしました。
キリがないのでいったんやめて、お風呂からあがりました。ものすごく気味の悪い体験だったので母に「抜けたぁ……」と伝えましたが、母は「分かっていたことだからしょうがないじゃない」とアッサリ。いや、あのときの気味悪さは、同じ経験をした人でないと分からない気がします。
あれだけごっそり抜けたので、自分はもう相当禿げているのかと思い、恐る恐る鏡をのぞき込むと、あれ? そうでもない。見た感じでは、髪の分け目がものすごく太くなったような状態で、全体的にいつもよりスカスカしていましたが、もともと毛量が多く、毛も太いせいか、ぱっと見そこまで抜けたようには感じませんでした。
調べてみたら、髪って10万本くらい生えているらしいので、1万本抜けたとしても9割残っているんですね。ほほう。
自分の中では気味の悪い体験だったので、翌日はできるだけ早くなくしてしまおうとせっせと髪を引っ張りました。自宅に戻ると、ふだん長い髪が落ちているのさえ嫌がる夫が気味悪がるのではというのもあり、母の家にいるうちに取れるだけ取ってしまいたかったのです。
結局自宅に戻るときには、かなりのスカスカ状態になりました。すべて抜けるわけではなく、襟足や前髪などは残っていました。これも回数を重ねるごとに徐々に薄くなっていくのだそうです。
ウィッグをつけて“がん友”とランチ
3週間に1度のサイクルで投与される抗がん剤。1サイクル目の脱毛では、全頭のウィッグもつけはじめましたが、髪がまだ残っていたので帽子と前髪ウィッグでしのぐこともできました。髪が抜けた自分の姿には驚きましたが、予期していたことなので開き直ってウィッグ生活を本格スタートさせて自宅に戻りました。わたしより少し早く抗がん剤治療を始めたがん友に連絡してみると、やはり彼女もしっかり抜けてしまったそう。幸い、お互い体調は良かったので、ウィッグをつけてランチすることにしました。少しでも気分のあがることをしたかったのです。
久しぶりに都内でがん友と待ち合わせ。ウィッグ姿の友人を見て、お互いギャハハと笑いながら再会。お互いに「似合うじゃーん」と言いながら、わたしたちがウィッグをしているのは、わたしたち2人しか知らないと思うと、なんだか秘め事のようでワクワクしてしまう不思議。
そして、入院中のリハビリで出会ったころから豪快だったがん友は、レストランに入り、おもむろにランチビールを注文。
お酒好きのわたしでしたが、さすがに手術後からはお酒を控えていました。なので思わず、「抗がん剤中って、お酒飲んでいいの!?」とツッコミ。すると友人は「ダメって言われてないからいいのかなぁって、家で飲んでみたら大丈夫だったよ」と言います。
えっ、ビール飲みたい。と思いつつ、その場では具合が悪くなったら困るので控えました。
担当医に抗がん剤中のお酒について聞いてみた
その後病院で「抗がん剤中ってお酒飲んでいいんですか?」と担当医に聞くと「うーん、そんなこと聞かれたことないからわかんないけど、多少ならいいんじゃない?」という答え。経験豊富な担当医も困らせるほどの大胆な質問だったようです。医師のお墨付き(?)をもらったわたしも、家で少し晩酌を試してみたところ、いつもと変わらずだったので、それ以来お酒をたしなむように……。夫は病気予防が趣味のような人なので「がんになったのに、よくお酒なんて飲めるな……」とドン引きしていました。
そうこうしているうちに、3週間がたち、2サイクル目の点滴の日がやってきました。血液検査で白血球の数を調べ、問題なければ投与となります。
風邪もひかなかったし、抗がん剤中にできやすいと言われていた口内炎も思ったほどできませんでした。氷をなめていると口内炎予防に良いと聞いて実践しましたが、それがどれくらい効果あったかは分かりません……。
2サイクル目は、1サイクル目以上に具合が悪くなる可能性は低いとのことで、比較的気楽に点滴を受けられました。やはり翌日以降、前回と同じような不快感はありましたが、普通に動ける程度でした。
それ以外にも、爪が薄くなる、色が悪くなるなどありましたが、気になるほどではありませんでした。かなり個人差があるとは思います。
目標にしていたフラメンコの発表会が近づく
そうこうするうちに、抗がん剤を打ちながらも出ると決めたフラメンコの発表会も近づいてきました。レッスンでは踊りこみ、本番会場でのリハーサルなども控えて、より体調を崩さないように注意しながら日々を過ごしていました。発表会を控え、一か月前のリハーサル前日に発熱。白血球が減少していると感染症を起こして重症になりかねないと聞いて焦りましたが、大事には至らず翌日には熱も下がり、なんとかリハーサルに参加。風邪でもなく、緊張による知恵熱のようなものだったようです。
本番はこんなことがないようにと気持ちを引き締め、練習に集中。フラメンコの発表会につけるためのウィッグを購入したり、準備を進めました。
そしていよいよ発表会当日を迎えました。乳がんを宣告された日からずっと、がんの治療をしながらでもこの舞台に立つことを心に誓って治療をしてきたわたしには、発表会の会場に入った瞬間、すでに「やっとここまで来た」という気持ちで胸がいっぱいでした。
病院の先生、看護師さん、アピアランス支援センターのスタッフさん、がん友、そして家族。いろんな人の顔が浮かびました。フラメンコはただの趣味だけれど、ここで今日踊ることは、わたしにとってすごく意味があることでした。わたしをここまで頑張らせ、支えてくれたものがフラメンコだったのです。
フラメンコの舞台に立ち、生きていることの幸せを痛感
いざ本番、満足な出来ではなかったにせよ、発表会に出るという大きな目標を果たせて感無量。終演後ロビーに出ると、病院で出会ったがん友が号泣しながらこちらに手を振って駆け寄ってきてくれました。「勇気をくれてありがとう」と泣きながら話す友人を見て、わたしは自分の目標のために舞台に立ったけれど、何かそれ以外にも意味があることができたのかなと思いました。
そのほかにも、事情を知っている友人たちが見に来てくれ「元気な姿を見せてくれてありがとう」と言ってくれました。さらに普段ダンスに興味がない夫も「よく頑張ったな」と声をかけてくれました。
わたしは自分のことで必死でしたが、こうして自分が生きて踊っていることを喜んでくれる人がいるというのは本当に幸せなことだと痛感しました。
こうして、抗がん剤を打ちながら、ウィッグをかぶってフラメンコの発表会に出る夢を叶えたわたし。ですがここまであまりに頑張りすぎて、なんとなくプツっと糸が切れたようになってしまったのも事実です。
こうして3か月間で、1つめの「AC療法」の抗がん剤は無事終えました。ですが、2種類目の「パクリタキセル療法」がこれからスタートします。ひと山越えましたが、また次の山がわたしを待ち受けていました。
<文/塩辛いか乃 監修/沢岻美奈子(沢岻美奈子女性医療クリニック院長)>
【監修者:沢岻美奈子】
日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医。神戸にある沢岻美奈子女性医療クリニックの院長。子宮がん検診や乳がん検診、骨粗鬆症検診まで女性特有の病気の早期発見のための検診を数多く行なっている。更年期を中心にホルモンや漢方治療も行い女性のヘルスリテラシー向上のために実際の診察室の中での患者さんとのやりとりや女性医療の正しい内容をインスタグラムで毎週配信している
【塩辛いか乃】
世の中の当たり前を疑うアラフィフ主婦ライター。同志社大学文学部英文学科卒。中3繊細マイペース息子と20歳年上の旦那と3人暮らし。乳がんサバイバー(乳房全摘手術・抗がん剤)。趣味はフラメンコ。ラクするための情熱は誰にも負けない効率モンスター。晩酌のお供はイオンのバーリアル。不眠症。note/Twitter:@yukaikayukako