巨人の野球の原点はドジャース野球

 MLBは30球団で構成されているが、“二刀流”大谷翔平に続き、“日本のエース”山本由伸までもが入団したことにより、メジャーリーグに興味を持つほとんどの日本人がロサンゼルス・ドジャースファンになったような印象を受ける。

 話はいきなり横道にそれるが、長嶋茂雄はドジャース(Dodgers)を「ダジャース」と呼ぶ。長嶋を師と仰ぐ中畑清も同じだ。

 どちらが正しいのか。現地で聞いた感覚では長嶋や中畑の「ダジャース」の方が近い。しかし、より正確を期すなら「ダジャーズ」だろう。

 チーム名の由来は「避ける人たち」である。ドッジボール(Dodgeball)も、そこからきている。

 ロサンゼルスに移転するまで、ドジャースはニューヨークのブルックリンを本拠にしていた。だが、1883年の球団創設以来、ずっとドジャースを名乗っていたわけではない。

 ブルックリン時代にはアトランティックス、グレイス、ブライドグルームス、グルームス、スーパーバス、トロリードジャース、ロビンスなど頻繁にチーム名を変えている。正式にドジャースを名乗るようになったのは1932年からだ。

 1892年、ブルックリンのまちを路面電車が走るようになる。本拠地のイースタンパーク付近では人身事故が多発した。そこで道行く人々は路面電車をドッジ、すなわち避けながら歩いた。その名残りを留めているのが、「トロリードジャース」というかつての愛称である。

 日本でドジャースが一躍有名になったのは、Ⅴ9前夜の巨人が、近代野球の兵法書とでも呼べる『ドジャースの戦法』(アル・キャンパニス著=54年出版)を導入してからだ。

 Ⅴ9は65年からスタートするのだが、監督の川上哲治は、「巨人の野球の原点はドジャース野球である」と語っている。

 川上の下で作戦参謀を務めた牧野茂は、『ドジャースの戦法』導入以前の巨人の野球を<打ちゃいいんでしょう、投げればいいんでしょうという、いわば成りゆき任せ、どんぶりかんじょうの野球であった>(『牧野茂日記』牧野竹代編・ベースボール・マガジン社)と述べている。

 逆説的に言えば、川上がこの本を取り入れなかったら、日本野球の近代化は随分遅れていただろう。その意味で、ドジャースは日本野球の師匠のようなチームでもある。愛着が湧くのも当然か。

初出=週刊漫画ゴラク2024年3月29日発売号

二宮清純
(にのみや・せいじゅん)

スポーツジャーナリスト。1960年愛媛県生まれ。オリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシング世界戦など国内外で幅広い取材活動を展開中。1999年6月より、インターネット・マガジン「Sports Communications」(http://www.ninomiyasports.com)を開設。 新刊『森保一の決める技法 サッカー日本代表監督の仕事論 (幻冬舎新書 )』が好評発売中。他に『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)、『スポーツを「視る」技術』(同)、『勝者の思考法』(PHP新書)、『プロ野球裁判』(学陽書房)、『人を動かす勝者の言葉』(東京書籍)、『歓喜と絶望のオリンピック名勝負物語』(廣済堂新書)、『昭和平成ボクシングを語ろう!』(同)、『村上宗隆 成長記〜いかにして熊本は「村神様」を育てたか』(廣済堂出版)など、著書多数。