正真正銘のスーパースター
この3月26日は、“キックの鬼”と呼ばれた沢村忠の3回目の命日だった。
必殺技の“真空飛び膝蹴り”は一世を風靡し、TV視聴率は30%を超えた。
この沢村を倒すためにキックボクサーになった男がいる。後に東洋ウェルター級王者となる富山勝治だ。
学生時代から空手に取り組んでいた富山は、高校卒業後、海上自衛隊に入隊し、巡洋艦に乗っていた。
ある日、上官が言った。
「おい富山、オマエなら沢村を倒せるぞ!」
「沢村って誰ですか?」
「知らんのか? 今、東京で大人気のキックボクシングのチャンピオンだよ」
富山は、沢村を知らなかった。初めてテレビで雄姿を目にしたのは、呉に寄港した時だった。
「偶然、船のテレビで沢村さんを見たんです。相手はタイのポンニット・キットヨーテン。最後は真空飛び膝蹴りでKO勝ち。“こりゃ、すごいや”と思いました」
上京した富山は沢村と同じ目黒ジムに入門した。
デビューから半年後、将来性を見込まれた富山は、プロモーターの野口修にロサンゼルスでの修行を命じられる。野口は米国進出を狙っていたのだ。
遅れてロサンゼルスにやってきたのが沢村だった。
富山にとっては、初めて目にする“ナマ沢村”だ。テレビで真空飛び膝蹴りを見て、衝撃を受けたことは先に述べた。しかし、それは、あくまでも画面の中での出来事。「この人、本当に強いのか……」。内心では半信半疑だった。
と、その時である。
「富山君、ちょっとそこで構えてみろ!」
富山が、その場で右構えに構えると、目の前から沢村の姿がフッと消えた。気がつくと、自らの肩の上に沢村が乗っていた。
「沢村さん、目の前でポンと飛び上がったり、僕の肩の上にスネで乗ったんです。まるでニワトリが止まるみたいに。“あぁ、この人には勝てないな”と確信しました」
これは沢村がジムでよく見せる真空飛び膝蹴りの練習の一環だった。沢村の身体能力の高さは、富山の想像の域をはるかに超えていた。
当時の沢村人気がいかに凄まじかったか。富山は、こんなエピソードを披露した。
「目黒ジムは目黒の権之助坂にありました。ガラス張りのジムだったため、沢村さんが練習を始めると、ジムの前には人だかりができるんです。車の中から見る人もいるため、大渋滞が起きていました」
格闘技の枠を超え、国民の誰もが仰ぎ見る正真正銘のスーパースターだった。
初出=週刊漫画ゴラク2024年4月5日発売号
二宮清純(にのみや・せいじゅん)
スポーツジャーナリスト。1960年愛媛県生まれ。オリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシング世界戦など国内外で幅広い取材活動を展開中。1999年6月より、インターネット・マガジン「Sports Communications」(http://www.ninomiyasports.com)を開設。 新刊『森保一の決める技法 サッカー日本代表監督の仕事論 (幻冬舎新書 )』が好評発売中。他に『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)、『スポーツを「視る」技術』(同)、『勝者の思考法』(PHP新書)、『プロ野球裁判』(学陽書房)、『人を動かす勝者の言葉』(東京書籍)、『歓喜と絶望のオリンピック名勝負物語』(廣済堂新書)、『昭和平成ボクシングを語ろう!』(同)、『村上宗隆 成長記〜いかにして熊本は「村神様」を育てたか』(廣済堂出版)など、著書多数。