飯田の大衆御食事処「末広」(飯田市駄科)が6月2日、46年の営業に幕を下ろす。(飯田経済新聞)

 チャーシューメン(900円)

 1978(昭和53)年1月17日創業の同店は、店主の久保田賢司さん(79)、妻の恵子さん(76)、恵子さんの弟の田中敏明さん(75)の3人でスタートした。創業当時は会社勤めをしていたという賢司さんが「何かやってみたい」と出店を考えたという。

 名古屋市内で当時、大衆食堂「角千」を営んでいた恵子さんの兄に倣い、「普段着で気兼ねなく来られる店」をモットーに、「姉弟間の『あ、うんの呼吸』でスタートした」と振り返る。最初の来店客は「アベックだった。叔母から『男女2人の来客、縁起が良い』と喜ばれ、うれしかった」と賢司さんは振り返る。

 開店当初は、そばやうどん、名古屋ならではのきしめんやラーメン(開店当初の価格は220円)などの麺類や丼物を中心にメニューをそろえ、時代の流れに合わせ定食や弁当などを加え、現在のメニューは68種を数える。

 朝6時に起床し、そばや丼用に、サバ節で作っただしにたまりじょうゆを合わせただしを作り、ラーメンのスープは鶏ガラの血抜きから始め、豚骨や魚介類、野菜に果実も加え、毎日作るという。「香りを保つため、その日その日で調理する」と賢司さん。昼と夜の営業を終えて、1時間かけて店内を掃除してから床につき、睡眠時間は4時間ほどだという。

 閉店を決めたのは、恵子さんの腰の具合や敏明さんの足の具合が良くないことが理由だという。会社勤めと店の営業を両立させ、54歳で勤めを辞めたという賢司さんは「(恵子さんが)とにかく大変だった。子育てもしながら、昼も夜も店に立ってくれた」と恵子さんを思いやる。恵子さんは「そんなんでもなかったに。体が丈夫だった」とほほ笑む。

 同店が開店した頃、近所には輝山会記念病院(毛賀)と住宅が5軒あったのみで、辺りには桑畑が広がっていたという。国道153号から600メートルほど東へ入った場所で、「3日でつぶれるぞ」と心ない言葉が耳に入ったこともあるが、「何とかなってるよ」と賢司さんは強く思ったと話す。その後、「3カ月、1年、3年」と時がたち、「3年過ぎると、誰も何も言わなくなった」と振り返る。

 同店近隣地区の竜丘や下久堅、少し離れた山本や伊賀良、上郷への出前が多く、全体注文の6割ほどを占めるという。「出前と店とで忙しくなった最中はプレッシャーを感じるが、ピーク時間を過ぎると、『良かった忙しくて』『お客さんが大勢来てくれた』と感じる」と恵子さんは話す。

 46年を振り返り、賢司さんは「『入院する前に末広のチャーシューを食べる』という方や、『退院したから』とパジャマ姿でこっそり来る方も今まで何人かいらっしゃった。大事な一食に選んで食べてくれてうれしかった」と思い出しながら話す。

 恵子さんは「お孫さんが弔辞で『おじいちゃんが末広でおごってくれたカツ丼がおいしかった』と読まれたそうで、それを聞いて食べに来てくれた方もいる」と話す。「長くやっとると、いろいろある」と賢司さん。

 閉店を聞きつけた来店客で連日にぎわっており、伊那市内から来店した男性は「味が染みたチャーシューがうまい。気取ってなくていい。仕事でこちらへ来ると必ず立ち寄るので、(閉店すると)困ってしまう」と話す。

 市内から車で30分ほどかけて訪れたという夫婦は「何かは分からないけど、スープが違う。閉店を聞いて食べに来た。この後、閉店まで何度も訪れる」「仕込みが丁寧。スープの味が濃いのにあっさりしている。とても手がかかっている料理」と口々に話す。

 「常連の方や初めて見えた方が『本当にやめちゃうの?』と声をかけてくれる。私たちの知らないところでも気にかけてくれて感謝しかない」と賢司さんと恵子さんは口々に話す。

 営業時間は、月曜・水曜=11時〜15時、木曜〜日曜=11時〜15時、17時〜19時30分。火曜定休。6月2日まで。