授業再開のめどが立たないとして集団での避難が行われた奥能登の被災地の中学生は、2か月の間親と離れ離れになり過ごしました。避難生活を送る中、限られた環境で練習を重ねた男子中学生は伝統の祭り太鼓で全国に希望を届けました。
能登伝統の祭り太鼓を基本とする輪島市のジュニア和太鼓チーム「輪島・和太鼓虎之介」
2月、輪島から遠く離れた白山市の浅野太鼓楽器店で練習を再開しました。
真剣な表情で太鼓と向き合う加川桜馬さん(15)は輪島市内に住んでいますが、この冬は親元を離れ白山市内から練習場所に通っていました。
母・加川千春さん「ここずっとねえ、海の方に行ける道だったんですけど、道が全部落ちてしまって」
日々の生活に欠かせない道路も崩落。地震後親子は輪島中学校で避難生活を送っていました。
大きく亀裂の入ったグラウンドにゆがんだテニスコート。桜馬さんが通う輪島中学校も大きな被害を受けました。輪島市内では、授業再開のめどが立たないことから希望して保護者の同意を得た中学生は、およそ110キロ離れた白山市に避難し集団生活を送ることになりました。
その案内がきてから回答するまでの猶予はわずか43時間でしたが、桜馬さんは白山市に行く決断をしました。
1月16日、中学生の「集団避難」を翌日に控えた日、桜馬さんと母・千春さんは、地震によって天井が落ちるなどの被害を受け住めなくなった自宅を訪れ避難先に持っていくパソコンなどを取りに来ました。
加川桜馬さん「こっちのほうが生活辛いけど家族がいるから安心する。行きたくないっていうのはあったけど、みんなが行くなら行くという感じでした」
そんななか、桜馬さんには親元を離れて過ごすこと以外にも不安があったと母・千春さんは話します。
母・加川千春さん「この子太鼓もしているんですよ。全国大会の石川県代表で本当は3月大会が開催される。練習もできないしねどうなるんかな。でも行きたいげんね?」
そして翌日の1月17日、輪島から出発します。
母・加川千春さん「本人もたぶん口には出さないけど不安でいっぱいやと思っているんですけどね」
輪島市内の中学生の6割にあたるおよそ250人が、白山市に向かいました。
桜馬さんとは離れて暮らす間、千春さんは炊き出しをするなど、被災地での活動に勤しんできました。
100キロ以上先の息子とはたびたびスマホでやりとりも…。
母・加川千春さん「こんなのもらった、あんなのもらったっていうのをビデオ通話で見せてくれる。全然安心、楽しそうに」
地震を忘れて今を楽しんでほしいと息子を送り出した千春さんですが、それでも不安と寂しさは募ります。
母・加川千春さん「炊き出しの準備などしながら気を紛らわして、1日1日を過ごしている。新学期2年生になって(輪島に)来られるかなぁ。」
伝統の祭り太鼓を基本とし2000年に結成したジュニア太鼓チーム「輪島・和太鼓虎之介」。
地震の被害を受けながらも無事だった太鼓を白山市に運び、2月に入ってから石川県代表として参加する全国大会に向けた練習を再開しました。
加川桜馬さん「久々に太鼓叩けるから、ウキウキ感とかドキドキ感とかそういうのがあって楽しい」
大会で披露するのは、輪島大祭の祭り太鼓をアレンジした一曲。明るく響く掛け声が特徴的です。
輪島・和太鼓虎之介 川端光太朗さん「地震があっても輪島の太鼓は変わらずなり続けるというか、なくならないというのを皆さんに知ってもらえたら」
加川桜馬さん「震災があったのに高い順位取ってすごいなと感じてほしい。明るく元気なところを伝えたい」
3月24日、さいたま市で開かれた日本太鼓ジュニアコンクールには、全国から46チームが参加し演奏の腕を競い合いました。
輪島・和太鼓虎之介は入賞は叶わなかったものの、特別賞を受賞しました。
川端光太朗さん「演奏どうでしたか?」
加川桜馬さん「演奏を最後までやり切れましたし、全国大会に来られてよかったです」
大会の翌日、桜馬さんはメンバーとともに輪島に戻ってきました。
母・千春さん「超すげー寝起きやん。お疲れ様」
輪島に戻って母に話した大会の思い出。全国の舞台で切磋琢磨する同年代の太鼓チームから励ましの言葉を受けたことが印象に残ったそうです。
加川桜馬さん「震災があっても頑張ってねとか、復旧を頑張ってくださいとか(寄せ書きに書いてあった)。輪島に行っても頑張りたいなと思った」
2か月もの間親元を離れた集団生活は終わり、桜馬さんはこの春からは輪島で学校生活を送ります。
加川桜馬さん「もっとみんなと(白山市に)いたいなと思っていました。ご飯とか風呂とか全部済ませて友だちと一緒にしゃべったりするのが楽しかった」
母・加川千春さん「結構皆さんから支えられてきたし、支えてくれるような人になってほしいですね」
親子はまだ避難所生活を送っているなど困難ははまだ続いていますが、成長した桜馬さんへの母の期待は大きいようです。