今月初め、ひとりの名伯楽が約50年間のホースマン人生にピリオドを打った。小倉競馬場で行われたセレモニーでは、あふれ出る涙を必死にこらえ、競馬界への感謝を口にした安田隆行師。トウカイテイオーの主戦を務めるなど、騎手としても輝かしい成績を残した一方、調教師としてはJRA通算967勝を挙げた。また、その白星の約7割が1600m以下であったことから、ファンや関係者は同厩舎を「短距離王国」と称した。

 トランセンドやダノンザキッドなど、中距離戦線で活躍した馬もいたが、ダッシャーゴーゴーやカレンチャンなど、その多くが短距離馬。なかでも、香港名では龍王とも呼ばれたロードカナロアは厩舎の大将格として君臨した。多くの日本馬が壁に跳ね返され、難攻不落ともいわれた香港スプリントを連覇。さらには父としてダノンスマッシュ、レッドルゼル、ダノンスコーピオンらを厩舎に送り込み、王国繁栄に一役を買った。

 そんな安田隆行厩舎にとって、王国たる所以を知らしめたのが、一部で“安田”記念とも評された12年の高松宮記念。5連勝中で初のGIタイトルを狙ったロードカナロア、スプリンターズS覇者のカレンチャン、重賞3勝馬ダッシャーゴーゴー、前年に北九州記念を制したトウカイミステリーの豪華4頭出しで挑んだ。

 そのなかで主役となったのはカレンチャンだった。芦毛のキュートな見た目と、親しみやすい名前で人気を集めた厩舎のヒロイン。前年に5連勝でGIタイトルを手にしたものの、その後は香港スプリント5着、オーシャンSで4着と勢いにやや陰り。1番人気は連勝伸ばして初GI獲りに勢いづく後輩馬ロードカナロアに譲り、少し離れた2番人気でレースを迎えた。

 ゲートでトウカイミステリーが立ち遅れたものの、ほかの3頭は好スタートから前へ。外2番手でカレンチャンが逃げ馬をマークし、内3番手にロードカナロア、外の4、5番手にダッシャーゴーゴーが付ける形。同厩舎で前を固め、レースをつくっていく。前半600mが34.5秒と、GIとしては比較的落ち着いた流れ。展開面でも先行3頭に大きく味方した。

 直線に入ると逃げていたエーシンダックマンは早々に脱落。カレンチャンが抜け出しを図り、内ラチ沿いからロードカナロア、外からダッシャーゴーゴーが並びかけ、僚友3頭の激しい競り合いに発展する。一瞬はロードカナロア、ダッシャーゴーゴーが伸びかけたが、最後までしぶとく粘ったカレンチャンに軍配。後続から追い込んできたサンカルロの追撃をクビ差しのいだところがゴールだった。

 勢い勝った後輩馬、実績十分な同世代の僚馬2頭を封じて女王復権。かわいくて強いアイドルホースが、厩舎の先輩GI馬としての威厳を見せた。さらに、ロードカナロアが3着、ダッシャーゴーゴーが4着に入り、トウカイミステリーも最後方から脚を伸ばして8着。なんと出走4頭すべてが賞金を獲得してみせたのだ。

 安田隆行厩舎に短距離馬ありを思わせる結果に。加えて、のちにロードカナロアなどが国内外で活躍したことから、そのイメージは強くなっていく。いつしか、「短距離王国」と称されるようになっていった。

 今年の同レースには安田隆行厩舎からの転厩馬や、カレンチャンの調教担当だった安田翔伍師の管理馬は不在なのは寂しいところ。だが、同馬の主戦を務めていた池添謙一騎手がメイケイエールの手綱を執る。カレンチャンと同じくアイドル的な人気もある一頭を、ラストランでGI制覇に導くだろうか。