話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、日本長距離界を牽引する大迫傑選手と新谷仁美選手にまつわるエピソードを紹介する。

【MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)】〈男子〉39キロ付近を力走する大迫傑=2023年10月15日午前、東京都内 写真提供:産経新聞社

【MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)】〈男子〉39キロ付近を力走する大迫傑=2023年10月15日午前、東京都内 写真提供:産経新聞社

マラソンのパリ五輪女子代表の最終選考レースを兼ねた名古屋ウィメンズマラソンが10日に行われ、安藤友香が2時間21分18秒で優勝。だが、1月の大阪国際女子マラソンで前田穂南が記録した日本記録2時間18分59秒には届かず、女子代表の最終3枠目には前田が内定した。

これで、先週の東京マラソンの結果を受けて男子の3枠目に内定した大迫傑とともに、男女のマラソン代表が出揃うこととなった。

今回のパリ五輪代表枠をかけた争いは、男女ともにマラソンの在り方、オリンピックとの向き合い方、という意味において、これまでの常識に一石を投じる意義深いものになったのではないだろうか。その渦の中心にいたのは、男子は大迫傑。そして女子はパリ五輪代表には選ばれていない新谷仁美だ。ともに「オリンピックは関係ない」と明言し、オリンピック選考レースよりも自分が走るべきレースに出ると宣言。その姿は、ともに「プロランナー」としての矜持を感じさせてくれた。

ともに1度は現役引退を経験し、その後に競技復帰。また、2人とも過去大会でオリンピックを経験している側面があるからこそ、「オリンピック至上主義」に陥らず、自分自身と向き合える点は大きい。

新谷仁美が重視したのは「オリンピックよりも日本記録」という姿勢だ。1度引退した自分を受け入れ、サポートしてくれた人たちに目に見える形で恩返ししたい、という思いで、日本記録の更新を至上命題に置き、そのためのレース選びを重視した。

昨年(2023年)1月のヒューストンマラソンでは、日本記録にあと12秒に迫る2時間19分24秒をマーク。誰よりも日本記録に近いランナーと目されながら、今年(2024年)の大阪国際女子マラソンではペースメーカーを務め、その新谷の「神ペースメーカー」とも言われた先導役のおかげもあって、前田穂南が日本新記録を樹立。記録更新という目標で先を越されたことに、「悔しい以外何もない」とはっきり語る姿は清々しくもあった。

プロランナーとしての矜持があり、低迷する長距離界をどうにかしたい、という責任感もあるからこそ、言うべきことは言うのが新谷スタイル。歯に衣着せず、自分の意見を発信する理由について、かつてこんな言葉を残している。

『アスリートは競技で結果を出して『じゃあいいよね』っていうわけではないと思います。自分の言葉で自分の意思を伝えることが大事。競技だけで表現できないことは、しっかり言葉を述べて表現していきたい』

〜『THE ANSWER』2021年12月11日配信記事 より(新谷仁美の言葉)

そしてもう1人の渦の中心、大迫傑。五輪選考レースの3番手にいたといっても、自身の記録を越える選手が出てくれば選考漏れする苦しい立場にいた。それでも、最後の代表選考対象である東京マラソンには出ず、4月15日のボストンマラソンに出場することを明言。その理由について、自身が主宰するメディア『SKETCH BOOK』で次のように語っている。

『もちろんオリンピックは大事なレースだけど、みんなが思っているほどこだわらなくていい。マラソンってもうすでにメジャースポーツなわけだから、オリンピックから一番独立できる競技でもあって。活躍できる場、注目される場としてワールドメジャーなレースがたくさんある。オリンピック至上主義みたいな考え方って、スポンサーも含めて、みんな思考停止しているんじゃないかな』

〜『SKETCH BOOK』2024年1月18日配信記事 より(大迫傑の言葉)

その源泉にあるのは、世界で勝てるランナーでありたい、という欲求だ。2022年、私は大迫傑と瀬古利彦の対談に立ち会う機会に恵まれたが、その際、「瀬古さんのように世界で勝てるランナーになりたい」として、次のように語ったのが印象的だった。

『どの距離でも、世界には「速い選手」はたくさんいます。ただ、「勝てる選手」というと速いだけではダメで、プラスの要素が必要になる。マラソンなら、リオと東京で五輪連覇を果たしたケニアのキプチョゲ選手( 15戦13勝)がそうですけど、それ以前では瀬古さんほど高い勝率( 15戦 10勝)でマラソンを走った選手はいないはずです。僕自身、世界記録は目指せなくとも、世界の大会で勝てるような選手になりたい』

〜2022年11月 競技スポーツセンター発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より(大迫傑の言葉)

結果的にはしっかりパリ五輪代表の座もつかみ、その上で来月(4月)のボストンを走る大迫。一部では、五輪までの間隔が短すぎるからボストンは走るべきではない、という声も上がっているが、「勝てる選手」を目指す大迫ならば、ボストンで勝つイメージも、そしてその先のパリで勝つためのイメージも持って走るレースを選んでいるはず。その選択を信じて、どんな走りをするのかを追いかけたい。

いずれにせよ、新谷仁美と大迫傑の持つメッセージは、低迷する日本長距離界を大いに刺激するものになっているのは間違いない。その刺激が今後の長距離界にどんな影響を及ぼすのか。長い目で見守っていく必要がある。