ずっと雲隠れ状態だった元卓球日本代表の福原愛さん(35)が、2024年3月15日に突如、都内で記者会見を開いた。折しも、日本の国会で「共同親権」法案が審議されているが、台湾の共同親権制度のもとで起きた“子どもの取り合い”と和解から何が読み取れるだろうか?
◆逮捕の可能性さえあった福原愛

2022年、離婚した江宏傑さん(35)と福原さんの間で、日本と台湾をまたいでの親子交流が開始された。ところが福原さんが約束通り台湾に息子を帰さなかったため問題となり、関係が泥沼化。それ以来、彼女は表舞台から姿を消していた。未成年者略取による逮捕も噂されていた中、急転直下なぜ和解という決着をみたのか――。

3月15日午後2時、福原愛が日本外国特派員協会の会見場に姿を現した。反省の気持ちを表すかのような黒のスーツ姿。硬い表情で口を開く。

「この度は私のことで、皆様にご心配やご迷惑をおかけしてしまい、誠に大変申し訳なく思っております。江さんと和解いたしましたので、この場をお借りして皆様にご報告をさせていただきます。これからは、江さんと協力をして、子供を育てていきたいと思っております。皆様にはどうか温かく見守っていただければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします」

そこまで言い切ると、彼女はわずか数分で会場を退出した。和解に至った経緯などについて、何も話すことはなかった。

◆共同親権のもとでも起きた“子ども連れ去り”

和解についての弁護士による説明の前に、これまでの経緯を整理してみよう。

江さんとの間には、長男(’19年生)と長女(’17年生)がいる。2021年7月、二人が離婚した際、台湾の法律に従って共同親権で主要扶養者(日本でいう監護権)を江さんとして、定期的な交流の取り決めが交わされていた。

共同親権が原則の台湾では、裁判官が双方の意見と、子供の最大の利益を考えて、主要扶養者を決めることになっている。監護権(子どもと暮らして育てる権利)も、その他の権限も明確にするので、台湾の中での子連れ離婚は、もめることが少ないのだ。
ところが今回は、単独親権制度をとっている日本との間での国際離婚だったことも影響したのか、子どもを取り合うドロ沼の争いとなってしまった。

2022年7月、江さんは自身のSNSで「(福原さんが)子どもを連れて日本に帰国したまま連絡が取れなくなった」と明らかにした。さらには23年7月、江さんが会見し、日本の裁判所で審判を起こし、子の引き渡しを命じる審判が7月21日に下されたことを伝えたのだ。

その場で江さんは、任意での引き渡し望んだが、福原さんは応じず。23年8月には、福原さんの元にいる長男を強制執行という形で、台湾へ連れ戻す申し立てが認められた。
しかし、福原さん側は徹底抗戦し、7月の引き渡し審判への不服申し立て(抗告)を、東京高裁・最高裁に行っていた。
それに対し、江さんは福原さんを刑事告訴し、日本の警視庁に受理されていた。逃亡の恐れありと認められれば、未成年者略取容疑で福原さんは逮捕される可能性すらあったのだ。

このように揉め、最悪、逮捕されるかもしれない状況で、福原さんは表舞台から姿を消していた。

◆福原愛さんはなぜ逃げ切れると思ったのか

強制執行がなぜ行われなかったのか。そしてなぜこのタイミングで和解となったのか。会見では江さんの日本側の代理人、大渕愛子弁護士が和解までの経緯を語った。

「昨年7月に(江さんが)会見をした時点で(福原さんが)どこの国に行ったのか定かではありませんでした。調査の結果、8月の後半から9月にかけて中国にいることが判明しました。その後、代理人の間で話し合いが進められて、和解が成立したので、日本において引き渡しがなされた。江さんと息子さんはすでに日本を離れました」

二人の間にはもはや何の争いもない。福原さんは、不服申し立てを取り下げたためだ。

ではなぜ和解となったのか。その決め手について語ったのは、これまで福原さんの代理人をつとめてきた民事の弁護士ではなく、刑事告訴されたのちの昨年12月、福原さんに依頼され代理人に就任した酒井奈緒弁護士であった。

「本件は、福原さんが面会交流期間を過ぎても江さんに息子さんを戻さなかったことに端を発しております。以降、息子さんを江さんに引き渡すように裁判所から命ぜられても、福原さんが息子さんを引き渡さなかったこと、これは端的に不適切であったと言わざるを得ません。
今回、私達からは、率直に、福原さんに『態度を改めないとダメだ』という話をさせていただきました。これに対して福原さんにおいても理解し納得をしたことから、私どもから大渕弁護士に、刑事弁護の過程で和解を申し入れるに至りました」

説得した際の、福原の態度はどうだったのか。中国に逃げたり、最高裁まで戦ったり、これまでずっと抵抗していたのだ。かなり拒否感があったのではないか。

「私どもがきちんと説明をしたところ素直に応じていただいた。ダメだということは本人もわかっていた。それでもお子さんに対する思いが非常に強くて渡せなかったという印象です」(酒井弁護士)

◆「共同親権=平等に権利を持つ」は誤ったイメージ

そもそもだ。台湾でしっかりとした取り決めが行われたにもかかわらず、それを破ってまで長男を日本に留め置いたのはなぜか。約束通りそのまま返していれば、長女と会えなくなることも避けられたのではないか。

「なぜ福原さんがそのような対応をしてしまったかについては、当時福原さんがこの件を相談していた方から、そのようなアドバイスをされていたためであったと聞いております」(酒井弁護士)

そう言って、アドバイザーが「逃げ切れる」と入れ知恵したことを匂わせた。これ以上、引き伸ばすと本当に逮捕されるかもしれない。そうなれば日本でともに暮らしてきた長男を手放さざるを得なくなる。その上、これまで築きあげてきた名声もすべて失ってしまう――そうした追い詰められた状況下での説得だったのではないか。

また、日本人が共同親権を誤解している可能性も、大渕弁護士は指摘した。

「両方に親権があるのだから、(福原さんが)子どもを連れていっても問題ないという声も聞かれましたが、それは違います。『平等に権利を持つ』という日本人のイメージとは違って、共同親権でも主要扶養者(監護権)はどちらなのか、両親それぞれにいかなる権利があるのかを、非常に明確に決めるのです」(大渕弁護士)

◆共同親権では、それぞれの権限をきっちり決めるべき

福原さんのケースは、今後どうなるのか。

「和解の具体的な内容については、ここでは控えさせていただきますが、決して江さんが息子さんを福原さんに会わせないといった内容ではなく、今後双方ともに、息子さんの親として協力して育てていくことになります。日本でも台湾でも過ごす時間は十分あります。共同親権は維持したまま、監護権は江さんに依然として帰属したまま、という内容になっています」(大渕弁護士)

今回の和解は息子さんのことだけで、娘さんは和解の範囲外。とはいえ、福原が台湾に行けば、娘さんとの再会もありうるだろう。

また、日本で共同親権に根強い反対があることについて質問が出て、大渕弁護士はこう述べた。
「共同親権は対等に権利を持つから、何も決められずにトラブルがずっと続くのではないか、という印象をお持ちでしょう。ですが実際には、監護者や決定権限を明確に決めたうえでの共同親権なので、そういうことはないと考えています」
 
江さんの台湾側の代理人である徐〇博弁護士(〇は山カンムリに松)によると、DVがあった場合などは台湾でも単独親権を選ぶ人がいるという。いま日本で審議中の法案も、共同か単独かを選べる制度設計になっている。

今回のように、共同親権であっても“連れ去り”に近いトラブルは起こりうる。
と同時に、共同親権でなければ、福原さんは二度と子どもと会えなかったかもしれない。元夫を排除することをやめ、ともに国をまたいで育てるという選択をしたために、長らく会えていなかった娘さんとの縁もまた紡げるのだ。その意味において、福原さんは台湾の原則共同親権制度に救われたとも言えるのではないか。

◆離婚時の取り決めがなければ解決しなかった

今回の福原さんのケースは、最後は台湾での取り決めが決め手となり、落ち着くところに落ち着いた。それは離婚時にしっかりと取り決めがあったからこそだ。
筆者は、大渕弁護士に会見後、「台湾での取り決めがなかったら和解には至っていなかったのでは?」と聞いてみた。

「そのとおりです。共同親権という枠組みがあり、なおかつ諸条件の取り決めがあったからこそ、今回の結果に至りました。共同親権だけではダメでした。双方があったからこそ、和解に至ることできました」(大渕弁護士)

現在、国会で審議が行われている共同親権。法改正が行われれば、単独親権に加え、共同親権を選ぶことが可能となる。だが、どちらの制度にせよ、離婚時にきちんと取り決めをしていればトラブルはかなり回避できる。
日本の法改正も台湾同様に、双方の親の権限や監護権を明確にするべきではないか。もっといえば離婚時に養育計画の作成を義務づけるべきではないか。それが双方の親、そして子どもの幸せに繋がるのではないか。政治家は奮起してほしい。

<取材・文・撮影/西牟田靖>