【私のおふくろメシ】

 佐藤正宏さん(タレント・俳優/65歳)

 今年で40周年を迎える劇団「WAHAHA本舗」の佐藤正宏さんのおふくろメシは山形ならではの漬物2種。昨年亡くなられたお母さんの思い出も語った。

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 山形県天童市の実家は大工をやっていて、母親は仕事を手伝っていたので普段は祖母が料理をしてくれていました。

 母親はそれほど料理上手じゃなかったのかな(笑)。でも、お弁当は彩りよく作ってくれてました。高校の時に友だちが私の弁当を見て「大名弁当」と名づけてくれましたから。その友だちの弁当に比べてウチのは品数が多かったんです。

 思い出深いのは漬物。まず夏はナス漬け。実家に畑というか、家で食べる分だけ育てる家庭菜園がありまして、とれたナスに塩と色をよくするためにミョウバンを加え、一晩漬けて出来上がり。かじると皮がパリンとしてナスのうまみが口に広がるんです。

ナス漬け、ご飯、ナス漬け、ご飯と交互に食べるとたまらなくうまい!

 夏場は冷めたご飯をザルに入れ、台所で水道を出しっ放しにしてザルにかけ、ご飯のぬめりを落とす。で、左手に持ったナス漬けをかじりながら、インド人がカレーを食べるみたいに指先で米粒をすくって食べるんですよ。

 井戸水だから、ご飯が冷たくなりナス漬け、ご飯、ナス漬け、ご飯と交互に食べるとたまらなくうまい! 今思えば貧しい食べ物ですねえ(笑)。手で食べるのが楽しくて夏の定番でしたよ。家族みんなして一緒にやることはなかったけど、僕らはそれを「水漬け」と呼んでいました。

 これを茶碗に入れて水漬けにしたら、ぬめりがとれないからダメなんです。流しの前に立ったまま水を出しながら食べるのがいい。行儀は悪いですけど。

 冬は青菜漬け。こちらも郷土料理で、青菜は漬物用の伝統野菜。形は白菜に似てるけど丈が70センチくらいで青くてね。地元では秋の終わり頃から山のように販売される各家庭の冬の保存食。

 まず日に干して、1回目は塩だけで漬けるんです。その後に味付けを加えて漬ける。味付けは醤油も入ってますね。

 ウチでは直径1メートル、深さも1メートルちょっとある漬物桶にいっぱいに漬けると、翌年の3月までもつ分量でした。

 外の物置小屋に漬物桶を置いておくんですが、寒い日に漬け込んだ青菜を取りに行くと、漬物桶の表面に浮いてる汁が凍っているんですよ。その氷を手で割り、重しの石をとって石の下の木の蓋をとり、冷たい青菜漬けを持って戻り、暖かい部屋で食べる。

 ご飯にのせて海苔巻きのようにクルッと巻いて食べると、もう最高。歯ごたえがシャキッ! としてさわやかな辛味があって、うまいんですよね。

 ただ外に取りに行くのがつらくて。

「青菜漬け、持ってきて」と母親から言われると、子供心に「ええ〜」って感じでイヤでしたね(笑)。

 大人になり、子供を連れて実家に帰った日は子供が寝た後に、その寝顔を見ながら、青菜漬けをつまみに地酒を飲んでいたら、「幸せってこういうことなのかなあ」としみじみ思いました。

 青菜漬けには他の食べ方もあります。山形は納豆をよく食べる。納豆汁とか、正月などにはモチに納豆をまぶした納豆モチを食べるんです。納豆モチは冷えてくると硬くなるけど、青菜漬けの先っぽの葉っぱの部分でくるみ、ストーブで焼いて食べるとうまいんです。

 電子レンジがなかった頃の知恵で冷たくなったらストーブにのせて焼くことが多かった。寒い冬に温かく食べれて香ばしい。もちろんおにぎりに巻いて焼いてもうまい。

■母親の一周忌に一族34人が集結

 先月、母親の一周忌があり、母親の孫、ひ孫まで合わせて一族が集結したら34人いました。食べたのはやはり山形の料理。甥っ子や姪っ子と話すと会話に山形弁は減っているのですが、食べ物に関してはいろんなものが残ってます。食文化は根強いなと思いました。

 僕自身も料理はしています。子供が小さかった頃はお弁当も作ってました。野菜を多くして自炊したほうが体にいいですからね。今年はWAHAHA本舗が40周年。母親が残した郷土料理を作り、僕もますます頑張ります。 (聞き手=松野大介)

▽佐藤正宏(さとう・まさひろ) 1958年12月、山形県出身。84年に喰始、久本雅美、柴田理恵らとWAHAHA本舗を設立。今年9月から40周年公演を行う。単独では俳優として活躍。