アイントラハト・フランクフルトの元日本代表MF長谷部誠(40)が現役引退を表明したことを受け、東京ヴェルディの和田一郎コーチ(50)が18日、東京・稲城市のクラブハウスで代表時代の思い出を語った。

和田コーチは日本代表の分析スタッフ、アシスタントコーチという立場から、長谷部が成長していく過程を目の当たりにしている。ジーコジャパン時代の06年2月のデビューに始まり、14年W杯ブラジル大会まで。ただし最初は「キャプテンという感じではなかった」という。

「中心になってきたのは岡田ジャパンの時。だんだん選手としても中心になってきて。すごいのは自分のことを自分でコントロールできるというのが最初からあった」

転機は10年6月、岡田ジャパンの時だった。W杯を前に不調のチームは揺らぎ主将の役割が巡ってきた。

「1回キャプテンやった後は、自分のことと同じくらいチームやスタッフとのリレーションを考えるようになった。偉大なキャプテンでしたね。その前はツネ(宮本恒靖)とかがやっていたけど、そういうふうなキャプテンシーが強くて信頼されていましたけど、ハセなんかはその筆頭ですよね」と懐かしんだ。

愛されキャラゆえに、周囲との絆も深まったという。

「まじめなんですけど、抜けてたら、みんからいじられたり、突っ込まれたりする。だから愛されていた。僕なんかはスタッフとして彼に助けられた印象がある。偉大なキャプテンであり、偉大な選手であり、日本代表では象徴のような選手だった」

今に至る代表チームの一体感を作ったのもそうだ。「代表に行くと試合に出られないメンバーがいるじゃないですか。でも、俺は試合に出られないから、っていう雰囲気が一切ない。ハセら歴代の代表に選ばれてきた選手たちが、そういう考えだったら入らない方がいいっていうくらいに、代表の良さを継承していっている。その象徴。新しく入ってきた選手に代表ってこういうもんだよって、いう言葉だったり、プレーだったり、背中で示してきた」

それが長谷部の後を継いだ吉田麻也、そして現在の遠藤航へと継承されている。「チームのために頑張る。出られないからという雰囲気を出す者はいない」。

代表の象徴と誰もが認める存在となったが、それは長谷部が自らに求められている姿に気付き、努力し、進化していったからに他ならない。

「浦和に入った時はトップ下で、(代表に)入ったり入んなかったり。それが海外に行って、(プレースタイルを変えながら)だんだんと呼ばれるようになったし、成長していった。こんな偉大なキャプテンになるとは思わなかった。自分に要求されることを全部、反映させていった」

スパイクは脱いでも、形を変えて今後の活躍が期待されている。それだけに和田コーチは、こうエールを送った。

「今後も日本サッカー界どころか世界のサッカー界で重要な役割を果たしていくと思うので、まずは選手としてお疲れさまでしたと言いたい。次のチャレンジに向けて頑張ってください、と。南アフリカでアシスタントコーチ、本当にハセが最初に代表チームに入ってきた時からずっと一緒だったので、引退かーっという感じですね」

暮らすドイツとは遠く離れているが、レジェンドはその人柄も含め、今なお多くの人から愛され続ける。【佐藤隆志】