1年前の今日、サッカー場で1人の男性が倒れた。2023年(令5)7月2日。埼玉県シニアサッカーリーグO−40(40歳以上)の公式戦に出場後、炎天下で意識を失い、帰らぬ人となった。42歳だった。事態を重く受け止めた日本協会(JFA)は、全国に熱中症対策の周知徹底を要請した。一周忌を前に、日本代表の森保一監督(55)が遺族と面会。再発防止への願い、酷暑下の「夏場のスポーツ」について考えることを、提起した。(敬称略)【取材・構成=木下淳】

昨年8月4日、JFAが47都道府県の協会・連盟に通達を出した。「(周知依頼)熱中症対策の徹底について」。埼玉県で「公式戦後に40代の選手が倒れ、亡くなる事故が報告されています」と切り出し「サッカーファミリー1人1人の安全確保のため、厳重な熱中症対策を」と強く求めた。

「事故」は、その1カ月前に起きた。埼玉・吉見町ふれあい広場陸上競技場。42歳の男性会社員が、所属クラブの試合(30分ハーフ)にフル出場した後、倒れていたところを発見された。

23年7月2日の午後だった。あれから1年。一周忌を迎える時機に、森保監督が遺族と初めて対面した。

森保 大切な家族を亡くされて、お悔やみ申し上げます。皆さんの穏やかな生活を天国から見守ってくださるよう、僕からも手を合わせさせてください。そして、当時のお話を聞かせていただき、夏場にスポーツをするリスクを皆で考えていけるように、自分自身も会う方々に直接、今回のことを伝えて気をつけてもらえるように。あの日のことを教えていただけますか。

暑い日だった。午後1時キックオフ。気温は試合が始まる時に36・6度、後半開始時が35・3度だった。

「記憶がない部分も多いのですが」。夫人はそう断った上で、突然の別れについて語った。取材に応じるのは初めてだ。「主人が倒れて意識がない、と友人から電話が鳴りまして。『熱中症かもしれない』と。居合わせた方が救命措置を施してくださったそうで」。

人工呼吸、AED(自動体外式除細動器)で心肺蘇生を試み、救急車も到着したが、最後はドクターヘリで埼玉県内の高度急性期病院へ。「救急隊員の方に、どのような状態か尋ねたところ『厳しいです』と」。病院に駆けつけ、別室で説明を受けた長男も「『救命機器を限界数まで入れましたが、反応がありません』と言われたことを覚えています」。集中治療室(ICU)で懸命の治療も、息を引き取った。午後8時14分−診断は心筋梗塞だった。

「すみません…つらいことを、思い出させてしまいまして」。森保は神妙に、残された妻と中学2年生の長男に頭を下げた。続けて「熱中症との因果関係はどのような説明があったのでしょうか」と尋ね、夫人が答える。「熱中症とは、お医者さんから言われてはいないんです。ただ、心筋梗塞を引き起こすきっかけになり得ると。持病や前兆は全くなく、他に思い当たる節もありませんでした」。一方で埼玉県シニア連盟は「熱中症が原因になっている可能性も否めないとのドクターの所見」があったと公表している。

いずれにしても、JFAが「熱中症の診断集計は聞くが、直接の死因となるケースは把握していない。草サッカーや学校の部活動までは把握できていないが、JFA主催の全国大会では記憶にない」という、現場の死亡例だった。

埼玉県協会によると、試合当日の気温は高かったものの湿度は低く、WBGT(暑さ指数)は前半28・3度で後半27・4度。「原則試合中止・中断・延期」と定める31度を下回っていた。

森保は「軽率なことは言えませんが、現実問題、炎天下の試合でかかった負荷は相当だったはず」と推察した上で「今や猛暑ではなく酷暑の日本で、あらためて夏場の過ごし方を考えないといけない。おふたりが経験された悲しい出来事は2度と起きてほしくないですし、同じ思いをされる方が1人もいなくなることが理想。夏場は一切、運動できない世の中に今後なっていくかもしれない。日本人全体を守る、中でも日本の宝である子供たちを守る。そのことを大人たちが真剣に考えないといけない局面だと思います」と語った。

Jリーグは昨年12月、開幕を現行の2月から8月にする「秋春制」へ26−27年から移行すると決定した。調査によると、夏場は選手の走行距離が短くなる傾向が顕著。その期間の試合数が減れば、現場だけでなく観客の負担も軽減される。

移行の是非は別問題として、普段視察している森保も「夏場にプレー強度が落ちるのはデータからも明らか。なぜパフォーマンスが下がるのか。体に負荷がかかっているからです。その先に、けがが増え、事故が起こりかねない不調にも陥る、最悪は命の危険というところにつながっていく」と危うさを実感してきた。

J1歴代最多の672試合、代表でも国際Aマッチ最多の152試合に出場した遠藤保仁も、昨季引退した際、理由の1つに、猛暑下のプレーが生命に関わるという認識を挙げていた。

「鍛え上げられたプロの選手たち、日々調整に専念できて、夏はナイターで試合ができる環境にあってもそう感じるのに、育成年代やアマチュアの方々は昼間の公園などでプレーすることも多い。健康のこと、命のことをどう優先するか」

森保はそう言うと、長男に「中学はどう?」と尋ねた。1人息子は、亡き父が愛したサッカーを続けている。8人制の小学校から11人制の中学校に上がったことで、少年団のコーチをしていた父は昨年5月、愛息とのプレーを夢見てサッカーを再開した。シニアリーグに登録。その2カ月後の試合で悲劇に見舞われた。

それでもトラウマなど見せず「楽しいです」と、中学2年になった長男は森保に返す。一方で「朝の9時や10時でも、すごく気温が高い。結構きつくて『危ないな』とは思いもします。でも…。やっぱりたくさん試合をしたいんですけど、暑い時間帯を避けるとプレー自体ができなくなってしまうので『嫌だな』とも思うんです」と打ち明けた。

スポーツを楽しみたい。純粋な気持ちとは裏腹に、対策は避けられない。昨年7月27日、群馬・伊勢崎市で行われた全日本クラブユース選手権(U−18)。21年から午前8時45分開始に早められていた試合で、公式記録に刻まれた気温が「44・0度」だった衝撃は、SNSも騒がせるとともに、今年からナイター試合だけに変える決定打となった。

森保 実は、自分が最初に『夏場のスポーツ危険だな』と思ったのは、まさにそこなんです。息子3人、サッカーをしていて(三男が)広島のユース時代に高円宮杯U−18プレミアリーグ、プリンスリーグや、クラブユース選手権など、気温35度を超える中で試合していて『これ、やっていいのかな…』って。もちろん日程を消化しなければいけないことも分かりますが。

今回の遺族も「難しいですよね」と同調する。サッカー少年の母として「主人のようなことがあったとしても、息子は試合したい、練習したい、うまくなりたい、と思っていて、意欲を削ぐのも…。かといって普通の部活、特に公立はナイター設備がない所も多いですし、応援する保護者の間でも『プレーさせてあげたいね』とはなっていて」と複雑な胸中をのぞかせる。

森保は「心からの声をありがとうございます」と感謝しながらも、力を込め直した。「お父さまの場合は『試合後』とのことでしたが、プレーの最中に起こったとしてもおかしくない。自分の印象、感覚かもしれないですけど、この暑さの中でやれば、それが原因で尊い命が失われるケースが出てくるんだろうな、と。誰も亡くならないことが一番。前例なんて全く通用しない時代。知見のある決定機関が決めていくことですが、もう2度と悲しい事故が起こらないよう、大人が未来を予測して決断するタイミングだと思います」。

1年前の事案を受け、埼玉県シニア連盟では今年から7〜9月は活動しないことを決めた。東京都協会も23年の真夏日が86日もあったことを踏まえて、今年7月1日から8月31日の公式戦(ナイター含む)を実施しないよう、昨年11月7日に検討を求める通達を出している。

森保は歓迎する。「JFAとしても全国に注意喚起していただければ」。日本代表監督という、現場の最高峰に立つ今だからこそ、熱中症について、夏場の運動の在り方について、発信すべき−。その思いで遺族に会うことを決めていた。

最後に質問した。「夢は何ですか?」。14歳は即答した。「サッカー関係の仕事に就きたいです。選手の近くで支えたり、監督やコーチとして指導もしたり、あとはスタジアムに関わることでも、メディアでも、何かしらの形で、ずっとサッカーに関わりたい」と。

森保は、ほほ笑みながら「サッカーに携わる者として本当にうれしいです。悲しく、つらい出来事を経験されて、思い出させてしまいましたが、起きてしまった現実の中で何ができるかということを、自分は常に前向きに考えています。簡単に言うなと怒られるかもしれませんけど、ご遺族の方々もぜひ前向きに、人生を豊かにしてくれるサッカーを楽しんでくれれば。子供は大人に、大人を子供にできるスポーツですから」と心からの言葉を贈った。

「将来の目標に、指導者やスタジアム関係が出てくるなんて30年前の日本からは考えられないですよね」とも重ね「だからこそ、さらなる発展へ、競技レベル向上や普及活動だけではなく、暑熱対策についても伝えないといけない。子供たちの未来のため、世の中のためになる発信をしていきます。おふたりのように悲しい思いをされる方が、いなくなりますように。すごく大切な機会をいただき、ありがとうございました」と御礼と約束と握手で締めた。選手、家族、審判員、運営、サポーター…サッカーファミリーの健康と安全を守るための啓発を、勝利と同等に追い求めていく。

○…森保と遺族は、昨年9月に初めて接点を持った。今回の事案を伝え聞いた日本代表監督が、JFA職員を通じてサイン入りユニホームを贈呈。敵地でドイツに4−1で大勝した、歴史的な欧州遠征で選手からも集めたものだった。以来の初対面。遺族が「すごく元気が出ました」と感謝すると、森保は新たに「楽しむことを忘れずに頑張れ!」と色紙にしたため、励ました。母が「朝から息子のテンションが高い日は『今日は代表戦か』と分かりますね。これからも応援しています」と話すと、森保は「共闘いただければ。最短で26年のW杯で優勝を目指していますが、お子さんたちが大人になる頃には、日本は、優勝を狙える常連になっているはず。これからもサッカーに携わってくれれば」と願っていた。

◆WBGT(湿球黒球温度)Wet Bulb Globe Temperatureの略で、暑さ指数と呼ばれる。熱中症予防を目的に米国で1954年に提案された指標。単位は気温と同じ摂氏度(℃)で示され、人体と外気の熱のやりとり(熱収支)に与える影響の大きい(1)気温(2)湿度(3)日射・輻射(ふくしゃ)など周辺の熱環境、の要素を取り入れて総合的に暑さを評価する。JSPOの「熱中症予防運動指針」で目安が5段階で定められており、WBGT値21度未満は「ほぼ安全」、21度以上で「注意」、25度以上で「警戒」、28度以上で「厳重警戒」、31度以上で「運動は原則中止」としている。