ラスト五輪は必ず−。パリ五輪開幕まで、17日で残り100日となった。陸上女子100メートル障害の寺田明日香(34=ジャパンクリエイト)は、東京大会に続く2大会連続出場を照準に調整中。参加標準記録(12秒77)突破と、日本選手権(6月27日〜、新潟・デンカビッグスワン)優勝での出場内定を狙うベテランハードラーに、2度目の大舞台への思いを聞いた。【取材・構成 中島洋尚】

3年前の東京五輪には「競技生活の集大成」と決めて臨んだ。しかしコロナ禍のため、6万7750人を収容する新国立競技場のスタンドに、観客の姿はなかった。女子100メートル障害の準決勝進出は日本人選手21年ぶりの快挙だったが、その上には届かなかった。

寺田 まさか地元開催のオリンピックを誰にも見てもらえないなんて、思ってもいませんでした。決勝を目標にしてきて、誰にも見てもらえず、準決勝で落ちたという悔しい思いがあったからこそ、もう1度(パリ五輪に向けて)動き出すことができました。

五輪の翌年は「もう1度(方向性を)考えながらやっていきたい」と、日本選手権から世界選手権を目指す通常のルートを回避。負担を最小限にできる国内レースで調整を進めた。本格的な動き出しは22年シーズンの後半。昨年の日本選手権から世界選手権(ハンガリー)を通過点にして、パリ五輪に向かう道筋を描いた。

寺田 22年は体がなまらないというか、“戻れなくならないぐらい”な感じで動きながら、ちょっとしたケガみたいなものもゆっくり治しつつといった感じでした。この年を休んだ分、「パリに向かってやって行こう」という思いが強くなりました。

23年、王道に戻った寺田にライバルの成長という大きな試練が待ち受けていた。日本選手権は12秒95で、2年ぶり5度目の優勝を手にしたが、4位までが0秒04差にひしめく大混戦だった。続く世界選手権も予選敗退。世界のトップは、その前年に12秒12まで記録を伸ばしていた。

寺田 ヒリヒリしますよね。本当に。だからこそレース展開を自分のものにするためにも、国内では飛び抜けたい。物理学みたいですけど、いいタイミングで地面に力を伝えて、それをいいタイミングで自分の体に受け取ることができれば、前に進む推進力に変わります。自分が作ってきた身体と、(走る)技術が合えば、まだまだ足は速くなるはずです。日本選手権の前には、スパッと(パリ五輪の)派遣標準記録は決めて、なおかつ(日本新の)12秒5から6ぐらいのタイムを出したいですね。

この春から小学4年生になった長女の果緒ちゃんが、母の姿を見て「陸上をやってみたい」と話すようになった。「やっぱり自分が教えるのかなあとか、少しずつ競技を終えた後のことも、頭に浮かぶようになった」という。一方で競技者としての自分を、さらに高めたい思いもある。

寺田 パリ五輪の結果次第では、日本女子の短距離選手がいない(陸上の世界最高峰のリーグ戦)ダイヤモンドリーグに出たいですね。来年の世界選手権は東京ですから、東京五輪をお見せできなかった皆さまに、お礼を兼ねて走りを見せたい気持ちもあります。引退したら(元日本ハムの)斎藤佑樹さんが野球場を作るとか、いろいろ考えておられるので、ああいうのもいいなと。雪の多い北海道で、室内レースを作りたいなと思ったり…。今は「まだ(やらなくて)いいんじゃない」と言っていますが、娘に「本当に(陸上が)やりたい」って言われたら、ちゃんと(指導することを)考えてあげようかな、とも思っています。

◆寺田明日香(てらだ・あすか)1990年(平2)1月14日、札幌市生まれ。札幌平和通小4年から陸上(短距離)を始める。札幌柏丘中1年でジュニア五輪に出場。恵庭北高では高校総体100メートル障害3連覇。13年に1度現役を引退し翌年に結婚、大学進学、出産。16年12月の日本ラグビー協会のトライアウトに合格し日本代表練習生として活動。19年に陸上に復帰し100メートル障害で日本記録を3度更新した。世界選手権は09、19、23年に出場。21年東京五輪100メートル障害準決勝進出。同種目自己ベストは12秒86。得意料理は炊き込みご飯。血液型O型。家族は夫と1女。168センチ、57キロ。