バドミントン男子シングルスで元世界ランキング1位の桃田賢斗(29=NTT東日本)が18日、日本代表を引退すると発表した。

今年1月に格付けの高い国際大会に派遣されるA代表入りが発表されたが、今月27日開幕の国別対抗戦トマス杯(中国・成都)が代表での最後の試合となる。なお、今後も現役は続行する。

同日、NTT東日本の川前直樹監督(41)とともに都内で行われた会見に出席。約50分にわたって思いを口にした。

主な一問一答は以下の通り。

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−代表引退の理由やきっかけを教えてください

「2020年1月の交通事故から苦しいこともたくさんありました。自分なりに試行錯誤してやってきたつもりですが、気持ちと体のギャップを感じることが続く中、このまま世界一を目指そうというところまでいけないと判断したところと、まだ自分が動けるうちにジュニアの選手やバドミントンをしている方々ともっともっと羽根を打つ時間がほしいと思って、代表引退を決意しました」

−2014年に初代表になってからの道のりをどのように振り返っていますか

「代表に選んでいただいてから約10年、ほとんどがしんどいことだらけでしたが、貴重な経験をさせていただき、充実した代表人生だったと思います。僕自身、たくさんの人に迷惑をおかけして、支えていただいて、ここまでずっとなんのストレスなく続けさせていただけたのも、周りの人たちのサポートや応援のおかげだと思っています。長いようで短く、でもトータルしてみたらすごく幸せな時間だったかなと思います」

−2016年には違法賭博問題が発覚し、代表活動が停止となった期間もありました。2017年に復帰以降、心境に変化などはありましたか

「復帰以降は勝つことだけが全てじゃないというのと、コートの中での振る舞いだったり、コートを出てからの行動だったりを(見つめ直して)、勝つだけでなく応援されるような、愛されるような選手になりたいって、自分なりに思っていました。(それが)達成できたかどうかは分からないですけど、今では本当にたくさんの方に応援していただけるようになって、僕の日本代表としての約10年は本当に誇らしいものだったのかなと思います」

−20年の交通事故について、今はどのように振り返っていますか

「事故にあった当初は『なんで自分なんだろう』って。そう思っていないと言えば、うそになります。正直、しんどいことだらけ、つらいことだらけだったんですけど。つらいことを、事故のせいにしたくなかった。それすらはじき返したかった。うん。その気持ちだけで、あとは周りの人たちの心強いサポートのおかげで、ちょっとだけ踏ん張ることができたかなって思います」

−1次リーグ敗退となった東京五輪については、どのように振り返っていますか

「悔しい思いしかないですね。攻撃的な相手に引いてしまった。気持ちの準備ができていなかったところがありますけど、自分が昔から憧れていた五輪の舞台に立てたことはすごく良い経験ができたと思います」

−日本代表での最後の試合を個人戦ではなく、団体戦のトマス杯に選んだ理由はありますか

「僕自身、団体戦がすごく好きで。今回のトマス杯に一緒に参加するメンバーにも、何回も相談したり、話を聞いてもらったりして、僕自身、また頑張ろうと思えたのも、今のメンバーがいたからだろうと思っています。そのメンバーに少しでも力になれれば、と思い、個人戦ではなく団体戦を選びました」

−パリ五輪に出場する後輩選手たちへのエールはありますか

「僕の立場から偉そうなことは言えないですけど(笑い)。1度五輪を経験した立場から言わせていただくと、いつも通りのことをいつも通りに発揮することの難しさを痛感したので、結果を考えることなく、いつも通り、悔いのないように出し切ってもらいたいです。僕自身もバドミントンが大好きなので、見届けたいなと思います」

◆桃田賢斗(ももた・けんと)1994年(平6)9月1日、香川県三豊市生まれ。小学2年からバドミントンを始める。福島・富岡高3年の12年世界ジュニア選手権で日本人初の優勝。15年世界選手権では日本男子初の銅メダルを獲得。18年8月の世界選手権で日本男子初優勝を収め、同9月に世界ランク1位。19年ワールドツアーでは年間11勝を挙げた。20年1月に遠征先のマレーシアで交通事故に巻き込まれて、全身打撲や右眼窩(がんか)底骨折。21年東京五輪は1次リーグ敗退。名前の「賢斗」の由来は「スーパーマン」のクラーク・ケント。175センチ。