ラグビー日本代表75キャップを誇るSH田中史朗(39=NECグリーンロケッツ東葛)が24日、今季限りでの現役引退を発表した。

都内のホテルで記者会見し「今シーズン終了をもちまして、現役を引退することを決めましたので、皆さまにご報告させていただきます。今後ですがNECアカデミーのコーチとして、普及活動を続けていく予定です。幸運なことにエディー・ジョーンズ、ジェイミー・ジョセフ、トニー・ブラウンという素晴らしいコーチが周りにいる。将来的には日本代表のヘッドコーチをやってみたいと思っています」と自らの言葉で思いを伝えた。

身長166センチ、体重75キロ。小柄な体格で世界に羽ばたいた功労者が、ラグビー人生の節目を報告した。

京都府出身で伏見工高(現京都工学院)から京都産業大に進学。全国大学選手権4強へと導き、07年に三洋電機ワイルドナイツ(現埼玉パナソニックワイルドナイツ)に入団した。1季目にトップリーグ(現リーグワン)の新人賞に輝き、08年5月にはアラビアンガルフ戦で日本代表初キャップをつかんだ。

代表では早くから主軸としてフル回転。11年W杯ニュージーランド(NZ)大会に出場すると、12年には世界最高峰スーパーラグビーのハイランダーズ(NZ)に入団した。13年2月に日本人初出場を果たし、15年にはチームの初優勝にも貢献した。

迎えた同年9月開幕のW杯イングランド大会。初戦の南アフリカ戦に先発し、世界を驚かす歴史的勝利につなげた。1次リーグ全4試合に先発し「まあ…しんどかったなっていう。4年間、孤独な部分もあったので」と涙した。仲間や、時には当時のエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC)にも遠慮なく意見をぶつけた。

以降の4年間では立場が変わった。ハイランダーズを指揮したジェイミー・ジョセフHCが日本代表を率いるようになり、年下のSH流大(東京サントリーサンゴリアス)も台頭した。19年W杯日本大会では後半途中から投入される存在として、チームに落ち着きをもたらせた。過去最高8強入りに貢献し、約5万人が集った東京・丸の内のパレードでは「これが日本ラグビーの始まり。これからの日本ラグビーよろしくお願いします」と涙を流した。

胸には常に日本ラグビーへの思いがあった。19年からキヤノン(現横浜キヤノンイーグルス)、21年からNECグリーンロケッツ東葛に在籍し、背中と言葉で後輩をけん引し続けた。

ラグビー界の「顔」といえる男は、多くの功績を残し、今季限りで現役生活に別れを告げる。

◆田中史朗(たなか・ふみあき)1985年(昭60)1月3日、京都市生まれ。小学4年生でラグビーを始め、伏見工−京産大−パナソニック。NZ留学した12年にオタゴ州代表入り。13年にハイランダーズでスーパーラグビーに日本人初出場。19年からキヤノン(現横浜)、21年から東葛でプレー。W杯は11年から3大会連続出場。夫人は元バドミントン選手。愛称はフミ、ジャック。166センチ、75キロ。