バレーボール女子元日本代表で、2012年ロンドン五輪銅メダリストの迫田さおりさんが11日、故郷の鹿児島市内で「『心』を磨いてくれた人たちとの出会い〜想いを積み重ねた先に…」をテーマに講演した。

 南日本銀行が主催した講演会で、迫田さんは鹿児島県内の若手経営者らによる「南友会」のメンバー約70人を前に講師を務めた。自身の体験を元に「頑張りを見てくれる人や手助けしてくれる人は必ずいます。だからこそ、一人で(悩みや不安を)抱え込まないことが大切です」と笑顔で語りかけ、自分の成長を促してくれる仲間を持つことの素晴らしさを伝えた。

「ちょっと打ってみようよ」

 迫田さんは、バレーボールでは全国的に無名だった鹿児島西高(現明桜館高)を卒業した06年、大津市を本拠とする東レアローズに入団した。国内最高峰のプレミアリーグ(現Vリーグ)の強豪で、チームメートは高校時代に全国大会で活躍した選手ばかり。そんなプレーの技術も意識も高いエリート集団の中に身を置き、先の見えない日々を送ったという。

ロンドン五輪で銅メダルを獲得したバレー女子日本代表の選手たち。前列左端が迫田さおりさんで、真ん中の列の右から3人目が中道瞳さん(撮影・佐藤桂一)

 「マイナス思考で、ネガティブで、欲もありませんでした」。当時を振り返る迫田さんにとって、壁を破るきっかけになったのは、抜群の跳躍力に目を付けた先輩セッターの中道瞳さん(前東レコーチ)との自主練習だった。「ちょっと打ってみようよ」と誘われ、二人三脚で取り組んだバックアタックが後に代名詞となり、東レのレギュラー、そして女子日本代表に選出される「武器」となった。「(アタッカーの)私が試合でブロックに何度も捕まっても、トスを上げ続けてくれました。私以上に私のことを信じて『ここで負けるな。下を向くな。シャット(アウト)されても負けるな。絶対にできるから』と支えてくださいました」。尽きない感謝の想(おも)いを口にした。

【次ページに続く】右肩を痛め…

 ロンドン五輪では、東レで苦楽をともにしてきたキャプテンの荒木絵里香さん、エースの木村沙織さん、中道さんらとともに1984年ロサンゼルス五輪以来、実に28年ぶりとなる同代表のメダル獲得に大きく貢献した。その後右肩を痛めながらも、トレーナーや医師の献身的なサポートでリハビリに取り組む一方で、男子バレーの石川祐希(現ミラノ、男子日本代表キャプテン)の映像を参考にフォームを改良。「誰かみたいになりたい、と思って練習をしたのは初めてのことでした。たとえ小さくても、目の前の目標を一つ一つクリアしていくまでの過程が本当に楽しく、バレーボールの魅力や奥深さを、けががあらためて教えてくれました」。新境地を切り開き、2016年リオデジャネイロ五輪(5位入賞)にも出場した。

 翌17年に現役を引退した後は「スポーツビズ」に所属し、鹿児島と東京の2拠点生活を送りながら、女子日本代表やVリーグ女子、春高バレーなどの解説やバレーボール教室を中心に幅広く活動している。

 経営者に向けての講演会は自身初で、この日の開場前には「緊張しすぎて、きちんと皆さんにお伝えできるかどうか…」と、不安を隠せないでいた。ふたを開けてみれば、さまざまな業界や職種、日常生活にも置き換えられそうなエピソード満載の内容に、平均年齢40歳の参加者たちはうなずき、聞き入るばかり。何より真心を込めた丁寧なスピーチが印象的で、予定された1時間は瞬く間に経過した。閉会時には「これからも、私を育ててくれたバレーボール、地元鹿児島の力になりたいです」とのあいさつとともに、大事にしている言葉「心」が会場のスクリーンに映し出された。迫田さんのうららかな笑みも相まって、春の訪れを告げるような清爽なフォーラムとなった。
(西口憲一)

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迫田さおり さこだ・さおり 1987年12月18日生まれ。鹿児島市出身。小学3年で競技を始め、鹿児島西高(現明桜館高)から2006年に東レアローズ入団。10年日本代表入り。12年ロンドン五輪で銅メダルを獲得、16年リオデジャネイロ五輪にも出場。17年現役引退。身長176センチ。