今夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校野球部。「高校野球の選手=坊主」という概念が無意識に根付く中、少し伸びた短髪は世間に様々な議論を巻き起こした。

 一方で、高校野球を含めあらゆる競技や分野で若者の坊主の風習は残る。たとえば、競馬界もその一つ。騎手は養成機関であるJRA競馬学校入学時から男子は坊主が恒例の光景となっている。管轄するJRA(日本中央競馬会)は校則について「学校内部の規則であり、外部に出せる情報ではないので、お答えしかねます」との回答だが、毎年デビューしていく新人男性騎手は卒業時に決まって坊主であることから察するものはある。

3年間だけなので坊主でもいいかな

 では、当人たちは髪型についてどう感じているのだろうか。2022年に競馬学校を卒業したばかりの鷲頭虎太騎手(19歳)は「競馬学校在学中の3年間だけなので、坊主でもいいかなと思っていました。他にも色々と規則があったので、髪型だけが緩和されたところで心情的にはあまり変わらないかなと思います。元々、ずっと空手を習っていて坊主だったこともあって、嫌ではなかったです」

 幼少期からのスポーツ経験や、そこでの慣習も影響を与えているようだ。加えて「坊主だとヘルメットが被りやすい」というメリットもあったという。

新人騎手を預かる調教師の思い

 もう一つ、坊主のメリットは、見た目の爽やかさから好印象を与えることができる点だろう。新人騎手を預かる大橋勇樹調教師(62歳)はこう話す。

「所属騎手には『“減量”がついているうちは坊主の方がいいんじゃないか』と伝えています。髪の毛を伸ばしたり染めたりするよりも愛嬌があっていいと思います。逆を言えば、髪の毛を伸ばしたかったら早く“減量”を取れよ、ということですね」

これまでもずっと坊主でした。でも…

 減量とは、経験の浅い新人騎手に対する制度で、デビューから5年未満、または通算100勝未満の場合、その勝利数に応じてレースでの負担重量が軽減される措置だ。これが適用されている間は見習騎手という呼ばれ方もする。つまり、一人前になるまでは坊主の方が周囲からの印象もいいだろう、という師匠の親心でもあるのだ。

 これに対して弟子の田口貫太騎手(19歳)も「先生からは『まだ坊主で』と言われているので、しばらく坊主でいます。野球をしていて、これまでもずっと坊主でした。でも、いつまでもそれはおかしいので、許しが出たら伸ばそうかなと考えています」

僕も減量が取れるまでは坊主でした

 大橋調教師と同意見を持つのは昨年、地方競馬全国リーディングに輝いた地方・兵庫所属の吉村智洋騎手(38歳)。騎手候補生の息子を持つ親の立場でもある。

「はじめの頃は坊主でいいと思います。僕も減量が取れるまでは坊主でした。ちょうど伸ばしたくなる年頃だったので、その後に徐々に伸ばしていきましたけど、今となってはどっちでもいいなと思います。強制ではないので後輩たちには『好きにしたらいいんじゃない』と思います。慶応義塾高校は批判も多かったと思いますけど、実力でそれを制して素晴らしいですね。ただ、もしも自分が調教師で新人騎手を預かるとしたら『減量が取れるまでは坊主にしとき』って言うかな。騎手の場合は坊主かお洒落な髪型をしているか、だと、たぶん前者が可愛がられると思うんです。年長者にはそういう考えの方も多いでしょうし、髪型だけでプラスになるのであれば、坊主にして損はないと思います」

おしゃれな若手騎手も「髪色には気をつけている」

 ここに高校野球との明確な違いがある。騎手は人気商売でもあり、馬主や調教師から騎乗依頼がなければレースには参加できない。そのため、周囲からの印象を大切にする騎手は多いのだ。たとえば、デビュー3年目の角田大和騎手(22歳)はサングラスと眼鏡を40本近く収集するなどファッションアイテムにこだわりを持つが、髪色にはこんなポリシーがある。

「職業柄、馬主さんとお会いすることも多いので、黒かダークブラウンにするようにしています。僕はファッションが好きなので、それに合わせて騎手デビュー後は髪型もおしゃれにしましたけど、髪色は気をつけています」

茶髪でも、師匠から特に何かを言われたことはなかった

 そう話した後、やや冗談交じりに父であり元騎手の角田晃一調教師についてこう教えてくれた。

「昔、父が大レースを勝った時の写真が実家にあるんですけど、だいぶ明るい髪色でした(笑)。昔の方が派手だったのかもしれないですね」

 ゆとり世代以降、髪型や上下関係といったしきたりが薄くなったのかと思いきや、意外とそうではないようだ。当時の髪型事情について教えてくれたのは角田調教師の5年後輩にあたる元騎手の渡辺薫彦調教師(48歳)。

「あの頃、同年代の騎手の多くが通う美容院があって、似た髪型の騎手も多かったです。僕は騎手時代にロン毛の取材を受けたこともあって(笑)。ずっと茶髪でしたけど、師匠から特に何かを言われたことはありませんでした」

「どう見られるか」の意識

 そう考えると、インターネットやSNSで様々な情報が発信されるようになった現代の方が、プロとして「どう見られるか」を強く意識する風潮にあるのかもしれない。GIをすでに複数回勝利し、海外の重賞も制覇している若手ホープの坂井瑠星騎手(26歳)もある着眼点を持つ。

「競馬は馬が主役。人が目立ちすぎないよう、馬具は基本的に黒で統一してシンプルにしています。競馬学校に入学したら坊主になると認識していたので、特に嫌という感情はなかったですけど、騎手としていつ撮られてもいいように意識して行動しています」

 一方で、地方競馬で金髪の20代の騎手からはこんな意見も。

「僕は外見で営業をしようと思っていなくて、技術で判断してほしいと思っています」

 デビュー10年に満たないが、彼の騎乗技術は厩舎関係者の間で一定の評価を得ている。金髪だからといって仕事に不真面目なわけではない、見た目で判断してほしくない、そういった矜持を持っている騎手がいるのも事実だ。

女性騎手で話題になる「邪魔にならないか」問題

 視点を変えて、女性騎手の場合はどうか。国内で最長キャリアと最多勝記録を更新し続ける宮下瞳騎手(地方・名古屋)はこう話す。

「地方競馬教養センターでは『肩より短い髪型』ということで、入所時にショートカットにしました。その後、一時期は腰まで髪の毛を伸ばしていました。ファンの方に『ポニーテール(=馬の尻尾)がトレードマーク』と言っていただいていたので切らずにいたんですけど、最近鎖骨までバッサリ切りました。夏は暑かったし、いいかな、と。もっと短くしたいんですけど、短すぎるとヘルメットをかぶる時に髪をくくれないと邪魔になるかもしれないな、と思っています」

 こちらはあくまでも利便性重視。女性は坊主という文化がないためか、髪型に関しては男性より寛容なのだろう。JRAでも鎖骨まで伸ばす女性騎手も珍しくなく、ミカエル・ミシェル騎手が19年にワールドオールスタージョッキーズでJRA初騎乗を行った際には「あれだけ長い髪の毛をどうやってヘルメットに収めるのか気になって見ていた」という調教師もいたほどだ。女性の場合は自他ともに「いかに騎乗の邪魔にならないか」という点への関心が高いことがうかがえる。

髪型にもプロとしての意志が見て取れる?

 こうして9名の意見を聞いてみると、現在の風潮としては「坊主の必要はない。ただし、見習騎手の間は坊主の方が好印象」ということだ。また、「プロとして周囲からどう見られているかを意識した方がいい」ということも重視されている。騎手は競馬界では最も花形だが、一人で仕事をしているわけではない。騎乗依頼をくれる馬主や調教師、騎乗馬のケアをしてくれる厩務員や獣医師、装蹄師、そして馬券を買って応援してくれるファンなど多くの関係者がいて成り立っている。だからこそ髪型一つとっても、彼らから信頼される、あるいは納得させられるだけのプロとしての強い意志が必要なのではないだろか。

文=大恵陽子

photograph by Sankei Shimbun