1983年から85年にかけて5季連続で甲子園に出場し、優勝2回、準優勝2回と圧倒的な戦績を誇ったPL学園。その中心にいたのは1年生からエースと4番として活躍した桑田真澄と清原和博の“KKコンビ”だった。高校野球史に残る“伝説の3年間”の軌跡をたどる。
 阿部珠樹氏のスポーツノンフィクション傑作選『神様は返事を書かない』(文藝春秋)より「KK、戦慄の記憶」の項を紹介します。<全3回の1回目/第2回、第3回へ>

PL学園の1年生エースと4番

 1983年夏。PL学園は青くて酸っぱかった。4番の清原和博は、体格こそ大きかったが、八重歯の光る笑顔は少年だった。桑田真澄は早生まれで、夏の甲子園がはじまってもまだ15歳だった。チームは清原、桑田というふたりの1年生を4番とエースに据えて大阪予選を勝ち抜いてきたが、この青くて硬そうな果実が大会の間に日を浴びて熟するなどと考えた人はほとんどいなかった。

 だが、ふたりは故障者が出てやむなく起用された1年生ではなかった。よほどのことがない限り1年生は先発させないという部の不文律を破り、予選からチームの主軸を任せてきた。特別なふたりだった。

 PL学園は1回戦、2回戦を勝ちあがる。3回戦の東海大一高との試合は、1、2回で5点を奪い、主導権を握って押し切った。

「将来が楽しみな好チーム」

 それでもそれがこの時点での評価だった。というのも、つぎの準々決勝の相手が高知商業だったからだ。断然の優勝候補、夏、春、夏の甲子園3連覇をねらう池田高校をあわてさせるチームがあるとすれば、高知商はその候補のひとつとみなされていた。

 春の四国大会で、高知商は強打の池田を1点に抑える試合を見せていた。池田の水野雄仁に完封され、勝利はならなかったが、エースの津野浩はプロも注目する好素材で、1年生が柱のPLでは荷が重いというのが戦前の見方だった。

 だが、高知商の監督、谷脇一夫は周到な準備を怠らなかった。

「ウチは伝統的にデータ重視。必ず事前に相手を自分の目で見るようにしていました。わたしも甲子園では対戦校の練習はかならず見る。PLのときはたしか、変装して人に気づかれないように練習を見に行ったと思います」

 練習を見た谷脇の評価は高いものではなかった。

「怖いという印象はありませんでしたね」

 当時の四国のレベルは高かった。池田を見慣れた目からすれば、15歳の桑田は迫力に欠け、清原は穴の多い4番に見えたのだろう。

「清原以外は見かけはふつう。でも力はすごかった」

 ところが試合がはじまると、高知商はいきなり頰を張られたような先制攻撃を受ける。1回に清原の二塁打で先制されたのを皮切りに、2回には連続二塁打で3点、3回にも二塁打を4本並べて3点を奪われ、7対0とリードされた。

「それ以前に、この試合みたいに打ち込まれたことがありました」

 先発した津野がふり返る。

「新チームになってすぐ、池田との練習試合のときです。確かふたケタ失点でした。でも、 このときのPLに池田みたいに打ち込まれるとは思いませんでした。どこに投げても打た れる感じでしたね。特に、二塁打をたくさん打たれたのを覚えています。外野の間を抜か れました。池田はガッチリした迫力のある体型の選手が多かったですが、PLは清原以外は見かけはふつう。でも力はすごかったです」

 4回は無失点だったが、5回表、さらに1点を追加される。8点取られて高知商は目が覚めた。5回裏から、猛然と追撃を開始する。6安打を集中させて5点を奪い、桑田をマウンドから引きずりおろす。6回表、2点を追加されたが、その裏には津野の2試合連続本塁打などで1点差に追い上げた。8点差を1点差まで追い上げたのだから、勢いは間違いなく追いかけるほうにある。相手エースの桑田は降板している。

「これは勝てる。そう思って欲が出ました」

 監督の谷脇がいうように、高知商の選手たちは気負いこんで攻め立てるが、ここからのPLは青くて酸っぱい若いチームではなかった。しぶとく辛抱強く高知商の攻撃をしのぎ、逆転どころか同点さえも許さない。

「あまりにいい球だったので、何度か夢に見ました」

 9回裏、津野に打席が回った。3回戦の箕島戦では、のちのメジャーリーガー、吉井理人から満塁本塁打を打っている。この試合2本目の本塁打が出れば同点に追いつく。

「前の本塁打がストレートを打ったものだったので、“今度は変化球で勝負するだろう。変化球を意識しろ”といわれました。ところが、2球目に打てばスタンドまで行きそうな甘いストレートが来て、それを見逃してしまった。あんまりいい球だったので、あとで何度か夢に見ました」

 津野の裏をかいて甘いストレートで追い込む。この打席を見てもPLは、大会前のけなげにがんばる若いチームではなくなっていた。甲子園での試合経験が果実の糖度を見る見るうちに高めていたのだ。結局、高知商の追撃は及ばず、PLが準決勝に進出する。

 準決勝には池田が待ち受けていた。健闘もここまでと思われたPLは、大本命を桑田の本塁打などで圧倒し、決勝に勝ち進む。横浜商業との決勝に並んだときの顔は、すでに王者の顔だった。伝説的な3年間が幕を開けた。

<続く>

文=阿部珠樹

photograph by Katsuro Okazawa/AFLO