2023年の期間内(対象:2023年9月〜2023年12月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ドラフト部門の第2位は、こちら!(初公開日 2023年11月2日/肩書などはすべて当時)。

「まさかうちからドラフト候補が出るなんて」。今年のドラフト会議で、全国的には無名といえる島根の公立高校からプロ野球選手が誕生した。プロ注目のきっかけになった“ある試合”、スカウト集結のリアル、候補選手のケガ、ドラフト会議の準備まで……「すべて初めてだった」高校野球の監督が明かす、プロ有望選手を抱える“現実”とは。〈全2回の#2/#1へ〉

 優先すべきは、高校史上初のプロ指名を目指すドラフト候補か、甲子園を狙えるチームの勝利か。島根の公立校・三刀屋(みとや)の國分健(こくぶ・たけし)監督が苦悩の末に下した決断は「どちらも狙う」だった。

 迎えた最後の夏、島根大会の初戦。石見智翠館戦の試合開始直後の第1打席で、その髙野颯太が左翼スタンドに先頭打者本塁打を突き刺した。指揮官待望の一発が飛び出した一方、「打撃の調整が長引いた関係で、想定よりも守備練習に時間を割けなかった」(國分監督)。プロへのアピールを見据えて外野でなく三塁手で起用した守備では、同点の4回に併殺を狙ったゴロで失策。そこから4点を勝ち越され、万事休した。

「自分が慣れていたら…」監督が明かす後悔

 試合は2−9の7回コールド負け。髙野ら教え子たちが大粒の涙を流す姿を見て、再び自問自答した。

「1番に置き続けたことで、先頭打者ホームランが出た。でも、初回以降当たりがなかったのは、守備の不安を残したまま夏に入った影響もあったと思うし……。今までは目の前の試合に向かう姿勢でやってきたのが、色々なことを考えすぎた。髙野が実戦復帰してから、スカウトの方が1人もいなかったのは1試合だけ。常に見ていただいたのはすごくありがたかったですけど、やっぱり普通の、田舎の高校生たち。髙野も他の選手たちも、経験のない環境で苦しかったと思います。監督の自分が(ドラフト候補がチームにいる)状況に慣れていたら、髙野もチームも楽にすることができて、プロ入りと勝利を両立できたんじゃないかと、夏が終わって時間が経った現在も思います」

 ただ、國分監督が悩み抜いた起用によって、髙野のプロ入りのチャンスがつなぎとめられたのも事実だった。

「スカウトにチェックしてもらう」調査書の実態

 8球団がドラフト指名の可能性を伝える「調査書」を持参した。その際、打撃と守備を再チェックしてもらうのが常で、國分監督は各球団に一つ提案した。

「少しでもプラス材料になればと思って、結構、外野からのスローイングがいいんですよ、と伝えて、サードだけでなく、外野でのノックも見てもらえないかとお願いしました。ある球団は実際に見てくださって、『たしかに外野の方が捕球からスローイングに入るタイミングが合いますね』と言ってもらえました。でも、中には『いえ、サードの守備練習が見たかったので大丈夫です』と一切外野に興味を示さない球団もあって。もし夏も外野だったら、調査書はもっと減っていた可能性はある。サードができる右打者だから評価してもらっていると実感しました」

 プロ志望の意志を固めた後も、やらなければならないことは無数にある。まず重要なのが、ドラフト指名がなかった場合の進路をどうするか、通称「プロ待ち」の先をどうするかだ。

ドラフト前“調査書”の数「正直に言っていいのかな」

 4月の岡山遠征に赴いた際には、2014年に藤井皓哉(ソフトバンク)を送り出し、その後も数人の選手でプロ待ちを経験した、おかやま山陽を率いる堤尚彦監督に意見を仰いだ。

 髙野の希望を踏まえ、育成指名を含めて待ってくれる進路先を探した結果、昨秋の中国大会時点で獲得を熱望していた関東の大学など、数チームが候補に浮上。最終的には「仮に今回指名漏れでも、最短で行ける道に進みたい」という本人の強い希望もあり、ある独立リーグの球団から入団内定を得て、指名を待った。

 調査書が出そろった後も、各球団のスカウトから引き続き連絡が来る。問われるのは、「何球団から調査書の提出があったか」だった。

「ドラフト当日の展開をシミュレーションするために、指名の可能性がある球団を把握しておかなければならないみたいで。でも、何度も言うように経験がないので、『これって正直に言っていいのかな?』と不安になりました(苦笑)。あと、調査書を出されない球団のスカウトの方が『うちは指名できないけど、もし漏れて進路に困ったら連絡してください。紹介できる先は話しますから』と言ってくださることもあって。すごくシビアに選手を見極められる方々ですけど、一人の高校生に親身になってくださる、人情がある方が多いのに驚きました」

「もし漏れたときのことを思うと…」ドラフト当日の会見形式

 その次は、ドラフト当日の会見をどうするか。ドラフト会見の方式は、大きく分けて2つある。一つは、ドラフト会議の開始直後から、本人と監督が会見場で待機し、報道陣とともに会議を見守る方式。もう一つは、会見場とは別の場所で会議の様子を見届け、指名後に会見場に現れる方式だ。指名の有無が不透明な場合は、後者を選択することが少なくない。指名漏れの場合、本人を会見場へ登場させずに済むからだ。三刀屋初のドラフト会見は、後者の「指名まで本人と監督は、別の場所で待機。指名後に会見場に登場」の方式を採用した。國分監督が解説する。

「校内でも『せっかくだし、会見場で一緒に待つ形にしてみたら?』という意見もあったんですが、指名確実とは言えない中で、もし漏れたときのことを思うと……。会見させるのは酷だと思って、指名があれば取材対応の形式にしました」

中継どう映す? 衛星放送チャンネルから営業も

 当日、どのようにドラフト会議の模様を視聴するかにも悩んだ。学校にテレビはあるものの、地上波では上位指名までしか放映されない。育成指名の終了まで放送する衛星放送チャンネルから、「ぜひドラフト会議の様子を皆さんで見守りませんか? 機材の設置も担当しますよ」と営業の連絡が入るも、数万円の経費が必要。学校にとってハレの日とは言え、公立校の予算的に……という思いもあり、二の足を踏んだ。そのチャンネルと契約しているチーム関係者がいたため、当日使わせてもらおうと考えるも、視聴のために必要なBS・CSアンテナが学校にないことがわかり、それも頓挫。最終的に、PC、タブレットで視聴できる配信映像をプロジェクターで出力する形を採った。

「た」でどよめくドラフト当日

 迎えた10月26日。國分監督、髙野を含むチーム関係者は、学年集会などで使用される大教室に集まり、会議の様子を注視した。

 広島2位の左腕・高太一、DeNA3位の武田陸玖、オリックス5位の高島泰都ら、「た」が付く選手の指名で仲間たちがどよめく。

 複数の球団の担当スカウトから「下位にはなりますが、自分としては支配下でも推します」と伝えられていたが、支配下では無念の指名漏れ。休憩をはさんで育成ドラフトが始まるときには、焦りと緊張から髙野の表情も硬くなっていた。

 最後の可能性をかけた育成ドラフトが始まると再び「た」攻めである。DeNAが育成1位で高見澤郁魅、ロッテが武内涼太と、興奮と静寂が行き来する。

 こうして時計の針が20時を回ったころ、本物の歓喜が訪れる。

「第2順選択希望選手……髙野颯太」

 仲間たちが一斉に立ち上がり、歓声が響き渡る。指名したのは東京ヤクルトだった。喜びと、一日中続いた緊張からの解放。仲間に祝福され、目に涙を浮かべる髙野。その様子を感慨深そうに見つめる國分監督。選手、監督ともに初体験の連続だった激動の日々が、一つのゴールを迎えた瞬間だった。

「すべて初めて…」悩み続けた1年

 東京ヤクルトは、先に触れた外野ノックの視察を希望しなかった球団のひとつ。國分監督が悩み抜いて決断し、夏が終わった後も正解か否か煩悶し続けている「1番・三塁手」だからこそ生まれた縁だった。

 國分監督は、夏の大会から約3カ月の月日が経った今でも夏の初戦敗退について考え込むことがある。自分にもっと知識や経験があれば、髙野のプロ入りと悲願である甲子園出場を両立させられたのではないか、という悔いが大きいからだ。

 一方で「経験がなかったから、夏前の絶不調で評価が落ちても、髙野のプロ入りを諦めなかったのかもしれない」との思いもある。わからないから最後までもがいた。もがいたから、歓喜の未来へつながった。

 教え子がプロで活躍したとき、「髙野がいたチームで甲子園に出ていれば」という思いが再燃するかもしれない。でも、それは今よりもずっと幸せな思いとして再び湧き上がるはずだ。

文=井上幸太

photograph by Kota Inoue