マーロン・タパレスにKO勝ちし、史上2人目となる2階級4団体制覇を達成した井上尚弥(30歳)。アマチュア時代の81戦を加えて、“ダウン経験ゼロ”という怪物。「こいつ、やばいらしいぞ…」井上の高校時代をライバルだった田中兄弟(亮明・恒成)が証言する。【全2回の前編/後編も公開中】
<初出:Number990号2019年11月14日発売:肩書は当時のもの>

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<高校時代から怪物は別格の強さだった。その井上尚弥と誰よりも多く戦ってきた兄・田中亮明。同じ世界王者として今もライバル心を燃やす弟・恒成。拳を通じて彼らの胸の内に刻まれたものとは――。>

「こいつ、やばいらしいぞ…」

 その名を初めて知ったのは2009年夏、奈良で行われた高校1年のインターハイだった。組み合わせが発表されると、田中亮明(岐阜・中京高、現・中京学院大附中京高)の耳に誰かの声が聞こえてきた。

「こいつ、やばいらしいぞ。U-15(15歳以下の大会)でMVPを取っているからな」

 みんなが噂しているのは、どうやら同じ1年生、同じ階級の井上尚弥(神奈川・新磯高、現・相模原青陵高)という選手のことらしい。

 亮明は初戦で他の選手に敗れ、「やばいらしい」選手は決勝で、のちの世界王者となる2学年上の寺地拳四朗(現・拳四朗)に3回RSC(レフェリーストップコンテスト)の圧勝。1年生チャンピオンに輝いた。

「やっぱり井上ってヤツは強えんだな」

 それくらいの感想しかなかった。

 しかし、会場で決勝まで観戦していた亮明の父・斉(ひとし)には強烈な印象が刻まれた。

「尚弥君は小さかった。でも、馬みたいな躍動感があった。この子が一番なんやな。この子に食らいついていくだけだなと」

 まだライバルと呼ぶのはおこがましい。だが、親子の明確な目標が定まった。

 田中家は長男・亮明5歳、次男・恒成3歳のとき、親子で空手を始めた。亮明が中学に入学する頃、一家はボクシングに転向。そこで圧倒的な存在だったのが井上家だった。田中家と同じ「父子鷹」。しかも2人の子供が偶然にも同じ学年、同じ体重に育ったがゆえ、糸は密に絡み合った。

「階級を変えたほうがいいぞ」

 亮明という糸は、空手仕込みで荒々しく、気が強い。尚弥は一目見て洗練された動きと分かり、トップ選手ならではの輝きを放っていた。どちらも同世代の選手の中では際だっていた。

 2本の糸が初めて交わったのは、1年の高校選抜準々決勝。尚弥はすでに国体も制し、3冠を狙っていた。

「井上のパンチはめちゃめちゃ強いよ」

 そんな周囲の声を聞いても、亮明は一切気にしなかった。積極的に前へ出てワン・ツーを放つ。左ストレートを伸ばす。殺気立った、プロのように倒しにいく試合。尚弥は回転が速く、上下に打ち分けてくる。亮明は知らぬうちにパンチを食らっていた。15ポイント差の3回RSC負け。誰が見ても完敗。ところが、当の本人は不思議な感覚を覚えた。

「俺、負けたの? 結構いい試合したんじゃない? もしかしたら勝てるかも」

 勘違いかもしれないが、あの「やばいらしい」選手と渡り合えた。すると試合後、斉が駆け寄ってきた。

「頑張ったらチャンピオンになれるぞ」

 初めて父から励まされた。やはり、リング上の感覚は間違っていなかったのだ。いずれ勝てる。乗り越えるべき対象として尚弥を意識した瞬間だった。

 大会後、多くの人が階級変更を勧めてきた。尚弥を避ければ「冠」はとれると言われた。亮明は即座に首を横に振った。

「井上に負けたままでは嫌なんで」

 もう尚弥しか目に入っていなかった。鼻っ柱の強いボクサーの執着心。ほどかれそうになって、糸はむしろ強く絡みついた。

井上尚弥がスリップダウンした日

 高校2年の沖縄インターハイは2回戦で激突した。尚弥と対戦する相手はみんな腰が引けてしまう。だが、亮明に恐怖心はない。前へ出た。2−6のポイント負け。差は縮まっている。背中が見えてきた。

 中京高での練習でつらいときには「井上だぞ! 井上を意識しろよ」と声が飛んだ。指導するのは元東洋太平洋王者で、当時ボクシング部監督の石原英康だった。基本を重視し、ワン・ツーを繰り返す。石原は亮明の左ストレートを高く評価していた。

「パンチングパワーでは尚弥君より上。破壊力というより殺傷力に近くて、一発当たると相手が萎縮する。それで尚弥君との差は埋められると思っていた」

 3度目の闘いは高校2年の千葉国体。決勝の反対コーナーには宿敵が立っていた。このときの作戦は明確だった。

「左ストレートを中心に、井上の右が来たら、相打ち覚悟で左のボディを打とう」

 これが的中する。亮明の左が当たり、尚弥のあごが珍しく跳ね上がった。ボディも入る。左ストレートがかすめ、尚弥が足を滑らせた。どんなときでも表情を崩さない亮明がガッツポーズをする。場内が沸いた。これは惜しくもスリップダウン。

「よし、いける。勝てるぞ!」

 石原が叫んだ。斉も身を乗り出す。会場全体の雰囲気が変わってきた。最終回。亮明が放った渾身の左ボディアッパー。捉えた。感触があった。だが、審判からローブローの反則とみなされ、6−6から2点減点。4−6の僅差で敗れた。

 その後の表彰式。3度目の対戦にして、初めて尚弥が話しかけてきた。

「今回ちょっと負けたかと思ったよ」

<続く>

文=森合正範

photograph by AFLO