井上尚弥がマーロン・タパレスとのスーパーバンタム級2団体王者対決を制し、2階級目の4団体統一を成し遂げた。10回KO劇の裏にはどんな駆け引きがあったのか? 井上尚弥vs.タパレスの”勝負を分けたポイント”を元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏が2回にわたって徹底解説! 第1回は、序盤からダウンを奪うまでのタパレスの不気味さについて。<全2回の前編/後編へ>

タパレス戦は果たして“苦戦”だったのか?

 苦戦だったのか、否か。

 どの観点から見るかによって受け止め方は違ってくる。

 12月26日、超満員の東京・有明アリーナ。プロボクシングWBC、WBO世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥はWBA、IBF同級王者のマーロン・タパレスを相手に、10回KO勝ちを収めてバンタム級に続いての4団体統一王者となった。

 早期決着を予想した人からすれば苦戦という見え方になるのは致し方ない。だが採点表はジャッジ3者のうち、1人は井上のフルマークで1人は井上の1ポイント減、1人は井上の2ポイント減と、苦戦の跡はまったく浮かび上がってこない。本人の顔も傷ひとつなく至ってきれいで、そもそも井上自身がタパレスを最大限に警戒していた。長引くことも十分に想定していれば苦戦という表現も当てはまらない。

 完勝には違いない。だとしてもそれで片づけてしまうには少々引っ掛かる。採点表の行間から漂ってくる、この試合の真実とは何か。モンスター(怪物)とナイトメア(悪夢)はどんな真冬の夜の物語を見せてくれたのか――。

 スティーブン・フルトン戦と同様、この難問における一つの解答を得るべく世界のボクシングに精通する元WBA世界スーパーフライ級王者、飯田覚士を訪ねた。飯田の解説のもと、あらためて試合を振り返ることにする。

「まず全体を通した感想から言わせていただければ、やはり尚弥選手が圧倒的に強かったなと思えた試合です。ただラウンドのなかに実にハイレベルな駆け引きが散りばめられていました。1ラウンドにお互いが見合うというのは想定どおり。

 タパレス選手がイチかバチか奇襲的に左ストレートを振ってスイッチするように右フックを狙ったシーンがありましたけど、これはしっかり準備していたものだと思います。得意の右フックをどう当てていくか、相当練習してきたなとは分かりました。でも尚弥選手はそれも平然と防いでしまう。

 意外だったのは2ラウンドからの展開です。タパレス選手のほうがテンポを上げてきたのに対し、尚弥選手はまだ様子見を続けている印象でしたから」

不気味さもあって、井上は慎重にならざるを得なかった

 2ラウンド、サウスポーのタパレスはガードを固めて頭を振りながら前にジリジリと詰め寄り、右ジャブからの右フックは空を切る。井上はワンツーで押し返し、スリップではあったが鋭い左でバランスを崩させている。するとラウンド途中からタパレスはL字ガードに切り替えてワンツーを狙うが、ここもヒットはしていない。井上が様子見を続けたのはまだまだ正しい情報を掴み切れなかったからだと飯田は読む。

「タパレス選手が読み取らせないようにうまくやっていました。何ごとも一辺倒にならず、両手のガードを上げて前に行ったり、L字にしたり、頭の位置を変えたり、いろんなパターンを見せるというのは相当(作戦として)練ってきたとは思います。そればかりではなく、たとえばジャブにしても実際はもっと伸びるはずなのに、距離を測らせないために射程距離をわざと短く見せるとか混ぜてくる。もちろん挑戦者で敵地に来ているので、行かなきゃいけないっていう気持ちで2ラウンドから切り替えてきました。

 と同時に尚弥選手のパンチを受け止めてみて、自分なりに(情報を)ある程度把握できたと感じたところもあったはずです。というのも尚弥選手がパンチを打ち出すと同時に後ろに下がり始める、その反応が凄く良いなとは感じていました。これができると相打ちもやれるんです。その不気味さもあって尚弥選手は慎重にならざるを得なかった。無理やりにでも攻め込んで仕留めるってことをやらなかった。自分のボクシングをどれだけ出せるか。その一点においてタパレス選手のほうが先に軌道に乗った感はありました」

余裕のパフォーマンスにタパレスは一瞬、躊躇

 情報の質と量。

 相手の出方や反応で早々に正しい情報をインプットしたうえで攻略していくその処理速度が井上は異様に速い。これもまたモンスターと呼ばれるゆえんだ。タパレスとしては情報を組み込まれるのを極力遅らせ、その間に何とか突破口を見いだしていく作戦だったに違いない。飯田が言葉を続ける。

「3ラウンドもそうです。尚弥選手はまだ相手の動きを探っていて慎重にというところを崩していない。逆にタパレス選手は十分警戒しながらも練習してきたパターンを試していこうとしていました。このラウンドの序盤に、タパレス選手がコーナーに詰めた場面がありました。

 尚弥選手はここで両手を広げて、余裕を見せるパフォーマンスをやるわけです。もしコーナーに誘い込んでいたらそんなことをやる必要はありません。尚弥選手がうまいのは、そういったところ。あれでタパレス選手は一瞬、躊躇しましたよね。ピンチをピンチに見せないし、結局は相手の思いどおりにはさせないわけですから。

 タパレス選手はもっと自分のパンチが当たると思っただろうし、もっと攻勢を強めたかったはず。だけどそれ以上がなかなか難しい。ガードの上からパンチを受けて彼としても情報を集めつつ、もらったらヤバいなっていうのはあったと思います」

コンビネーションで最初のダウン

 情報の読み取りに時間を掛ける井上に対し、効果的なパンチを当てられずとも作戦どおりに進めていくタパレス。3ラウンドまですべて井上がポイントを取っていたのは明白とはいえ、完全にペースを掌握していたとまでは言い切れないというのが飯田の見立てである。

 迎えた4ラウンド、タパレスはより前に出てきた。

 様子見を済ませたかのように井上の手数も増えていく。ワンツーから左ボディーを入れるなど上下を打ち分けてタパレスの動きを止めようとする。接近戦で左フックーをヒットさせ、連打でロープ際まで下がらせて左フック、右ストレート、左フックのコンビネーションで最初のダウンを奪った。

 タパレスの動きが悪かったわけでは決してない。波に乗ろうとした相手を、井上が力ずくでねじ伏せたようなダウンでもあった。

 タパレスがゆっくりと立ち上がると、すぐにラウンド終了のゴングが鳴らされる。

 勝負は一気に井上側に流れるかと思われた。しかしながらタパレスの目はまだ死んでいなかった――。

<後編に続く>

文=二宮寿朗

photograph by Takuya Sugiyama