集団発熱、まさかのシード落ち……今年の箱根駅伝、優勝候補の一角と見られていた中央大学。13位に終わったチームに何が起きていたのか? 藤原正和監督がNumberWebに明かす。【全2回の前編/後編も公開中】

異変「のどが痛いです」

 中央大学で異変が起きたのは12月21日のことだった。

 箱根駅伝で起用を予定していた選手のひとりが「のどが痛いです」と申告してきた。各大学で感染症が流行していることは藤原正和監督の耳にも入っていた。これだけでおさまってくれれば……と監督はじめスタッフは願っていたが、それは始まりにしか過ぎなかった。藤原監督は振り返る。

「それから23日に発熱者が出て、24日、25日にも体調が悪いという申告が相次ぎました。そして27日には箱根で起用を予定していた溜池(一太・2年)、柴田(大地・1年)ら4名ほどが38度、39度という高熱を発して、28日には主力の吉居大和、中野翔太も体調不良を訴えてきまして……。29日には区間エントリーを提出しなければなりませんが、まさに“非常事態”でした」

 学生たちに発熱はあったが、インフルエンザ、コロナウィルスの検査はいずれも陰性。それは安心材料にはなったが、解熱後も咳がなかなか収まらなかった。

 監督就任8年目、第100回大会での優勝を目指していた藤原監督にとって、最悪の事態が訪れようとしていた。区間エントリーに関するスタッフとのミーティングでは、目標を修正せざるを得ないことで意見の一致を見た。

「こうした事態となり、学生たちには現実的な目標を示すことも必要でした。優勝はむずかしい。それでも当初は3位を狙っていきたいという思いはありましたが、28日の時点での状況を見ると、『シード権獲得』が現実目標になると思いました」

“狂った”プラン

 とにかく元気な選手を並べるしかない。29日の区間エントリーの時点で好調だったのは主将の湯浅仁(4年)、阿部陽樹(3年)、吉居駿恭(2年)の3人だった。

「1区から溜池、吉居大和、中野と前回同様に並べることにしました。なんとか体調が戻ることを祈りつつ……。たとえ、3区まで苦戦したとしても、4区の湯浅でジャンプアップして、5区は耐えるというプランを立てました。予想としては、往路でトップから10分前後、なんとか10位以内に入れればという想定です。復路では繰り上げ一斉スタートになったとしても、集団でリズムを作っていけばシード権には絡めるという目論見でした。幸い、6区に予定していた浦田優斗(3年)は体調が回復しつつあり、7区の吉居弟、8区の阿部でシード権を確実にしようと考えていました」

 ところが、元日になって阿部が発熱してしまう。

「これは本当に、本当に厳しい戦いになると覚悟しました」

取材現場でも「体調不良に違いない…」

 迎えた1月2日。

 レース当日も、朝から慌ただしい連絡が入ってくる。

「10区を予定していた柴田の体調が思わしくなく、本人から『難しいかもしれません』という連絡が入りました。とりあえず、前日の刺激練習を走ってみて決めようという話をしたり……。もうバタバタでした」

 8時に号砲がなってから間もなく、1区の溜池が遅れる。去年、同じ1区を区間4位でまとめた実力者なのに……。溜池は区間19位となり、続く2区。昨年、史上最高の2区を制したエース吉居大和も区間15位と番手をさほど上げられず、前回3区区間賞の中野は区間20位となり、総合でも18位と低迷した。

 さすがにこの段階になると、異変は誰の目にも明らかだった。

 これは体調不良に違いない……。

 それでも主将の湯浅が区間3位の好走で13位まで挽回し、往路のフィニッシュ地点では10位とは18秒差と、シード権が見える位置でしのいだ。

 往路が終わって、藤原監督は往路を走った選手のうち、湯浅を除く4人が体調不良だったことを明かした。

「藤原体制」を見続けてきた私も、なんともやるせない気持ちになってしまった。

 よりによって、箱根駅伝でこんなことが起きるのか、と。

「地獄を見ました」

 それでも復路は健闘を見せた。

 6区を担当した浦田優斗(3年・前監督である浦田春生氏の子息)が区間5位、そして7区の吉居弟が区間賞の走りで10位へとジャンプアップする。

「駿恭が期待通りの走りで、11位の帝京さんに対して2分02秒の貯金を作ってくれたんです。これなら、8区をしのげばシード権は確保できるかもしれないという期待が芽生えました」

 しかし、2日前から発熱した阿部は中継所の時点から顔色がすぐれず、いつもの穏やかな表情が見られなかった。

「運営管理車のトイレ離脱があり、阿部に追いついたのは8km付近でした。一目走りを見た瞬間、いつもの阿部ではないことが分かりました。遊行寺の坂は本当にキツかったと思います。無理はさせられない、そこで『1km3分20秒ペースでいいよ』と声をかけ、2度の給水をしっかりとるように伝えました。出場した以上、なんとしても途中棄権は避け、大手町までたすきをつなぐことがもっとも大切だと考えましたし、フィニッシュできれば何かを残せると思ったので」

 8区で、藤原監督は現実を受け入れる覚悟を持った。

「地獄を見ました」

「進退問題にも関わることだと思っています」

 それでも中大はシード権獲得に向けて粘った。特に、前日に不安を訴えていたアンカーの柴田は、果敢な走りを見せ、シード権獲得に一縷の望みをつないだ。

 それでも現実は甘くなかった。中大は13位でフィニッシュ。10位の大東文化大との差は1分16秒だった。

 これだけの体調不良者が出ながら、10区までシード権争いに望みをつないだのは、中大の地力の表われだった。もしも、あとひとりでも体調が万全の選手がいたとしたら……。中大はシード権に手が届いていたかもしれない。

 閉会式が終わり、私は藤原監督とふたりきりになって話をした。すると、監督は私にこう言った。

「これは、進退問題にも関わることだと思っています」

 血の気が失せた顔からその言葉を聞いた時、私は心底驚いた。まさか、辞任するのでは、と。

<続く>

文=生島淳

photograph by KYODO