年始の箱根駅伝で、青学大に敗れたものの戦前は“一強”とまで言われ、圧倒的な優勝候補だった駒大。その評判の裏にあったのは、分厚い選手層だ。有力ランナーが多いほど、実力者でも檜舞台を逃すケースは増えていく。そんな熾烈なメンバー争いに挑んだ4年生の白鳥哲汰は、昨年11月に最後の選考レースである上尾ハーフに挑んだ。彼が過ごした最後の箱根路への日々とは――。(全2回の2回目/1回目から読む)

 他大学のエース級も数多く顔を揃えた上尾ハーフで、白鳥は1時間2分14秒の好タイムで7位入賞を果たす。

 山梨学院大のブライアン・キピエゴ(1年)や早稲田大記録を作った山口智規(2年)らには敗れたものの、チーム内でトップの成績だった。レース後に充実した表情を見せたのも無理からぬことだっただろう。

「前半誰も出なかったので、安原(太陽・駒大4年)と一緒に交代で引っ張って、後半少し落ちましたけど、わりと自分で作れたレースだったんです。他大学の選手に負けていたので、監督たちからはねぎらいの言葉とかはなかったですけど、自分の中では良かったかなって。駒澤の中で1位だったので、箱根はもう間違いないと思いました」

内容を評価するのか、結果にこだわるのか…選考レースの難しさ

 だが、首脳陣の見方は少し違ったようだ。

 試合後に、藤田監督がこんな話をしていたのを思い出す。

「上尾はある程度タイムが出るのはわかっているので、やはり勝負ですね。14km付近で山口君が飛び出したときに付けなくて、その後に法政大の2人にも先行を許したところがもったいなかった。出雲、全日本とああいう戦い方(一度もトップを譲らず完勝)をして、今の駒澤大は強さを見せないといけない立場にある。他大学に負けないことで、駅伝で競った時にもそう思えるんです。それが上尾でできなかったのは少し残念ですね」

 内容を評価するか、結果にこだわるか。微妙な考え方の違いが、後の悲劇を生んだような気がしてならない。

 箱根出場を待ち望む白鳥のもとに、監督からの指名の声はなかなか届かなかった。

 16人のエントリーメンバー入りは果たしたものの、誰がどの区間を走るかは12月末になるまでわからなかったという。

「今回は直前まで情報が共有されなくて、そのちょっと前に噂が立ったんですよ。なんか自分が外れそうだって、誰かが言ってて。自分はなんとなく1区を走るものだと思って準備していたんですけど、復路に回る可能性もあるのかなって……」

 区間エントリーは12月29日に発表された。白鳥は1区に登録されたが、往路、復路共にレース当日朝までの区間変更が可能で、ライバル校の動向を測ったり、選手の体調を見極めるために、各大学があえて本命ではない選手を登録させることがある。

区間エントリーで1区に登録も…暗転した事態

 監督に告げられないままの1区登録だったが、本人はもちろん走る気でいた。

 ライバルである青学大の原晋監督も「1区にエントリーされているくらいだから、白鳥君はそうとう調子が良いんでしょう」と警戒するほどだった。

 事態が暗転したのは、その翌日である。

「朝練習の後に監督に呼ばれて、『1区には入っているけど、走らないからね』って。『交代するのは篠原(倖太朗・3年)だから』と言われました」

 悔しさがよみがえるのか、白鳥が思わず語気を強める。

「一番悔しかったのは、その時に『実業団で頑張ってくれよ』と言われたこと。おそらく藤田さんも気を遣ってくれたんだと思うんですけど、1年かけて箱根のために準備してきて、そこで実業団の話をされるのもちょっと悔しいなって。それこそ上尾で自分に負けた選手が選ばれているので、その理由が聞きたかったです」

 白鳥の立場を思えば、その気持ちもよくわかる。

 これほど充実した戦力を擁す駒大でなければ、上尾ハーフで2分台前半をだした選手が外れることはなかっただろう。これは白鳥も認めるところだが、下級生で出場した際の箱根の成績や、アベレージとしての貢献度がやや足りなかったのかもしれない。

 外れた選手は、その直後からチームのサポートに回る。

 辛いことだが、戦術を明かさないために、自身が1区を外れることは誰にも口外してはならなかった。区間エントリーのニュースを見て、白鳥の元にはお祝いのメッセージがたくさん届いたが、それに返事を出すこともできなかったのだ。

「さすがに両親には走れないことを伝えましたけど、友だちとかへの返事は箱根が終わった後にしました。走れない悲しさもありましたけど、その直後は怒りもありましたね。でも、外れたからって、『なんでだよ!』とか言っていたらヤバイやつですから。それはグッとこらえました」

 続けて、こんなことを話す。

「1年生の時は自分が交代で入って、4年の加藤(淳)さんが外れたんです。加藤さんは全日本も走った主力の一人でしたから、あのとき本当はどんな気持ちだったんだろうって。自分もこうなって、やっとそこに思いが至りました」

「なにかしら動いていた方が気持ち的にラクだった」

 箱根本番、白鳥は往路2区の沿道に赴き、ラスト1kmの上り坂で同期の鈴木芽吹を応援した。すぐさま戸塚駅に戻り、電車を乗り継いで今度は5区の金子伊吹(4年)に声援を送った。目立つ天然パーマだが、観客はほとんど白鳥に気づかなかったという。

「復路は安原の付き添いでした。同期にはやっぱり頑張ってほしかったですし、自分もなにかしら動いていた方が気持ち的にラクだったので。この4年間、三冠という目標を掲げて努力してきた過程においては、自分も含めて満点をつけられると思います」

 選ばれなかったメンバーが、その立場に腐ることなく、心から仲間の走る姿を応援できた。そのことに白鳥は胸を張った。

 タラレバになるが、白鳥に1区を任せ、篠原を4区、あるいは復路に回していたら……レースはどうなっていただろう。

 もしかすると、勝った青学大以外の監督は、レース後も延々と答えの出ない問いを繰り返し、自責の念にさいなまれているのかもしれない。

 レース後に白鳥は、藤田監督からこんなことを伝えられたという。

「大学で慰労会があったんですけど、その時に『走らせたかったけどゴメンな』ってことは言われました。俺に力がなかったっていう風にも話していて、監督が悔しさで泣きそうになっているのを見て、自分もこうグッと来たというか。やっぱ、監督も戦っていたんだなっていうのを実感しましたし、自分が葛藤する以上に苦しんでいて……。すごい4年間お世話になりましたし、今は本当に感謝しています」

 最後の箱根を走れなかったことは、競技者としてはマイナスかもしれないが、学生としては貴重な学びを得たとも言えるだろう。

 やり残した感があると語る一方で、白鳥はこうも話す。

「これまでは走ったやつが偉いじゃないですけど、注目されるべきだと思っていて、裏方を軽視していたところがあったんです。でも今回、走れなかったことで、見えない存在に気づくことができた。それこそ主務もそうですし、支えてもらっているから走れていたんだなって。自分はまだ競技を続けるので、実業団で結果を出して、いまスポットライトが当たっていない選手に元気を与えられる存在になりたいですね」

実業団で期す「捲土重来」

 就職するトヨタ紡織は、結果が出なかった頃も態度を変えずに誘い続けてくれたチームだ。

 やはり大学時代に伸び悩み、社会人で鮮やかに復活した羽生拓矢の存在を例に挙げ、今後の成長に期待をしてくれているという。

 高校時代は早熟と思われていたが、意外に大器晩成型なのかもしれない。そんな言葉を贈ると、白鳥はニカッと笑った。

「大学に入ってからの3年間はほんと右肩下がりで、心ない言葉もたくさん耳にしました。はっきりと『落ちぶれたな』って言われたこともあります。でも、この1年間は自分でも納得して、すごく充実した取り組みができたので、それを今後に生かしてやっていこうと思ってます」

 追いかけられる立場から、追う側へ。個々の裁量が大きくなる実業団では、モチベーションの高さこそが武器になる。苦しいときでも音を上げず、名門陸上部で揉まれた経験はきっと今後に生かされるだろう。

 高校時代からの目標だった、マラソンを走る日もきっと近い。鮮やかな復活劇を、両親や監督、みなが心待ちにしている。

文=小堀隆司

photograph by Yuki Suenaga